6119 17.1.8 経堂 |
これが小田急線上を走っていた最後のカットになったようです。
奇しくも、下の学生時代生田で撮ったカットと同じ編成でした。
そこで、学生時代に生田付近で撮影した画像で元気な時の姿を偲びたいと思います。
6019 81.6.24 生田ー向ヶ丘遊園 |
新宿から比較的平坦な区間を走る小田急線ですが、多摩川を渡って生田と向ヶ丘遊園の中間付近は里山が線路に迫ってきます。
緑に囲まれた雰囲気の写真が撮れる最初の区間といえます。
営団地下鉄時代の社紋が懐かしいですね。
デニ1001 81.6.24 生田ー向ヶ丘遊園 |
夕方の配送列車の戻り列車は3輌編成でした。
デニ1300形ばかりのことが割と多かったですが、この日はデニ1001形先頭でやって来ました。
小田急顔でない希少な存在でした。
デニ1301 81.6.24 生田ー向ヶ丘遊園 |
振り向いてデニ1300形。
クハ2473 81.6.24 生田ー向ヶ丘遊園 |
HE車先頭の新宿行き急行。
車輌の陣容はすっかり変わった今の小田急とは全く違った雰囲気でした。
12 comments:
嫁の実家がまさにこの遊園と生田の間くらいだったので、馴染みのある風景なのですが、この春、故郷の九州に越してしまい、縁遠くなってしまいました。
6000系のお見送りも、この春、この区間でとなりました。
https://blogs.yahoo.co.jp/de_eb_zzzz/35195775.html
赤影さん
そうだったのですね。
この区間は学生時代に鉄研の部室があった関係で良く出掛けたところですが、卒業以来下車することは無くなっちゃいました。
このあたりも随分と風景が変わっちゃいましたね。
営団6000が小田急線で監獄電車と呼ばれたのは本当でしょうか?
確かに窓の小さい開口面積や非冷房で、夏場のラッシュ時には敬遠したくなる存在やもしれませんが…。
ところで写真の6119Fも今はジャカルタ入りしているようです。
12号線さん
その渾名、以前聞いたことありますね。
非冷房時代が長かったので、沿線住民からは余り喜ばれなかった気がします。
クーラー載せた7000系も東横線では乗客からは評判余り良くないらしいですね。
1月撮った電車、もう海外に行っちゃったのですか!
いよいよ6000系も終焉が近づいたのですね。私が通学で乗っていた頃は、生田ではなくて東生田でした。下りの急行は向ヶ丘遊園から専務車掌が2人乗り込み、新原町田までの間に車内検札をしていました。
モハメイドペーパーさん
長寿を誇った6000系もいよいよですね。
兄弟車の7000系が相当数元気なのとは対照的でしょうか。
社内検札、最近は見なくなった光景ですね。
小田急線内の懐かしき時代の写真を掲載されては、コメントせずにはいられません。
向ケ丘遊園、東生田、西生田、柿生・・・
それが向ケ丘遊園、生田、読売ランド前、百合ヶ丘、柿生・・・
さらに新百合ヶ丘が加わって。
この区間も相当変化した区間ですね。
匿名さん
小田急線は都区内区間が激変しましたが、向ヶ丘遊園から先の区間も駅名も沿線の様子も変わりましたね。
学生時代の生田駅はまだ改札が木製のラッチだったことを思い出しました。
毎日唐木田のお客のところへ出勤するのに多摩急を利用するのですが、最近はダイヤどおりに多摩急がやってくるのは週に2回くらいになったのは、小田急線にE233系が進出して6000系が引退したせいかもしれませんね。
日本最初のサイリスタチョッパ車の阪神7001形は制御機の唸りがうるさくてしかたない電車でしたが、転勤してきて初めて6000系に乗車したら制御器の音があまりに静かなのに驚いたものです。
転勤してきたときにはすでに国鉄103系1000台はすでに亡く、後に小田急9000系も引退し、阪神7001形を思い出させてくれた営団6000系も終焉が近いとは寂しいです。
阪鉄車輛さん
この電車は阪鉄さんにはおなじみの電車ですね。
確かにチョッパの音は静かだったですね。
自分的には停車時のショックがいつも気になっていました。
あれは一時期の営団車特有のものだった気がします。
ごめんなさい、先の匿名さんはOER3001でございます。
ログイン情報の選択が良く理解できなくて…(涙)。
OER3001さん
ブロガーのコメントはいろいろ面倒なようで、お手間掛けます。
また、よろしくお願いいたします。
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