そんな用事の帰り道に盛岡運転所に立ち寄りました。
盛岡運転所は前年まで盛岡客車区と呼ばれておりましたが、その客車区には肝心の客車は既に引退しておらず、気動車ばかりになっており、2000年に 盛岡運転所に改称されています。
更に名称は変更され、今は盛岡車両センターと呼ばれているようです。
01.1.16 盛岡運転所 |
構内のはずれから見た様子です。
花輪線、山田線などに運用される盛岡色の気動車が並んでいます。
キハ52154 01.1.16 盛岡運転所 |
特別保全工事を受けたために赤鬼塗装にならなかった数少ないキハ52です。
キハ581525 01.1.16 盛岡運転所 |
逆にキハ58は赤鬼率が低かったです。
キハ5875 01.1.16 盛岡運転所 |
ここで貴重な存在だったのは急行色を纏った唯一の編成。
訓練車編成です。
この時はその後に復刻塗装が出現するとは思いもよりませんでした。
キヤ281 01.1.16 盛岡運転所 |
キハ28のほうは改番されています。
背後には飯山線塗装のキハ58が。
このキハ58は飯山線から小牛田に転属して陸羽東線で活躍していましたが、なぜか盛岡に来ていました。
既にキハ58系列は断末魔の状態でしたので、検査回帰を考えての転配かなと思ったのですが。
その後花輪線列車に組み込まれるのかと思いましたが、きっと走らずじまいだったのではないかと思います。
4 comments:
以前コメントした冷房準備車のまま残ったキハ58パノラミックウィンドウ車の画像をUPしていただき、ありがとうございます。
見た目は国鉄形ですが、JR東日本の気動車は火災事故をきっかけにDMH17系エンジンの使用をやめ全車を新型エンジンに置き換えています。
国鉄時代は、電車では新車を主要幹線や大都市圏に投入し→地方幹線→ローカル線へところてん式に旧型国電を追い出す一方で、気動車では新車をローカル線に直接投入することが少なくありませんでした。
しかし、JR東日本になると電車ではローカル線にも新車を直接投入する一方で、気動車はいろいろな路線を転々とすることが多い気がします。
三等急電さん
東日本の冷房準備車の多くは冷房改造することなく、最後まで活躍しました。
エンジン換装のおかげか、それなりに走れるようになった感じで、車内も結構静かでしたね。
電車に比べると気動車は結構淘汰が後回しにされている感じですね。
中にはこの塗装で福知山へ応援に行った車両もいるかもしれませんね。
http://photozou.jp/photo/photo_only/192058/225284875?size=1024#content
全国(北海道を除きますが)統一規格の成せる技でしたが、今は出来ない手段となってしまいました。
12号線さん
そう言えば、あの時はそういう応援があったのですね。
今や各社各様のオリジナル車輌主体ですから、融通性は無くなってしまいましたね。
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