笹塚駅は都営線乗り入れに伴って高架化・大規模改修が1978年夏に完成していますから、この時はまだ出来立て間もない頃でした。
クハ2780、10-145、10-150、デハ5100形
80.4.10 笹塚
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笹塚では都営新宿線の車輌と顔合わせ。
新線の新宿までの区間は1978年の高架化時に既に開業はしていたものの、笹塚で相互乗り入れを開始したのはこの年の3月16日のこと。
この時は本来の機能開始からまだ一か月も経っていませんでした。
デハ2021、クハ6735、10-145
80.4.10 笹塚
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グリーン、クリーム、シルバーの電車が並んで、京王線にも新時代がやって来ました。
京王車は既にどちらも鬼籍入り、右の電車が余命僅かになっています。
さて、今の様子はどうでしょうか?
車輌は変わっても駅は変化無いのでは思って行ったのですが・・・・。
10-380,10-390
16.6.7 笹塚
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上屋の延伸ですっかりイメージが変わってしまっています。
左にあったマンションも建て替わっています。
これは予想外でした、というか・・・
その後も結構利用しており、駅構内の様子は見ているはずでも変化には気付かないものなのだ、と改めて思いました。
10-380,クハ9736
16.6.7 笹塚
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最近は笹塚から先の京王線への直通列車が随分と増えて便利になって来ています。
10-249 16.6.7 笹塚
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登場時はグロベン載せた変なステンレスカーと思ったこの電車も、鉄道ファンを読んでみると残り7編成にまで減少しているそうです。
こちらは6次車ですから、36年前の電車では無いものの既に代替時期に来ているのですね。
メトロ車の活躍の様子を見るともうちょっと長く使っても良いのでは?と思いますが、この辺りがお役所感覚なのでしょうね。
08.10.25 笹塚 |
6000系から9000系に置き換えの頃の笹塚駅。
偶然地下鉄乗り入れ車も含めて全て京王車です。
デハ2013 80.4.10 笹塚
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再び昔の写真で締めます。
2010系をはじめとしたグリーン車も普通列車の中核を担う存在でありました。
以上、変わっていなさそうだったのにそうでもなかった笹塚今昔でした。
12 comments:
京王にデハ5143なんて車いましたっけ?
自分の記憶にある限り笹塚から地下線に入るので、新宿方面の5100系釣り掛け車のかぶりつきで見る前面展望は迫力満点でした。これから地下線だとワクワクしたことを思い出します。
今では同じ車が東武2000系の独特なモーターの音を響かせて銚子電鉄をのんびり走る姿は別な意味で風情たっぷりです。
リクエストですが今度は昭和時代のの多摩センターや南大沢をお願いいたします。
宵闇さん
ご指摘の車番、確かにおかしいですね。
編成数からしてそんな番号付かないはずですね。
きっと私のメモのミスと思われます。
画像を拡大しましたが、車番不明でしたので、いったん車番は消しておきますね。
それでは、リクエスト画像を探してみますが、多分永山しか無かった気もします・・・。
期待しないでお待ちください(笑)。
車号不詳の5000系ですが、5100系で分散クーラー(ベンチレーターなし)だと5122、5123のいずれかということになりますね。
モハメイドペーパーさん
アドバイス、ありがとうございます。
そうすると、私がデハ5123の2を4と読み間違えた可能性が高そうですね。
前回の明大前と今回、和泉校舎は青春時代の1ページでしたね!
数十年ぶりに駅に降りてみたくなりました。
いつも「オフコース」が流れてたお世話になった明大前の雀荘・・
あの頃若かった店のお姉さん、横目で見ながら牌を打ってました(笑)
元気にいるかな・・・ぁ
都営新宿線で先頭車だけ走ルンです車に変えた編成ありますが、これも方針変換でその先頭車も含めて廃車だとか。
車齢にして10年だそうです。
以前の京王重機なら飛びつきそうな物件なのですが、中古車ビジネスからは手を引いたのでしょうか?
やまぐち号さん
和泉校舎時代の出来事は、まさに青春の1ページでしたね!
あの頃はオフコースがどこに行っても聞こえてくるような時代でしたね。
若かったお店のお姉さんももう還暦か???
12号線さん
走ルンです先頭車まで捨てるとは勿体ないですね。
てっきり真ん中にモーター付き走ルンですを作って入れ替えるのだと思っていました。
都税納税者としては湯河原の別荘同様どうも納得がいきませんね。
京王重機さんもモーター無しでは食指が動かない?
笹塚駅のビフォー・アフター、楽しく拝見しました。
車両関係はコメントを寄せた皆さんにお任せして、路線や運転関係について書かせていただきます。
新宿-笹塚は、1980年前後の約5年で大きく変わりました。
まず、笹塚駅の高架化・大規模改修と新線工事の完成に伴い、1978年10月30日に京王新線が開業し初台駅と幡ヶ谷駅はこちらに移りました。
各停のみ停車だった両駅は、旧線時代のグリーン車+一部5000系から6000系へと利用する電車が一変しました。
この時は都営新宿線が新宿まで達していなかったので、一部の笹塚以遠直通列車を除き新宿-笹塚の折り返し運転でした。
そして、chitetsuさんが紹介されているように1980年3月16日から相互乗り入れが始まりました。
当時の乗り入れは積極的とは言い難く、都営線内の急行運転などなく京王車は岩本町止まりでした。
さらに3年後の1983年7月17日に旧線の初台-笹塚も地下化され、地上線時代の幡ヶ谷駅の遺構が消えました。
現在、往時を忍ぶことが出来るのは旧線初台駅の遺構くらいになりました。
今後、開かずの踏切解消で笹塚以遠も立体化工事が行われるとのこと。
どうなるか、展開が気になります。
でも、もう撮りたい車両はいないなあ。(笑)
都営10-300系新型車ですが、現在金沢文庫の総合車両製作所横浜工場で急ピッチで製造されています。ちょうど今日の帰宅時、1編成がトレーラーに載せられて待機していました。今年度は5編成導入予定とのことですが、現在待機していたのはおそらく3編成目で、当年度の車両投入数が少ない場合は落成が年度末(年が変わってから)になることが多い(例えば、ここ数年の京成の新車落成は例外なく年が変わってからの1月以降)事から見ると、異例に早い時期から投入されていることになります。
私も10-300R先頭車が廃車になっていることが意外に感じたのですが、電気配管の変更がかなり面倒なことが一因として挙げられます。10-300Rは10-000に合わせて配線されているわけで、これを10-300新製車に合わせて変更するには配線を全て引きはがして引き直す必要があります。
また、最近の車は軽量化が進んでいるために改造しにくくなっていることも一因として挙げられます。昭和50年代後半の115系や485系の先頭車化改造は台枠ごと車体を切り落として製造済みの運転台ユニットを接合しましたが、新しい車では軽量化のために強度がぎりぎりになっており、台枠の切り継ぎを受け付けなくなっているらしいです。205系の先頭車化改造では、台枠の切り落としを行わずに運転台を接合しているようです。付随車の床下に動力車の床下機器をぶら下げることも、台枠の強度に問題があるようで、富士急行への205系の転用では、「クハ205の車体にモハ205の機器を移植して”クモハ”にする」という方法を取らず、「モハ205の車体にクハ205の運転台を移植して”クモハ”にする」という方法が取られました。
三等急電さん
笹塚までの各駅はおっしゃるようにあの時期前後で大変貌しましたね。
幡ヶ谷駅の地下化前後は電車の車内から興味深く見つめていましたが、何故か記録をしていません。
笹塚折り返し電車も何故か記録していません。
受験生時代でそのあたりの気持ちの余裕が無かったのかも知れませんね。
明大前、下高井戸あたり、このまま変わってほしくないなあ。
原口さん
最新情報、ありがとうございます。
最近新宿線をよく利用するのですが、この1年でも10-000も10-300Rもめっきり減ってきている気がします。その分走ルんですが増えているのでしょうが、それ以上にすごく京王車を多く見る気がします。
近年の電車は鋼製電車と違って改造が厳しいのですね。
合理的なような不合理なような、どこかすっきりしません。
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