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Wednesday, June 28, 2017

大目玉電車 その3 中央東線の115系

大目玉シリーズ、第三回は中央東線の115系です。

84.5.6 初狩ー大月


84.2.23 初狩ー大月

残雪の初狩にて。

84.2.23 初狩ー大月

冷房改造大目玉の後ろ側の編成は非冷房。
この頃はバラエティー豊富でした。

84.5.6 初狩ー大月

晩年は3両が基本の115系でしたが、この頃は4両が基本でした。

84.2.23 四方津ー梁川


85.10.10 初狩ー笹子

こちらは定番の大カーブ付近を行く115系。

84.11.18 日野春ー穴山

晩年はスカ色電車が走る機会の少なくなった場所ですが、この頃はいっぱい走っていました。

84.11.18 日野春ー穴山

松本の115系は目玉がちっちゃいタイプ。
80系から引き続いて湘南色を纏っていました。

クハ115-1039、クハ86329
79.3.23 辰野

こちらも大目玉ではありませんが、80系とのツーショットです。
80系は飯田線に戦前型電車置き換えで投入されたばっかりの姿です。
同系列での入れ替えは別として、大規模な旧制能電車同士での置き換えが行なわれたのはこれが一番最後であったと思います。

8 comments:

12号線 said...

元三鷹の大目玉車、松本で廃車になった車両の大半が後に伊豆急に譲渡されました。
山を降りた余生を海辺で過ごせるのかとも思いましたが、意外やその活躍も短かったようで。
現行の8000で齢40過ぎたロートルいるかと思われますが、しばらくは置き替えもないのでしょうね。

chitetsu said...

12号線さん
伊豆急に行った115系、予想以上に短命でしたね。
車齢もあったのでしょうが、潮風が良くなかったのでしょうか?
結局見ずじまいでステンレス電車に代わってしまいました。

モハメイドペーパー said...

 300番代の出現で4連(Tc-T-M-Mc)に組み換えた0番代は、クハとサハの連結面でトイレが鉢合わせしていました。伊豆急が購入したのは、もともとショートリリーフ的な考えだったのかも知れません。

chitetsu said...

モハメイドペーパーさん
300番台出現後の編成は妙竹林でしたね。
伊豆急行った電車、経年を考えるとそうだったのかもですね。

原口 悟 said...

伊豆急に行った113,115系が早期に置き換えられたのは「塩害」が原因だったと私も聞きました。
2004年10月の宇都宮線での115系最後の定期運用撮影のために大宮駅に行ったとき、集まった方々と話をした時に上記の話を伺いました。ショートリリーフとしても、113,115系に置き換えが完了してすぐに次の置き換えが始まり、あまりに期間が短いので不思議に思っていたのですが、車体よりも床下機器の方が塩害のための劣化が激しかったとの話を聞いて納得しました。同時期に瀬戸大橋線の213系が223系に置き換えられたのも塩害によるところが大きかったとのことです。8000系は、113,115系の床下機器が塩害で急激に劣化したことを教訓として、床下機器の塩害対策を徹底してから伊豆急に送り出されたそうです。

chitetsu said...

原口さん

それまでの100系電車があれだけ持っていたのに、塩害の件は考えてみると不思議ですね。
老朽化のタイミングとダブルパンチだったのでしょうか?

通りすがりの50代 said...

素敵な写真ありがとうございます。
2枚目と3枚目は、梁川と四方津の間ではないですか?
6枚目は良い雰囲気ですね。今はフェンスで囲まれてしまいました…(田圃も線路も)。

chitetsu said...

通りすがりの50代さん
自分の記録では、大月と初狩の間の道路橋から撮ったことになっていますが、記憶はおぼろげであります。
6枚目の場所は撮影に制限がかかるようになったと聞いています。