Sunday, July 9, 2017

武蔵境駅 地平時代

今は高架化されてしまった武蔵境駅の地平時代のネガ見つけたので、スキャンしてみました。

92.4.24 武蔵境

三鷹方から見た西武線側の構内です。
こちらの側線は西武線のヤードで、電車の入れ替えの時ぐらいしか使わなくなっていたので、枕木も木ですし、架線柱も私鉄タイプのか細いものです。


92.4.24 武蔵境

西武線と中央線は島式ホームで接していて、当然ノーラッチ。
いまやこのようなスタイルの駅は激減です。
バリアフリーで良いのですがね。
ホームの立川方には西武線の詰所が建っていて、折り返しの乗務員が休憩したりしていました。

92.4.24 武蔵境

こちらは中央線の上りホームを三鷹方向を向いて撮ったものです。
中線があるので、電車撮るにはうってつけの場所でした。
201系も電照式の表示器になる前です。

92.4.24 武蔵境

こちらは上の写真の位置から右向いて西武線ヤードを撮ったものです。
郊外の駅の風情が残っていてたまに眺めに行ったりしていました。

92.4.24 武蔵境

こちらは、三鷹方の集束部です。

今や激変で当時の雰囲気はまったく無くなってしまいました。


6 comments:

  1. 通りすがりの64July 9, 2017 at 5:14 PM

    お暑うございます。。
    武蔵境は三鷹を出ると高速で通過する小さな駅・・というイメージですが、吉祥寺、境、国分寺、立川と開業当時からある由緒ある駅なんですよね。
    中線は西武入れ替えの他、たまにイベント列車が止まったりしていましたが、高架化のスペース確保で東小金井に移設されちゃいました。高架事業はあくまでも現状復帰が基本なのですが、あとからとってつけた東小金井駅にしてみれば棚からぼた餅でして、朝もちゃっかり交互発着に利用しちゃってますね。。

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  2. モハメイドペーパーJuly 9, 2017 at 5:39 PM

     長い貨物列車が中線に入ると立川寄りの踏切を塞いでしまうので、踏切を生かせるよう、出っ張る分を切り離していることもありました。
     その昔、中線から下り本線に合流するポイントは、本線が曲線になっていましたが、速度制限を解消するため本線が直線に変更されています。
     西武鉄道の側線には装甲車みたいな電機がいて、今考えればED31だったようです。

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  3. 通りすがりの64さん
    高架化で武蔵境の立場はさらに低くなってしまった気がしますね。
    画一的な駅は詰まらないですね。

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  4. モハメイドペーパーさん
    貨物列車の編成を切って停車するとは、ちょっと驚きですね。
    構内にED31がいた時代、どんなにのんびりとした風景だったのでしょう。

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  5. みなさまこんにちは。

    武蔵境駅は、中央線上り方に茶色のDE10と旧客が連結されていて、乗客が乗っているのを見たことがあったような。あれは何だったのか…。
    西武の新小金井駅そばに、分譲物件を見に行った記憶も。1994年頃だったかと。
    跨線橋に満鉄のマーク入りレールが使われていた?。西武の側線レールも、何かレアものに見えたのですが、どうしても表記が読めず悔しい思いも。
    西武多摩川線は、一般の人々には「是政線」とか呼ばれていたこともあったようですが、多摩ニュータウンへの延伸が成っていたら、交通地図もかなり変わっていたでしょうね。

    失礼いたします。

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  6. すぎたまさん
    DE10の客レというのはイベント列車だったのでしょうか?
    西武の構造物には結構とんでもないものが使われているのは有名ですね。
    でも満鉄マークのものもあったとは知りませんでした。
    多摩ニュータウンに伸びていたら、ずいぶん状況は変わったのでしょうね。

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