クモハ11244 80.5.25 八丁畷 |
八丁畷を発車したクモハ11形。
やる気ゼロモードの車掌さんが時代を反映していますね。
クモハ11244 80.5.25 八丁畷 |
1980年代になってもこのような電車が都内から近い場所で毎日動いていたのは、今となっては信じられない気がします。
しかし、残念ながらこの沿線は全く風光明媚でなく、絵にならない路線だったのが玉にキズでした。
クハ16215 80.5.25 八丁畷 |
この日の相方のクハは30系電車改造の200番台でした。
クハ16003 78.4.7 川崎新町 |
沿線は工業地帯で、殆ど引きの無い風景が続きますが、川崎新町付近に空き地がありました。
昔の漫画で良く出てきた子供の遊び場になっていた空き地の風景です。
クモハ11222 78.4.7 川崎新町 |
空き地脇のマンションから撮影した南武線電車。
クモハ11222 78.4.7 川崎新町 |
水溜りいっぱいの空き地。
子どもたちが自転車で遊びまわっていて、その歓声が響き渡っていました。
クモハ11222 78.4.7 川崎新町 |
夕陽を浴びて走る戦前の古豪。
時は初の共通一次試験受験を控えた高3の春。
しかし、私の頭には全くもって大学受験の4文字が浮かばない平和な春でした。
ゆえに、この写真を撮ってから脳天気に家路についたのでありました。
18 comments:
まだまだ東京都心でも釣り掛け電車が当たり前の時代ですが、南武線の線路を走る旧国は鶴見線よりもローカルムードが漂っていて、白昼夢のようですね。
こんな風景が昭和56年まであったとは信じられないです。
一枚目の写真を見ていると幼き頃によく乗りにいった伊豆箱根大雄山線を思い出しました。
私の場合、鶴見線は車両が変わる、という時期にしか行ってないですね。17m車がいた頃、海芝浦から新芝浦まで、線路っ端を歩いたことがあります。
宵闇さん
南武支線は首都圏の街中を走っているとは思えないローカルムード満点の路線ですね。
残念なのは、沿線風景がイマニなのであまり立ち寄らなかったことです。
モハメイドペーパーさん
海芝浦で降りれたということですね〜!
電車を降りるとこっちを睨む警備員の印象が強烈に残っています。
海芝浦に釣竿を持って行った小学生のオレタチ・・・(汗
南武線・鶴見線のイマニ・イマサンな沿線風景が好きで、高校時代に何度か通いました、鉄写真の題材というより油絵の写生に行ってたんで・・・なんと美術部で『工場地帯』っていう連作を描いてましたから!
当時の高校には鉄研はできてなく、1年の終わりに、NEKOさんでも活躍してる同級生Sがイワキ鯨川なんかと創部し、Cedarも入会しました。
そっちでも行った鶴見線・南武支線~同じ場所でも、スケッチブック持っていくのとカメラ持っていくのでは気分が全く違いましたね。
赤影さん
気の短い小生にとって、釣りはどうもうまくいきませんでした。
でも、電車見ながら釣りというのも良いですよね。
Cedarさん
ありゃ、美術部の作品が工業地帯ですか!!
これはまたマニアックというか、どこかに意思が働いていそうなお題ですね!
母校の鉄研は息子が受験の時に拝見しました。
なかなか頑張っていましたよ。
小学生の頃は京浜工業地帯の公害が深刻で、光化学スモッグなんかも頻繁に発生し、
大気中の化学物質の影響で横浜にも薄いオレンジの雨が降ってきた事がありました。
この雨に濡れると禿げるらしいと、当時のガキどもはまことしやかに言っていて、
丁度タイムリーに、野口五郎の『オレンジの雨』(公害の歌じゃないです)が流行っていました。
と言うわけで、この沿線のイメージは極端に悪いものだったこともあって食指が動かず、
南武線支線は101系になってから初めて乗りました。
それにしても、今見ると地方のローカル電車(元々は都落ちですが)っぽい17m級の旧車が、
ぺんぺん草の生えたみすぼらしい単線でなく、重量級のEL+貨物用の立派な強化軌道を走る姿が、
何ともアンバランスで面白いですね。
11系時代の南武支線は日中はあまり本数がなかったような記憶があります。自分の記憶は矢向で昼寝している姿か浜川崎に停車中のものしかありません。それにしても当時は高い建物もなく、広い空き地があり、豪快に遊ぶ子供たちなどいいですね。これから30年あまりたって新駅ができるとは驚きです。
南武支線の17m国電は、鶴見線73系末期に一度だけ乗りました。
本数が少なく好撮影地もなさそうなので、写真は撮りませんでした。
当時は情報が少なく、気付いた時には101系に変わり再度の乗車は叶いませんでした。
4枚目の写真ですが、「クハ16003」の方です。
浜川崎線の17m車のうち、経歴で注目されるのが「クハ16215」です。この車は車号をさかのぼると
クハ16215 - クハ16109 - クハ38063 - モハ30023 - デハ73223
となるのですが、デハ73223は昭和元年12月30日に落成した3両の「最初のデハ73200型」、すなわち、「鉄道省が製造した最初の鋼製車」の一員になります。これは、客車の方の最初の鋼製車の後のオハ31形の最初の落成は昭和2年3月21日のためで、「最初のデハ73200型」の他の2両が昭和34年までに廃車になってからは、「最も経歴の古い旅客用営業車」として昭和55年まで走り続けたことになります(鋼体化車の木造車時代は除く)。
ジモティーさん
おっしゃる通り、沿線のイメージは決して良いとは言えない場所でしたね。
走る車輌は魅力的でしたが、沿線風景はあまり魅力的で無かったので、私も撮った回数は少ないです。
toboさん
列車本数はかなり少なかった気がします。
電車が来るのを待っている間に何本も貨物列車が通過しているのが撮ったネガでもわかります。
空き地で子供が遊ぶ風景、今ではあまり見られなくなりましたね。
三等急電さん
そう言う方が多いのではないでしょうか?
私もこの写真以外は尻手か浜川崎の駅撮りのみです。
原口さん
ご指摘、ありがとうございます。
クハ16は003ですね。
訂正しました。
30系の最古参車輌が最後まで残ったというのも運命のいたずらでしょうか。
あらためて見ると何とも面白い画像ですね。
林立する真新しい架線柱に高規格な高架線やガーター橋、そして高圧線の鉄塔など、
周りを取り巻く施設・設備がヘビーデューティーな外観で、重工業地帯の沿線を物語っています。
そしてその中をポツンと行く、73系よりももっと古めかしい短編成の小さな茶色い旧型電車。
この違和感がとてもいいですね。
今見ると沿線風景もイマニでもなく、17m車を絡められたからこそ貴重な記録になったように思います。
この何とも言えない時間を超越したような感覚が最高で、不思議な世界の写真のようです。
ジモティーさん
元々が貨物のための路線のオマケのような旅客輸送だったので、このようなちぐはぐな光景が生まれたのでしょうね。
写真を撮った時は、どうにもならないなあ・・と思いながら撮り、ずっとそのまま放置状態でしたので、世の中へ晒すのはこのタイミングしかチャンスが無い気がして出してみました。
お褒めをいただき、恐縮です。
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