Tuesday, November 1, 2016

電車になってほしかった気動車,キクハ11

11月になりました。
今日は、11に因んだ車輛の話題です。

キクハ11 81.5.5 真鍋

関東鉄道→筑波鉄道のキクハ11です。
この気動車は数奇な運命を辿っています。
製造は1957年、日車製です。
新造時は客車として製造、ホハ1001と命名されました。
その後は、すぐにキサハ53と改番されています。
更に晴れてエンジンを積んでキハ511となりましたが、後にまたもやエンジンをおろしてキクハ11となりました。
そのスマートなスタイル、是非パンタを載せてあげたかった気がします。
実車は筑波鉄道廃止を待たずに解体されてしまいました。

模型ではパンタを載せて電車にして・・・。
いつか実現したいものです。

15 comments:

  1. モハメイドペーパーNovember 1, 2016 at 1:57 PM

     このスタイルはどう見たって電車ですね。前面なんか小田急のクハ1650にそっくりです。そのうち地鉄にデビューするのでは。

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  2. キクハ11は典型的な「日車型車両」の形なのですが、昭和32年登場の割には「古い日車型」で、当時日本車両が「初期新性能車両」でもある「日車型ロマンスカー」を売り込んでいた中で、その流れを無視したような形態なのが変わっています。

    実は最近の「我が心の飯田線掲示板」でこの「キクハ」の「暖房」がどうなっていたか話題にしたことがあります。気動車の暖房はエンジンの冷却水を利用した「温水暖房」なので、エンジンが無くなると暖房もなくなってしまうことになるのですが、小田急クハ1650型から改造されたキクハ1形では「ウエバスト式暖房」が床下にぶら下がっていた、との証言がありました。ただ、同じく元小田急クハ1650形のキサハ65型やその他のキサハには床下に暖房装置らしいものが見られず、暖房装置については謎になっています。

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  3. モハメイドペーパーさん
    どこかの本に電車化も視野に入れて設計されたと書いてありました。地鉄電車化してみたいです。

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  4. 原口さん
    昭和32年の日車製車輌といえばノーシルノーヘッダーの初期高性能車が製作されたレベルですよね。
    どのような経緯でこのようなスタイルになったのでしょうか、興味あります。
    キサハ、流石に暖房なしではないでしょうね~。

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  5. はじめまして、こんにちは。この謎めいたキクハの素性を知る機会がごく最近あったので、ご参考になれば。
    原口さんが仰るように、この車は製造年からするとスタイルが古いのですが、どうやら屋根板に書かれた小田急の文字からするに、小田急で捨てられた車体を拾ったものであることは間違いないようです。
    http://naop.gozaru.jp/train/tsukubarr.htm
    そして、小田急1650型の中で、1958年に東急車両で車体を新造したクハ1651~1653のうち、上田丸子モハ5370形2両の更新で使用されず、余った1両分の車体が筑波に流れてキクハになったというのが、憶測ですが真相のようです。キクハの製造年は1957年であることからも、この説は信ぴょう性のあるものと思っていますが、本当のところはどうなのでしょうね。

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  6. 仲さん
    はじめまして。
    興味深い報告、ありがとうございました!
    キクハの屋根の垂木の小田急の記載は凄いですね。
    また、こんな点をちゃんと記録されている方がいるのも凄いです。
    時期的にもほぼ符合しますね。
    やはり訳あり車輌な感じですね。

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  7. ちょっと雰囲気が箱根登山のモハ1型や東濃モハ101といった初期東芝車に似ているような気もします。
    地鉄電車にすんなり溶け込みそうですね。

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  8. 仲さんの小田急の文字が書かれた屋根の話は凄い発見ですね。
    ところで、キサハ53時代の写真を見ると、この頃は乗務員扉がありませんでした。
    昭和35年にバス用の日野DS40-B2ディーゼル機関が載せられてキハ511となるわけですが、このエンジンは前年登場した筑波線のキハ500形と同じものです。
    Wikipediaによると、ステップレスのキハ500形は床面を下げるという目的で採用したとあり、天地寸法が大きいDMH17系は使えなかったようです。
    なお、後続のキハ800形とキハ900形は横形(水平シリンダー形)のDMH17Hが開発済みだったため天地寸法を小さくしたこのエンジンを採用しています。
    寺田裕一氏の著書によると、キハ500形は乗入先の国鉄気動車との回路の違いで総括制御不能で、総括制御可能なキハ800形が投入されると乗入はこちらに変更されたとあります。
    ということは、キハ500形はDMH17系のキハ800形や総括制御改造した既存車とも総括制御出来なかったと思われ、そのためか常総線に転属したキハ500形は昭和43年にロングシート化と同時にDMH17Hに交換されています。
    この時点でキハ511が総括制御出来る相手は常総線から無くなったはずで、これが昭和45年にエンジンをおろすことになる一因かもしれません。
    本題から話がそれてしまい、すみません。

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  9. 三等急電さん
    コメントありがとうございます。
    総括制御できないとなると継子扱いされてしまうのも止むを得ないですね。
    平坦線であればキクハでも十分行けるからエンジンおろしたのでしょうね。
    キサハ時代の写真、私も見たことがあります。
    そのスタイルは逆に不自然だった気もします。

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  10. この項でははじめまして。すぎたまと申します。
    原口さんのご紹介で、飛んで参りました(笑)。

    常総筑波キクハ11形の屋根垂木に、「小田急」の文字が書かれている画像、私も確認いたしました。
    小田急のクハ1650形の旧車体が、利用されているのではないかという説ですが、私は少々懐疑的です。
    1.小田急クハ1651-1653の車体取り替えは、東急車輌で昭和33年になされているので、年にずれがある。
    2.台車は、新製車体に流用されている(TR11)ので、現車を回送しての工事と考えられ、2輌分を碑文谷に送る一方、残りを日車東京支店まで運ぶだろうか。
    3.小田急クハ1651-1653は、表向き帝国車輌と東京工業所で、雑形木製客車からの製作ということになっているが、実際は小田急相武台工場への出張工事であり(ピクトリアルの記述による)、事実タネ車の台車は経堂工場仮台車として居残った。そのため、タネ車を小田急に運んで来て工事は間違いないと思われ、小田急の工場を借りて工事するのに、わざわざ「小田急」と書くだろうか。
    4.キクハ11の解体中の画像を載せているブログがある(ttps://okiraku-rm.blogspot.jp/2015/09/blog-post_28.html。頭のhは抜きました)が、そこの台枠が見える画像では、リベットが使われておらず、木製車の鋼体化に特徴的な横梁の延長のあとが見られない(ように見える)。
     …一応ざっと見て、その他古い写真を観察しての考えですが、一方、クハ1650形改造説を推す証拠もありますね。
    それは、
    1.全長、全幅、屋根高さなどのデータがほとんど一致する。
    2.連結器が両側ともシャロン1穴タイプであり、一応クハ1653と共通する。
    3.ステップの切り方が、台枠横側張り出し部のみ切断して、その下面をステップとしたとすると、鋼体化台枠として矛盾は無い。
    4.ドアの形状は、クハ1652と一致する。

    ボギーセンター間距離がわかるといいのですが…。むしろ、私は小田急の注文流れかとすら思いましたが、さすがにそれは考えにくく…。

    一応、「我が心の飯田線」掲示板に、戦後間もなくのクハ1652号画像を貼り付けますので、何かのご参考になればと思います。

    失礼いたしました。

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  11. この項でははじめまして。すぎたまと申します。※うまく投稿できなかったので再投稿です。すみません。
    原口さんのご紹介で、飛んで参りました(笑)。

    常総筑波キクハ11形の屋根垂木に、「小田急」の文字が書かれている画像、私も確認いたしました。
    小田急のクハ1650形の旧車体が、利用されているのではないかという説ですが、私は少々懐疑的です。
    1.小田急クハ1651-1653の車体取り替えは、東急車輌で昭和33年になされているので、年にずれがある。
    2.台車は、新製車体に流用されている(TR11)ので、現車を回送しての工事と考えられ、2輌分を碑文谷に送る一方、残りを日車東京支店まで運ぶだろうか。
    3.小田急クハ1651-1653は、表向き帝国車輌と東京工業所で、雑形木製客車からの製作ということになっているが、実際は小田急相武台工場への出張工事であり(ピクトリアルの記述による)、事実タネ車の台車は経堂工場仮台車として居残った。そのため、タネ車を小田急に運んで来て工事は間違いないと思われ、小田急の工場を借りて工事するのに、わざわざ「小田急」と書くだろうか。
    4.キクハ11の解体中の画像を載せているブログがある(ttps://okiraku-rm.blogspot.jp/2015/09/blog-post_28.html。頭のhは抜きました)が、そこの台枠が見える画像では、リベットが使われておらず、木製車の鋼体化に特徴的な横梁の延長のあとが見られない(ように見える)。
     …一応ざっと見て、その他古い写真を観察しての考えですが、一方、クハ1650形改造説を推す証拠もありますね。
    それは、
    1.全長、全幅、屋根高さなどのデータがほとんど一致する。
    2.連結器が両側ともシャロン1穴タイプであり、一応クハ1653と共通する。
    3.ステップの切り方が、台枠横側張り出し部のみ切断して、その下面をステップとしたとすると、鋼体化台枠として矛盾は無い。
    4.ドアの形状は、クハ1652と一致する。

    ボギーセンター間距離がわかるといいのですが…。むしろ、私は小田急の注文流れかとすら思いましたが、さすがにそれは考えにくく…。

    一応、「我が心の飯田線」掲示板に、戦後間もなくのクハ1652号画像を貼り付けますので、何かのご参考になればと思います。

    失礼いたしました。

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  12. すぎたまさん
    コメントありがとうございます。
    何故かスパムと認識されて頂いたコメントが表示されなかったようで、失礼しました。
    解体中の画像、クハ1652の画像も拝見しましたが、タイミングや工事場所を考えると微妙ですね。
    一年のズレは年度の処理の仕方を含めて書類上発生したこともあり得る気もしますが、何とも言えませんね。
    どちらにしても、まったくの新製でなく何かしら流用して製造された気はしますね。
    ただ、意味もなく小田急と書かれてもいない気もしますし、謎が深まるばかりですね。

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  13. 宵闇さん
    お返事抜けてしまいました、すみません。
    戦後のひと時代のスタイルに共通する部分がありますね。
    ひょんなことからペーパーキットが昨晩私の手元に来ちゃいました。

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  14. chitetsuさんこんばんは。

    私も投稿からあれこれ考えてみましたが、件の「小田急…-14」という文字は、いわゆる「マジックインキ」で書かれているように見えます。マジックインキの発売は、昭和28年。当時はほとんど売れず、軌道に乗るのは昭和32年頃からのようです。
    そうすると、小田急時代に書かれたということは無さそうですね。
    なぜ「小田急」と書かれているのか。無関係の車輌に書く意味は無い…。キクハ1形やキサハ65形との関係も考えましたが、結局わかりませんね。なんでしょうかねぇ…。何か理由があって書かれたには違いないわけですし…。

    やはり小田急クハ1650形旧車体とは、他にも幕板の広さ、台枠の厚みなどが相違しており、それがタネ車とは思えませんが、登場年と外観の古さからして、どこかの注文流れか、または中古車体利用などの特殊な事情があることは間違いないと思われます。
    注文流れ関連では、帝都電鉄クハ500形→1輌は小田急クハ1551→デニ1002が、筑摩電鉄の、おそらくは木製雑形客車鋼体化車の注文流れで、製作年度はずっとさかのぼるものの、帝都に納入時は、おおよそ帝都タイプになっていた事例などがありますね。

    失礼いたします。

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  15. すぎたまさん
    小田急と書くということは、どこか別の場所で識別するためでしょうから、やはりどこか車輌工場で書いたのではないでしょうか?
    もしかすると一部部材の転用とかという可能性も考えられますね。

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