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Monday, August 7, 2017

鉄道模型コンテストに行ってきました

週末、ビッグサイトで行われた鉄道模型コンテストで予定通りおしゃべりをしてきました。

17.8.5 ビッグサイト

土曜日の午前中、うだうだしていたら結構な時間になってしまい慌てて到着しました。


拙作も展示

早速、KATOブースに挨拶に行きました。
拙作のクモハ12も展示されてぐるぐる回転していました。
駒ケ根車輛さんのスカ色の妄想クモハ12が冴えています。

飯田線ずらり

ブースには飯田線シリーズがずらり。
今日はこのお話もするので予習します。

クモハ12の話

お昼からKATOブースでクモハ12の話が始まります。
最初はメーカーさんからの製品紹介とオプションパーツの取り付け方のお話。


改造メイキングの話
KATOサイトから掲載

これに続いて私がクモハ12の実車話、改造ネタ話、そして改造メイキングのお話をさせて頂きました。
詳しい内容は次号のRMMに掲載予定です。
その後、飯田線シリーズのお話をしまして、無事ミッション終了しました。

夏の不得手なおしゃべりミッション5連発、これであとはJAMのクリニックを残すのみとなり、少しほっとしました。

さて、講演終了後に会場内を見て歩きました。
ここで一番記憶に残った作品一点をご紹介です。

Rhbの一畳レイアウト

こちらがそのレイアウトで、都立大崎高校ペーパージオラマ部の作ったスイスRhbのレイアウトです。
Rhbの名所を散りばめた三層になったレイアウトで、その出来具合も素晴らしかったです。

反対側

レイアウトの構成も工夫されており、全体を山で3つの景色に分けて製作されており、裏側にはあの有名なランドバッサー橋のシーンが雄大に展開します。
ペーパージオラマ部と名乗るだけあって、レイアウトの地形などのベースは段ボール製で、裏側を見せてもらったら、線路を支える土台もペーパー製でした。
一畳のレイアウトとなれば相当な重さになってしまいますが、持ち運びも楽な軽さになっているとのことです。
この辺りの考え方も高校生らしいです。
ブルシオのオープンスパイラル

ブルシオのオープンスパイラルもきれいに再現。
自分も一昨年行ったばかりなので、興味津々。
ゆっくりと列車が上ってゆく姿に感心しました。

人だかりが絶えない作品でした。

4 comments:

原口 悟 said...

公園の方、お疲れ様でした。

お話の中でも注目点が多く、その中でも興味深かったのが「写真撮影の技術」の話でした。持参するフィルムの本数の関係から、「最大の効率」を実現すべく、「追っかけ」のスケジュールを緻密に組むことの他、写真撮影の技術の方も少ない撮影枚数の中で多くの車両の特徴を盛り込むためにさまざまに具靴を駆使することが興味深かったです。
話の中でもありましたが、カメラがCCDになって大きく変化したのは、フィルムの「感度」に相当するものの幅が大幅に広がったために、「露出」の自由度が大幅に上がり、かなりの悪条件でも安定した撮影が可能になったことだと思います。これは、2000年代初頭にある鉄道関係のサイトで見た、「バルブ」」の撮影テクニックに関する話なのですが、183系や485系などの特急型電車を夜間にバルブ撮影する時、どう適正露出を決めたらいいか、という質問に対し、特急型電車の場合は「ヘッドサイン」があるために、車体とヘッドサインを両立させるのが非常に難しく、「露出計で露出時間を見積もった後、時間を区切って何枚か露出時間の違う写真を撮影し、その中からより適切に写ったと思われる写真を選ぶ」という方法が最適である、という話になっていました。このコメントをもとに、私も何度かバルブ撮影を試みました。CCDカメラに変わってからは、かなり暗くても手持ち撮影が可能で、2010年代に牽引機がEF81(JR東日本)からEF500(JR東日本) を経てEH500(JR貨物)に変わった「安中貨物」を午後11時に大宮駅で撮影しています。
現在でも撮影が非常に難しいのは「夕暮れ時」で、人間の目はいわば「自動露出補正機能」が付いているために、光量が減少したことに気づきにくいのですが、写真を撮影しようとすると、露出計による露出時間の表示が長く、驚くほど暗くなっていることに気づくことがしばしばありました。現在のCCDカメラではある程度この問題は克服されていますが、まだ注意が必要だと思います。

都立大崎高校のレイアウトは私も話を伺ってきました。材質の主体が「紙」で、岩肌も紙から作ったとの話で、テクニックに「1980年代のレイアウト製作記事」のような「伝統的な技術」を感じたことを話しました。当時のTMSのレイアウト製作記事では、山の表現を「紙の帯で大まかな形を作った後に新聞紙を「張り子」のように張り付け、その上から色を塗る」ことが良く行われており、他、「紙粘土の使用」や、アーチ橋も段ボール製であること等、「懐かしの技術」を感じました。考えてみると、石膏をベースとした「プラスター」の使用は1980年代はあまり一般的でなかったように感じます。当時は技術的には百花繚乱で、山の表現に「セメント」を使う「要塞を作るような」技術で作ったためにきわめて重量級で「木を植えるための穴を開けられない」まさに「要塞のような」山になった、というテクニックも紹介されていました。

chitetsu said...

原口さん
お越し頂き、ありがとうございました。
銀塩時代、それもおこずかいでの行動がベースの高校生時代はネガのコマ数はシビアでした。
これは私に限ったことではなかったと思いますが、同じ車両を何度も撮るのは当時は我慢せざるを得なかったですね。
その点は今はすごく恵まれていますが、逆に被写体に恵まれなくなってしまいました・・・。

三等急電 said...

残念ながらお伺いできませんでしたが、充実した内容だったようですね。
聞けなかったお話については、次号のRMMを拝見することにします。

chitetsu said...

三等急電さん
当日の講演のうち、クモハ12については次号RMMで記事掲載時におおむね反映します。
飯田線については残念ながら講演のみで、紙上では掲載しません。