Friday, June 24, 2016

当たり前だった駅風景


駅の待合室で待っていると「ゴンゴン」という音が聞こえ、程なくして駅員さんが事務室から改札へ。

『これから下り列車の改札をはじめます』の声と共に改札を始める。

お客さんが下りホームに移動してしばらくすると、駅舎からタブレットを持った駅員さんがホームへ。

ホームでタブレットを持って待っている駅員さんの向こうの山の麓から前照灯を灯した列車がゆっくりと駅にやって来ます。

到着した列車の運転手がタブレットを交換して、駅員さんの発車合図と共にゆっくりと列車が動き出し小さくなってゆく。

列車が発車するのを待ちわびた乗客が構内踏切を渡って駅舎へ。

駅員さんも列車が走り去るのを見届けて、駅舎に戻る・・・・

そのような光景は、明治以降近年まで全国各地で毎日当たり前に繰り返されていました。
当たり前すぎて、気付いた時には無くなっていて余り真剣に記録していない風景です。



本日はたまたま暇つぶしのように撮ったそんな以前は当たり前だった光景をどうぞ。



89.5.13 丹後山田

場所は宮津線の丹後山田駅です。
同線は日本国有鉄道、JR西日本、北近畿タンゴ鉄道、そして 京都丹後鉄道と変遷を辿っていますが、我々の年代には、国鉄宮津線・加悦鉄道の接続駅というイメージが強いのではないかと思います。

遠くからゆっくりと列車がやって来ます。
本線がYの字に分かれる配線は進入速度向上の改良で、今は少なくなって来ました。

89.5.13 丹後山田

駅員さんが列車を注視する光景はもう都会でしか見られなくなって来ています。

キハ283016 89.5.13 丹後山田

キハ58系も当時は相変わらず全国区のポピュラーな存在でした。

キハ283016 89.5.13 丹後山田

到着しました。
どのような列車だったのか忘れてしまいましたが、臨時列車のようです。

キハ283016 89.5.13 丹後山田

今や希少なタブレット交換風景も当時は未だ当たり前な風景でしたね。

キハ581109 89.5.13 丹後山田

ゆっくりと列車は走り去っていきました。

 89.5.13 丹後山田
当時の駅舎です。
今は建て替えられているようですね。
丹後山田駅は、北近畿タンゴ鉄道への宮津線移管の際に駅名が野田川に改称され、更に京都丹後鉄道への移管の際に現在の与謝野に駅名が改称されています。
これだけ短期間に猫の目のように駅名が変わったのは珍しいのではないでしょうか。


12 comments:

  1. モハメイドペーパーJune 24, 2016 at 3:35 PM

     都会育ちにとって、ホームはいつでも自由に出入りできるものと思っていました。ホームから撮影したいのに、列車の到着ぎりぎりまで改札を始めない駅もあって、やきもきしたものです。地元の子供なんかは自由に出入りしていたのに。

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  2. 電化前の山陰線でも、ちょっと京都を離れるとこんな感じでしたよね。
    1989年と言うとバブルの真っ盛りで、巷ではジュリアナのお立ち台なんてバカ騒ぎしてた頃でしたが、
    地方では未だこんな風景が当たり前だったんですね。

    小学生の頃(昭和40年代の中頃~後半)には、長崎本線特急停車駅の佐賀駅でも、
    列車の到着前に改札口に駅員が立って、改札を始めていた事を記憶しています。
    同じ頃、首都圏から近い東海道線の沼津駅も、昼の列車本数が閑散な時間帯には同様で、
    改札が常時開いてなかった(記憶が定かではありませんが)ように思います。

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  3. 高崎線の籠原駅では昭和50年代までは列車が来ると改札を始めていました。待合室で改札が開くのを待っていたのを覚えています。当時の列車本数は日中は1時間2本程度(うち1本は籠原折り返し)だったのですが、59-2から60-3にかけての日中の列車の増発(大まかには、7+4の11両編成2本の4両編成をまとめて8両編成を仕立てて、7両編成2本、8両編成1本の3本に仕立てて、1時間2本から3本に増発)が行われ、その後さらに増発されて、現在では日中でも1時間に6本(うち3本が籠原折り返し、湘南新宿ラインの特別快速と快速が1本ずつ、上野東京ラインが3本、上野どまりが1本)になっています。
    駅の改札口前の待合室は、おそらく列車の本数とは両立しないもので、列車の本数が多ければ「待つ」必要がなくなるため、居住性の良い待合室は必要なくなる、と解釈でき、モハメイドペーパーさんの話とジモティーさんの話からも事情が伺えます。高崎線では、籠原駅より南ではすべての駅が橋上化され、待合室の無い都会的な駅になっていますが、籠原より北では岡部、神保原、新町が在来の地上駅舎で、待合室が残っています。

    地方では首都圏ほど列車の本数が多くないので、改札は自動化されても待合室が充実しているところが多く、これまでの用務先では松江駅や山形駅が印象に残っています。

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  4. キハ58系について追記します。
    両方の車とも「パノラミックウィンドウ車」なのが珍しいと思いました。JRには移行していますが、まだ1989年なので、キハ58系は数が多かったはずで、確率的には平窓車の方が高くなるはずなので、2両ともパノラミック車なのはキハ58系の最末期は珍しく無くなりましたが、当時としては確率的に珍しいと思います。

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  5. モハメイドペーパーさん
    地方の駅では改札がいつ始まるかヤキモキしたものでしたね。
    場合によっては列車が入ってくるまで入れないこともあって、列車撮り損ねたこともありました。
    今となっては昔のことですね。

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  6. ジモティーさん
    同じ頃の山陰線の胡麻や和知あたりは良い雰囲気でした。
    ちょっと都会を離れると普通に見られた光景でしたが、今はすっかり変わってしまいました。
    というか、駅員さんが居なくなりましたね。

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  7. 原口さん
    籠原でもその位の本数だったというのは、すっかり忘れています。
    そういう意味では便利になったのですね。
    地方で列車待ちの間や場合によっては駅で仮眠とか、待合室には随分とお世話になったものです。
    冬場の地方の駅でストーブを囲んで時間をつぶしていたのを思い出します。

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  8. 原口さん
    パノラミックウインドウの2連、確かに綺麗に揃った編成は割と少なかったですかね~。
    どちらのスタイルも結構好きですが、平窓車のほうがこの風景には似合っていた気がします。

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  9. いやぁ懐かしいですねー
    上下列車が交換し2列車同時に改札をはじめる時のことが特に印象に残ってます
    それにしても丹後山田って今「与謝野」なんですか、しかも2度も改名!!
    「与謝野行ってきた」と聞いても「ソレどこやねん」って感じですね

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  10. 青春Mさん
    懐かしいでしょー、これって当たり前すぎた風景なのに今は見られないですね。
    野田川でさえピンと来ないのに、与謝野なんて、てんでわからんです。
    旧国名を冠した駅名って好きなんですが・・・。

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  11. 小学生の頃、地方の駅で入線する列車を撮影しようと思ったのに、改札で待たされていらいらしたものでした。
    駅名の変更は、度重なる町村合併による自治体名改名の関係ですね。
    平成の大合併では耳慣れない自治体名が増えたばかりでなく、範囲も広くなって自治体名だけでは場所の特定も難しくなりました。
    そして、鉄道会社名の方も宮福鉄道(宮津線引き継ぎ前)から2度変わっています。
    この駅は2度訪ねていて、加悦鉄道訪問時は国鉄丹後山田駅、加悦SL広場訪問時は北近畿タンゴ鉄道野田川駅でした。
    キハ58系のパノラミックウィンドウ車は「よん・さん・とお」の頃に造られたのですが、既に電化や長距離列車の特急シフトが進んで急行用気動車の需要が減り製造数は少なくなりました。
    冷房準備車として落成しましたが、北部東北に配属されたキハ58は勾配線対応のためキハ52とともに2エンジン車のみで運用され最後まで非冷房でした。

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  12. 三等急電さん
    平成の大合併で、全国どこへ行っても良くわからない自治体名が増えてうれしくないですね。
    中には信じられないおバカな名前もあってあきれちゃいます。
    私もこの次に行った時は駅名が野田川駅に変わっていました。

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