翌日は残念ながら帰京の途に。
16.7.10 桃山台 |
日本離れした風景で地下鉄と並走します。
16.7.10 長岡京 |
新幹線開通以来、色々な絵本で登場したここも通過。
これですね。
803 16.7.10 上栄町ー浜大津 |
ここに到着しました。
16.7.10 上栄町ー浜大津 |
一個人宅のためだけにえらく丁寧な踏切がありました。
803 16.7.10 上栄町ー浜大津 |
1997年の京津線地下化以後、初めて来ました。
810 16.7.10 上栄町ー大谷 |
逢坂山を越えます。
814 16.7.10 上栄町ー大谷 |
くねくね走る電車は良いですね。
807 16.7.10 浜大津 |
浜大津も久し振りです。
612 91.12.17 浜大津 |
前回の浜大津訪問はいつだったかな?
割と最近行っていた気もしたのですが・・・・。
と調べたら1991年でした。
何と四半世紀ぶりの浜大津でありました。
17 comments:
うわああああああああああ!
絵本、でたー!
セドリックとキャデラックやないかー!
しかもお電車は2本とも試作編成(大糞核爆)!
オレのヤツは量産車+パブリカやったけど、アレは絵本ではなく写真だったかも・・・・
絵本が出たのにはびっくりでス。やられましたね!
Cedarのわがままで立ち寄った京津線も、やっぱりよかったですね。
地下鉄並走なんてまるでシカゴ郊外、セドリックが泣かせますねぇ( ´ ▽ ` )ノ
勝手踏切ではないあたり近隣住民を大切にする会社の姿勢が伺われます〜
おまるこは京都国際会議場に時折用事があるんですが、
お高い京都には泊まらないで浜O2の投与コインに投宿します。
もちろん電車に乗りたいだけということもあるんですが…
なぜか絵本の方(?)で盛り上がってるようですが・・
片隅に「新東海道線」「超特急」って書いてあるのが時代を感じさせます。
0系新幹線なんて名前は当時はなかったですからね。
50年経った今でも0系は知名度は高く、例の世界鉄道博で走らせていると
お客さんのほぼ100%が「あっ0系だー」って叫びますから!
当時は大嫌いだった0系でしたが、今でも色褪せないデザインは、80系や151系と並ぶ
名デザインのひとつですね。
ちなみに京阪の方は全く守備外でした。。。
この間タモリ倶楽部で盛り上がっていたのでぜひ行ってみたいですね。
輝け!わんわん殿
この絵本を見て子供の頃はえらくコーフンしたものです。
写真もどこかで見た気がします。
Cedarさん
皆さんの後追いの劣化版になるんで、ちょっと手口を変えました。
京津線、よかったですね。
しるねこさん
地下鉄が道路の間を走るって、まるでアメリカですよね〜。こう言う風景はなぜか東京では見られないですね。
おまるこセンセ同様、私も全国の投与コインにお世話になっています(^o^)
通りすがりの64さん
細かいところまで見ているのはさすがですね!
この絵本の時代はまだ夢の超特急の時代ですよね〜。
0系は本当に知名度高いと実感します。
今からもう40年以上も昔、「大阪万博」の行きがけに立ち寄った浜大津界隈の光景は、まだはっきり覚えています。このときは結局電車には乗れなかったのですが、当時は浜大津の駅が京津線と石坂線とで別々になっていて、三条方面から来た電車がいったんスイッチバックして石坂線のホームにまた停まり、石山寺方面へ向かって行く姿は不思議な光景でした。浜大津の駅が一つになり、京都側から石山寺まで直通できる線形になったのに、京津線は浜大津止まり、同じホームで乗り換えできるとはいうものの、かえって後退してしまったという印象になったのは残念です…。
浜大津から三井寺寄りの、狭い道を身をくねらせて通り抜けて行く電車は、20年あまり前の琵琶湖畔一周の道中で、写真も撮っていました。
写真はココで見たのかもよ(笑)
http://blogs.yahoo.co.jp/de_eb_zzzz/31833555.html
ちなみに「新東海道線」と書かれている根拠も↑の記事だと納得です。
伊豆之国さん
浜大津の駅は折角統合したのに石山寺直通が無くなったのは残念ですね。
すでにその頃は輸送需要に陰りが見えていたということでしょうか?
赤影さん
あはは・・・。
そうかもしれませんね(笑)。
新幹線は東海道線の別線複々線化でしたものね。
一番上の写真の道路と並走する北大阪急行の「日本離れした風景」ですが、サンフランシスコの「BART」を思い出しました。
BARTがサンフランシスコ国際空港まで延伸した時、線路は主に高架で作られたので、「第3軌条の高架線」になっており、空港からサンフランシスコ市街までの間、Balboa Park(MUNI Metroの車両基地があるところ)まで高速道路と並走しています。BARTに乗っていても、架線が無い高架線なので、日本で見る風景とは駅の雰囲気などかなり感じが違います。
ちなみにBalboa Parkから少し南にMUNI METROの併用軌道を登ったところにBARTの線路をまたぐ歩道橋があり、BARTの列車を撮影するスポットとしてサンフランシスコへの出張時にしばしば出かけています。
この場を借りて、前の書き込みの追加報告をしたいと思います。
京王電鉄の明大前駅の話題の時に、都営新宿線新10-300形の総合車両製作所横浜工場での新製の状況を報告しましたが、先の「トレーラーに載せられて待機している」の報告の直後に別の編成が工場内に出現して、今月初めにトレーラーに載せられて搬出されました。さらに、また別の編成が工場に出現し、現在本線すぐ横の留置線に待機しています。
東京都交通局の広報によると、新宿線新10-300型は今年度に5本、来年度に5本投入の予定とのことですが、今年度だけで5本かそれ以上落成しているのではないかと想わせるほどの早い製造ペースで、「来年度予定車も前倒しして投入することに変更されたのではないか」と思わせるほどです。
東京都交通局に関連して、「浅草線の新車」が「総合車両製作所横浜工場」へ発注された、という情報を見ました。浅草線の新車の方は2015年度投入予定だったのが2017年度に先送りされましたが、乗り入れの事情から、
形態は「京急新1000形1800番台にかなり近くなるのではないか」と考えられます。
京急デハ233型ですが、久里浜車庫とホビーセンターカトー東京の他、もう1両の保存車だった川口のデハ236が「譲渡先を募集」しています。これまで解体や車体の搬送がされなかった最大の理由が「周囲が建築物で取り囲まれている」ことだったのですが、建物の解体が始まるため、「車体を運び出すことが可能になった」ことによるものです。この辺りは逆の例ですが、東武博物館への5700形の搬入が「隣の建物の立て直しのために搬入経路ができた」ことにより可能になったことと似ています。譲渡の条件ですが、譲渡自体は「無償」ですが、移動費用は自分持ちであること、建物の解体と跡地への新築の合間に搬出すること、との条件付きです。
かなり前のページですが、富山港線のクハ79928の雨樋縦管が「外付け」になっていることの記載を見ました。
この雨樋縦管の外付けですが、間違いなく「冬季の雨樋縦管内での水の凍結」による縦管の破損が原因で、北海道の車輌の多くが雨樋縦管を外付けにしていることと同じ理由です。
「いつ工事されたか」ですが、RP83-11号の昭和49年10月10日の写真(クモハ40076の向こう側ですが、当時はクハ79920台はまだ79928だけでした)で、まだ雨樋縦管が追加されていないことがわかります。工事が行われたのがクハ79928だけだったのは、「この車だけが昭和42年の1500V昇圧時から在籍しており他の車よりも10年近く富山港線での経歴が長かったため」と解釈できます。
原口さん
諸々コメント、ありがとうございます。
新宿線の代替は早くなりそうですね。
最近、10-000はすっかり減ってきた気がします。
東武博物館の件はそんな理由があったとは知りませんでした。
川口のデハ230、いい引き取り手が見つかると良いのですが。
併用軌道では珍しい1500V電化区間ですね。
おそらく、日本唯一ではないかな?
過去には、山陽電鉄の兵庫~西代や新潟交通の県庁前~東関屋がありました。
近鉄奈良駅周辺が気になりWikipediaの年表を調べたら、昇圧から地下切替までの2か月半が1500Vの併用軌道だったようです。
Post a Comment