Thursday, July 27, 2017

蒲原鉄道の保存車の今 その1 モハ41

先日のKBMC新潟合宿で蒲原鉄道の保存車めぐりをしたことはすでにレポート済みですが、もう少し細かく見てゆきます。

モハ41 17.7.16 五泉市総合会館

最初に向かったのは五泉市総合会館でした。
ここには蒲原鉄道のモハ41が保存されています。
公共施設の入り口にあって、屋根もしっかりしたものがついているのですが・・・。

モハ41 17.7.16 五泉市総合会館

しかしながら・・・・
近づいてみると結構傷んでいます。

モハ41 17.7.16 五泉市総合会館

車内の様子です。
外観と違ってきれいな状態です。
もう少し何とかならないものかと思いました。



モハ41 98.11.24 村松

こちらは、現役時代のモハ41です。

モハ31、61 98.11.24 村松

モハ61とのツーショットです。
こちらのモハ61は冬鳥越にきれいな姿で保存されていました。


次回はモハ11形をみてゆきます。








4 comments:

  1. Twitterやフェイスブックでも拝見しましたが、これだけ車内が綺麗になっているのに、外観が痛々しいのは本当に悲しくなってきます。
    モハ41は蒲原を訪ねる都度乗り、停車中のぼんやり明るい予備灯の光が忘れられないです。

    最後の1枚ですが、モハ41ではなくモハ31ですよ。

    ReplyDelete
  2. 宵闇さん
    そうなんですよね。
    逆のケースの方が普通は多いのですが。。。
    残念なことです。
    最後の1枚、全然気づきませんでした。
    直しておきます。
    ありがとうございました。

    ReplyDelete
  3. 一番下の写真ですが、モハ61のパンタグラフが「蒲原形パンタグラフ」ではなく、PS16であることに気付きました。写真を調べると、以前(路線短縮前)は蒲原形パンタグラフでした。「蒲原形パンタグラフ」は蒲原鉄道でしか使ってなく、末期は備品の供給が続かなくなって交換した(近所の新潟運転所辺りからシングルアームパンタ化による発生品を譲り受けたか?)と思われます。
    蒲原形パンタグラフは集電シューの下の「目玉」が特徴的ですが、このため、模型としての一般流通品としての製品化は極めて難しいようで、これまでの蒲原鉄道車両の模型の発表でも蒲原形パンタグラフまで表現したものは記憶にはないです。改めて一番下の写真でPS16と比較すると、蒲原形パンタグラフはかなり小ぶりで、「台の碍子」もかなり小さく、シューが1本だけであることも併せて、かなり貧相に感じます。

    ReplyDelete
  4. 原口さん
    そういわれてみてみるとパンタグラフが変わっていますね。
    蒲原のパンタグラフはずいぶんと小振りで華奢なもので、見た目にもちょっと貧相でしたね。
    わざわざ蒲原が作ったとも思えませんし、どこから調達したものなのでしょうか?

    ReplyDelete

コメントはフリーでお受けしています。しかし、個人的なブログですので、リプライ及び不適切と判断したコメントの削除は管理人判断で行ないます。