ここを訪れたのは飯田線の旧形国電の末期でした。
クハユニ56011 82.8.28 下地ー船町 |
早朝の共用区間で電車を待ちます。
最初にやって来たのはクハユニ56先頭の飯田線電車。
モ7015 82.8.28 下地ー船町 |
次にやって来たのはパノラマカー。
この落差は凄いものがあります。
モ3401 82.8.28 下地ー船町 |
名鉄の流電、いもむし号もやって来ました。
クハ68420 82.8.28 下地ー船町 |
上の写真の反対側です。
こちらはクハ68420です。
ク2401 82.8.28 下地ー船町 |
いもむし号です。
パンタは付いていますが、クハです。
名鉄電車にはこのパターンの電車がいくつかありますね。
全体のバランスを考えたのでしょう。
クハ86347 82.8.28 下地ー船町 |
線路に近づいて80系電車。
EF651096 82.8.28 下地ー船町 |
上りのブルトレ、みずほです。
ここで明るいのですから、東京までの道程はまだ長いです。
9 comments:
こんにちは。
いつも、ネタが凄いなと思いつつです。
豊橋で仕事があって、帰りはフリーのときがあって。
よく調べもせずでしたが、名古屋まで名鉄特急にと乗りました。
協定とはいえ、凄い感じですね。
名古屋は近鉄と共同使用駅はあるけど。線路折半は驚いた覚えがあります。
そのときは通常の車両の先頭にいて、いわゆるかぶりつきでしたが、特急車両だったらなと。
その後、名古屋から知立まで乗ることがあったのですが、来たのが特急車でクロスシートに座れてしまいました。
遠慮して通路側でしたが。
豊橋まで行きたくなりました。
待ち合わせにはまぁ時間あるけど、往復する時間までは…。無念。
すみません。
2番目のコメント削除をお願いします。…晒し首でもかまいませんが…。
線路折半は 驚いた覚えがあります、が正しいです。
線路折半は 聞いたこと であれば、ありませんなのであららと訂正したら。
ほんと。直接書き込むとダメダメだな。。。です。
Muさん
線路の共用は私鉄同志だからできたのですね。今や完全なライバルで主導権がJR側の様ですから、名鉄も大変でしょうね。
名古屋も近鉄と壁一枚で接しているのも面白いですね。
二番目のコメント削除致しました。
名鉄3400形のクハのパンタグラフですが、RP84-1号(特集 流線型半世紀)に記述がありました。P58から「古くて新しい名鉄3400系」のタイトルで名鉄3400系の登場から現在(1983年)までの変遷が記述されており、その中でクハのパンタグラフは「回生制動の試験のため」との記述がありました(P60)。回生制動車は制動時に架線で電気を返すために集電用とは別にパンタグラフを装備することが多く、阪和モタ300形も回生制動車は2丁パンタでした。回生制動車はかなり遅くまで2丁パンタを装備することが多く、201系900番台の2丁パンタが最近の例です。201系の場合は、1丁パンタでも回生制動が作動することが確認されたので量産車では1丁パンタになり、900番台も量産化改造で1丁パンタになっています。
名鉄3400形の回生制動ですが、RP84-1号の記事の続きには、「ダイヤ条件や変電所設備が現在とは異なり、十分な効果が出なかったことや、何より装置自体の故障が多く、就役後程なくして使用停止となった」とあります。その後、戦後になって3両編成に増結した時、増結したモハの集電をクハの回生制動の名残のパンタグラフから行うようにしたため、当時としては珍しい「パンタの無いモハ」になったものです。
この区間、かっ飛ばしてきた名鉄特急が急に鈍足になってしまうのは今も変わらないようです。
一度名鉄の特急に乗ってたらJR新快速が轟然と抜き去って行きました。JRの意地悪なのかと思っちゃいました。
原口さん
回生制動が就役時についていたとは知りませんでした。
クハにパンタが付くやり方は3900系でも行われましたね。
これは見た目だったのか、重量バランスだったのでしょうか?
Cedarさん
共用区間は直線なのにゆっくり走りますよね。
色々あるんでしょうが、傍目にはイジワルにも見えますよね。
小生も旧国時代にこの区間で撮影したことがありますが、あの時代でも名鉄と旧国は不思議な風景でした。それにしても線路周りに建物がなかったですね。そして田んぼ。編成全体が撮れたなんて今では考えられませんね。
toboさん
名鉄電車と旧形国電の競演は当時でもその落差が不思議でしたね。
当時は旧型車はスカーレットになっていない車両も多く、汚い電車程度しか思わずに撮りませんでした。
今考えると名鉄電車ももっとちゃんと撮っておくべきでした。
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