千載一隅のチャンス到来です。
次の列車で大阪へ移動する予定でしたが、これは宮津線列車を一本遅らせてでも途中で走行写真を撮るしかありません。
しかし加悦鉄道の列車本数は少なく、変な駅で降りるとその先の予定が苦しいので、撮影後丹後山田駅まで歩ける範囲での選択しかありません。
キハ08 3 81.12.29 水戸谷 |
と言う訳で、沿線風景がどうかは別にして丹後山田駅のひと駅手前の水戸谷駅しか選択肢はありません。
というわけ水戸谷駅で下車、降りたホームからキハ08形を見送ります。
キハ08 3 81.12.29 水戸谷 |
客車改造のキハ08は重量級の気動車となってしまい、当然のように非力で現場では苦労が絶えなかったと聞きます。
早々に持て余されたキハ08ですが、ここでもキハ10入線で予備車扱い。
あまり幸せな人生ではなかったのでしょう。
キハ08 3 81.12.29 水戸谷ー丹後山田 |
折り返しの列車を田圃の中で待ちます。
キハ08 3 81.12.29 水戸谷ー丹後山田 |
線路状態も良くなかったので、ゆっくりと重い車体をユサユサさせながらやって来ました。
モードラなんか無くても山ほど連写できる亀運転速度でした。
キハ08 3 81.12.29 水戸谷ー丹後山田 |
加悦谷ののんびりした風景にゲテモノ気動車が結構良く似合います。
キハ08 3 81.12.29 水戸谷ー丹後山田 |
キハ08 3 81.12.29 水戸谷ー丹後山田 |
恐らく二度と見れないと思ったので、豆粒になるまで撮りました。
もう折り返しの上り列車は当分ありませんので、丹後山田までテクテク歩いて帰りましたが、思わ
ぬ収穫に足取りは軽かったのを覚えています。
その後鉄道線廃止後も保存されて、いまでも見れるのはご存知の通りです。
10 comments:
線路状態、写真で見る限りではJR北海道の末端あたりよりよさそうです。
加悦鉄道のキハ08の走行写真は珍しいですね。北海道時代のキハ08系もあまり走行写真は見かけたことは少ないです。珍車ですが被写体としては蒸機のついでに撮られることが多かったのでしょうね。重たい車体に非力なエンジンで走行音はどうだったのでしょうか?
モハメイドペーパーさん
確かにそんなにヘロヘロではない感じに見えますね。
見た目以上に車輌は揺れていました。
toboさん
キハ08は北海道の活躍シーンもあまり画像を見ませんね。
それだけ稼働率が悪かったのかもしれませんね。
排気が天井からではなく床下からだったせいか、ローカル私鉄の気動車のようなボボボ〜っていう感じの音がしていた気がします。
手元に鉄道ピクトリアル1961-3があります。わだいのくるまのコーナーにキハ40→キハ08がありました。
記事を読んでいるとエンジンはDMH17Hではなく、バス用のエンジン2基を使って前後の台車を駆動することで設計していたそうです。しかし、メンテナンスの問題からDMH17H 1基になったそうです。重量が38tもあることから速度もあまり出ないことがわかりました。だけどどうしてこの車輌が必要だったのか気になりますが。
「客車改造の気動車」の話ですけれど「客車改造の電車」もいいですよね。
現実の日本だと扉部分新造して電車っぽくなっちゃいますけれど、模型的にはペンシルバニア鉄道のMP54のように「電車の妻面に窓、屋根にパンタつけたような姿」の電車というのも面白いです。
(自分もNでオハ31改造でやったことがあります、動力が仕込めずクハになりましたが。)
・・・まあ現実的に言うと後部デッキ扉からしか降りれない(前は運転台)ので時間におおらかな所限定ですがw
tailtisさん
最初はそんな計画だったのですね。
北海道はその後も客車改造気動車をデビューさせましたね。
やはり予算不足なことが、このような車輌を生み出させるのでしょうね。
レサレサさん
アメリカの客車改造電車は魅力的ですね。
デッキに運転台を付けちゃう辺りがアメリカ的ですね。
まあ、日本には頸城のホジみたいにデッキ越しに運転台があった凄いのもいましたが。
走行写真は今まであまり見なかったような気がしますが、予備車だったのですね。貴重な写真を拝見させて頂きました。やはり、どう見ても旧客が単行で本線を自走する姿にこそ怪しい魅力を感じます。
みかんさん
食パンのようなお顔の気動車がのそのそ走るシーンは他では見たことの無い景色でした。
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