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Wednesday, May 17, 2017

京成関屋と東武牛田

京成関屋駅と東武線の牛田駅は駅名こそ違えど目の前にある乗換駅であることは沿線の方ならわかっている話ですね。
私は1970年代中ごろにTMSに掲載された京成電車を製作する大熊さんの記事で、ここで交差するシーンのカットとキャプションで面白そうな場所だな、と思ったのがここを知るきっかけでした。

しかしながら、京成電車は既に吊り掛け電車はほぼ絶滅状態で、訪問の対象外で実際に行ったのは1981年になってからのことでした。

クハ2105 81.6.14 京成関屋

京成関屋駅を発車する青電の残党クハ2100形。
当時の最古参ですね。

3264 81.6.14 京成関屋

赤電のこの頃の塗装は京成らしくて良かったですが、当時は何とも思わず、この一枚しか撮っていません。
勿体ないことをしたもんです。

ED4022 81.6.14 牛田

京成線と東武線のクロスは関屋の両側に存在しました。
京成関屋駅の青砥方では今も昔も東武本線がアンダークロスしていますが、駅の上野方では東武の貨物線が京成線をアンダークロスしていました。
ちょうど、電気機関車が入換でやって来たところを後追いで撮影したものです。


ED4022 81.6.14 牛田

そして、程なくしてホキを引っ張って出てきました。

モハ7871 81.6.14 牛田

その脇では本線の78系が通過。

クハ825 81.6.14 牛田

上に下に横にとあちこちから列車がやって来る楽しい場所でした。

8 comments:

モハメイドペーパー said...

 千住の貨物駅はなくなったけど、今でもなんとなく場末感が漂う場所ですね。貨物駅の奥には国鉄の木造客車の廃車体がいくつもあり、住宅として利用されていたとか。これは京成電車から見えました。

chitetsu said...

モハメイドペーパーさん
千住貨物駅は場末感漂う場所ですね。
廃止後に京成線から見える客車を撮りに行ったとき、現場の人にものすごい剣幕でどやされたのがトラウマになっています。

Cedar said...

先日は遅くまでお疲れ様でした。
中千住貨物駅はガキ時分京成で上を通過するたび気にしてた場所です。当時は京成と東武は仲が悪かったのか、関谷での乗換案内は無しでした。浅草乗り入れを先越された恨みだと、父親は言ってましたね。

taiitis said...

画像を見て
東武7800系の7871ほか6連は新栃木検修区の所属で、浅草ー東武宇都宮間の準急に運用されてました。
親戚の法事でよく乗ったことがありました。
825以下の編成の方はあまり乗ったことがありませんが、浅草から太田、伊勢崎方面の準急に使われていたようです。

ED4020の入れ替え風景は末期の頃と思います。
模型で手に入れましたが、台車枠の交換をどうするかが悩みの種です。

京成210形は旧型車でしたが、下回りは高性能化されてました。
各駅停車の千葉行きや大和田行きによく当たってました。

原口 悟 said...

ED4020が牽引しているホキ5700形の模型化がKATOから発表されています。

 次の飯田線シリーズは「ED62型が牽引する貨物列車」で、秩父セメントのホキ5700形とともに日本陸運産業のタキ25000形が発表されました。ED62型は豊橋機関区と伊那松島機関区に分散配置され、伊那松島機関区の方はスノープローが付いた耐寒型で、豊橋機関区の方はスノープローが省略された暖地形でしたが、伊那松島機関区の寒地型の方が製品化されるとのことです。時期は昭和53年頃とのことですが、タキ25000形はJRになってからも飯田線に入ってきており、ホキ5700形も遅くまで飯田線に入ってきたので車両としては幅が広いです。ただ、昭和54年にタンク車には「化成品分類番号」が記入されており、タキ25000形の場合は「燃(G)23」が記入されています。また、ホキ5700形の方も、同じ昭和54年に秩父セメント熊谷工場の専用線を地方鉄道線に転換して「三ヶ尻駅」が新設されたのに対応して「籠原駅常備」の車が「三ヶ尻駅常備」に変更されたのですが、発表では「武州原谷駅常備」として昭和54年以前と以後の両方に対応させるようになっていました。
 これに合わせるかのようにTOMIXの方もED62型の新製品を発表しています。こちらは「シールドビーム車」で、国鉄末期からJRになってからが想定されており、ホキ5700形とタキ25000形はこちらにも対応しています。

 モハメイドペーパーさんの話の木造客車を利用した住宅ですが、旭川市に大規模なものがありました。木造車利用の住宅はRP誌の60系鋼体化客車特集にも記述がありましたが、2011年の秋に旭川市に出張した時に、用務先の「旭川市大雪クリスタルホール」の博物館展示にこの「木造客車を利用した住宅」がありました。また、国土地理院で公開している昭和20年代の飛行機から撮影の空中写真で、木造車の車体がびっしり並んだ炭住のような集合住宅が確認できます。

この場を借りて、京急が引き取ることが発表になっていた川口市の230方デハ236号車の利用法が発表になったので報告したいと思います。
京急では2019年に本社をみなとみらい地区に移転する計画があるそうですが、この新本社のいわば「記念碑」として保存、公開することが、京急社内の中吊り広告で発表になっています。来週に久里浜で行われる京急ファンフェスタでデハ236号車の「引き継ぎ式」を行うそうです。

chitetsu said...

Cedarさん
こちらこそ、ありがとうございました。
そうなんですよね。
乗り換えの案内は無かったですね。
今はどうでしたっけ。
真面目に確認していません。

chitetsu said...

taiitis さん
当時は古い電車がいっぱい走っていましたね。
ED4020の入換風景は廃線直前ぐらいではと思います。
あの機関車のスタイルにあの台車はちょっと不似合ですね。
確かモデルワムからパーツがあった気が。

chitetsu said...

原口さん
230形の引き取りは大々的に行われるようですね。
新社屋のミュージアムが楽しみです。
230形はどのスタイルで整備されるかも気になるところです。