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Wednesday, December 14, 2016

小田急のデニの活躍

弊ブログももうじき5周年になります。
ブログを始めた頃にスキャンして作った記事の多くはスキャナーの性能が良くなかったことやスキャンした画像の加工方法に慣れておらず、殆どスキャンしたまま投稿していました。
故に、画像については今以上に見苦しいものが多く、再スキャンも面倒なので記事は書いたものの結構な記事が塩漬けになっています。
そんな記事の一つが本日の記事です。
再スキャンはしていませんが、画像編集をして少し見られるように加工しましたので、アップしたいと思います。
それでは、どうぞ。


小田急の荷物電車は「配送」電車と呼ばれていました。
学生時代は生田に縁があったので、その行き帰りにデニを見かけるチャンスは結構ありました。
本日はそんな学生時代のデニの活躍風景をまとめてみました。

デニ1303 82.4.10 生田ー向ヶ丘遊園

小田急線は向ヶ丘遊園を過ぎると風景が一変、里山風景の中を走るようになります。
これは、生田付近のそんな風景を走るデニ1300です。

デニ1301 82.4.17 生田ー向ヶ丘遊園

これも、同じあたりで撮ったデニです。
荷物電車は営業車とは全く違うカラーリングでした。
西武では、営業車と同じ塗料で塗り分け方を変えていましたが、小田急は荷電専用カラーでした。どのような経緯でこんな色になったか不思議な色合いでした。

デニ1001 82.4.17 登戸ー和泉多摩川

今は架け変わった多摩川橋梁を渡るデニの2連。
電車が渡るとパンチングの渡り板がガラガラいうのも小田急の特色でした。

デニ1303 82.4.17 登戸ー和泉多摩川

振り向いて撮ったデニです。
昔ここでダンプカーとHE車がぶつかって川に落ちたことを知っている人はもう少ないでしょうね。
少年心に新聞を見て驚いた事故でした。

デニ1303 82.6.13 経堂ー千歳船橋


こちらは地平時代の経堂辺りを車庫に向かって帰り道の3輌編成。
道を歩く大学生が何でこんなの撮るの?みたいな感じで振り向いています。

デニ1001 82.6.13 経堂ー千歳船橋


反対側は外様のデニ1000形です。
大きな窓の電車は小田急線では異彩を放っていました。

デニ1001 82.7.24 成城学園前

こちらは祖師ヶ谷大蔵からのどんぶり坂を上って来た下り電車。

デニ1001 82.7.24 成城学園前

ちゃんと急行灯を点灯しています。


デニ1302 82.7.31 生田ー向ヶ丘遊園

自分にとっては地元の西武電車よりも遅くまで現役であった分、一番身近な存在だった小田急の荷物電車、運行区間は徐々に短縮され、私が撮った時代は経堂から小田原・江ノ島間となり、その後江ノ島までは行かなくなって長後止まりとなってのも束の間、1984年の3月末で廃止となりました。
奇しくも、ちょうど私の学生時代の終焉と時を同じくしていました。

10 comments:

モハメイドペーパー said...


 この頃は荷電が3形式7両いたから、いろいろな組合わせが見られたわけですね。個人的に1300はデニよりデハの時代を長く見ているので、3連の新聞電車を模型で再現したいと考えています。

Cedar said...

イワキ鯨川邸が豪徳寺だったので、馴染みあった小田急荷電。
1300のペーパーボディがzombiesに混じってたかも?

みかん said...

現役時代を生で見ることは叶いませんでしたが、幼い頃、廃車体が海老名に放置されているところを見つけて興奮した思い出があります。

取って付けたような小田急顔とシル・ヘッダー・両開き扉の組み合わせなど、ゲテモノ要素が多いのに可愛く見える電車だと思います。
新宿に用事があった時に鉄コレを衝動買いしてしまいました(汗)

chitetsu said...

モハメイドペーパーさん
小田急の荷電は組み合わせが面白かったですね。
3両編成はそれなりに迫力がありました。
デニ1300はどんなところから両開きで更新したのでしょうかね。既に先を読んでいたのでしょうか?

chitetsu said...

Cedarさん
小田急荷電はイワキさんの地元電車でしたね。
ゾンビ1300、発掘してください!

chitetsu said...

みかんさん
廃車後海老名に残っていたのですね。
経堂に教習車も移動していたという事最近知りました。
行けば良かったです。

レサレサ said...

この車両(デニ1300)、Nだと一応鉄コレで出ているのですが、小田急名義で販売しているせいか公式サイトにない車両なんですよね。
(出来はいいのですが、自分としてはライト2つなど1976年以後の改造済みの姿なので、ちょっと新しすぎかなと思って購入しませんでした)

個人的にはこの車両の前世の荷物合造車デハニ151形の方が欲しいです。

chitetsu said...

レサレサさん
昭和初期の小田急車、出たら自分も欲しいです・・・。

すぎたま said...

こんにちは。
小田急荷物電車の色は、当初旅客車と区別するため、戦後は濃いグリーンに。しかし多摩の山、神奈川の山々の緑と同化して、保線の人などが危険という話が出て黄帯を入れたものの、やっぱり赤系の色に変更ということになり、なんと赤13号に。さらに視認性向上のために白帯を入れた、という流れだそうです(昔の雑誌に書かれていたように記憶していますが、何のどこだったかが…)。
ローズピンク(赤13号)の417系が、新製されて東海道線を自力回送している写真を見た記憶があるのですが、小田原で並んで…いませんかね(笑)。

1002は筑摩電鉄注文流れと言われる帝都クハ502の車体利用。したがって元は木製雑形客車?。1304は戦前よく皇族用に使われたモハ206の全焼車改造でしたね。

失礼いたします。

chitetsu said...

すぎたまさん
コメントありがとうございます。
随分視認性にこだわって来たのですね。
でもよもや交流電車色を選ぶとは、ですね。
来年もよろしくお願いします。