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Thursday, December 15, 2016

中野で見た東西線電車

国鉄時代の東西線直通電車を撮った日の営団車をまとめてみました。

5150,05 005
03.5.17 中野

中野駅で顔合わせをする、1966年製5000系アルミ製の2次車と1989年製05系の2次車。
どちらも既に現役引退しています。
右の電車はジャカルタで元気に走っているのでしょうね。

5950 03.5.17 中野

少数派で終わってしまった5000系のアルミ車。
ヘッドライトの位置が微妙に低くてちょっと間抜け顔。
前面に車番が貼られた時は格好悪くなったと思いました。
5000系デビュー当初は『正面はデザインする暇がなかったのではないか?』と揶揄された電車ですが、確かに他系列に比べると貧相な顔をしています。
右には201系、左には05系初期車。
一昔前の光景です。


クハ103-1010 03.5.17 中野

103系とすれ違う5000系電車も今や懐かしいです。

6 comments:

みかん said...

人気の無さに定評ある感の5000系ですが(汗)、僅かなな3面折妻のデザインなど、密かにかなり好きです。

アルミ車は6000系試作車の試作車のような位置づけと聞いています。

モハメイドペーパー said...

 私にとっては一番身近な地下鉄です。しかし、計画が発表された時は20m車の10連が地下を走るなんて、想像できなかったですね。

三等急電 said...

撮影の翌年に東京メトロになったので営団「S」マーク最後の頃ですね。
5000系アルミ製車は2次車1本と翌年製造された3次車2本の21両のみでした。
組み換えが難しかったためか最後まで7両編成でしたが、全編成の10両編成化に伴い、10両編成1本と5両編成2本(2本併せて10両編成)に組み替えられ、余った1両はステンレス車編成に組み込まれました。
その後、ステンレス車編成に組み込まれました車両は廃車、5両編成は3両編成に減車されて北綾瀬支線に転属、10両編成のみが5000系終焉まで東西線で活躍しました。
さらに、10両編成のうち先頭車を含む3両は廃車後も保留車になっていました。
北綾瀬支線用車両が稼働不能になったときの改造用だったのかもしれません。
その北綾瀬支線用5000系が廃車になった今、どうなっているのでしょうか。

chitetsu said...

みかんさん
埴輪のような無表情なお顔、営団らしくないですね。
見慣れてしまったせいか、自分も嫌いじゃないですが・・・。
営団もアルミとステンレスの模索の時代だったですね。

chitetsu said...

モハメイドペーパーさん
ご近所電車ですね。
10輌編成が当たり前になるのは比較的最近ですよね。
8輌が短く感じるというのも困ったものです。

chitetsu said...

三等急電さん
保留車というのは現存するのでしょうか?
きっといないでしょうね、06系も壊したぐらいですから・・・。