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Sunday, May 22, 2016

奥羽本線 峠 1983年

奥羽本線の板谷峠にある「峠」駅。
1983年のゴールデンウイークに訪問した時の様子を428列車で追ってみました。

83.5.3 峠

今や新幹線であっという間に越えられる板谷峠ですが、それまでの在来線時代は福島側から、赤岩、板谷、峠、大沢と4駅連続でスイッチバック駅であったことは有名です。
スイッチバックが連続するということはそれだけ急峻な地形であったわけで、赤岩、峠の両駅は人家も無いような場所に立地する運転上の都合による駅といって良いでしょう。


ED78 6 83.5.3 峠


峠駅の近くでED78牽引の福島ゆき428列車を捉えます。

83.5.3 峠

列車は駅の下を通過後、スノーシェッドの中でバックして駅に進入します。

83.5.3 峠

スノーシェッドからゆっくりと428列車がバックしてきました。
写真手前の踏切が駅へのアプローチ道路になっています。
83.5.3 峠

駅へ入ってくる様子です。
連休中とあって、峠の駅も多くのお客さんで賑わっています。

オハフ332314 83.5.3 峠

最後尾はぶどう色のオハフ33。

オハ352840 83.5.3 峠

次は青色・キノコ妻のオハ35が続きます。

オハ472073 83.5.3 峠

3輌目は青色のオハ47、この編成で一番のハイグレード車輛?です。

オハフ332251 83.5.3 峠

機関車次位の4輌目が再びぶどう色のオハフ33です。

ED78 6 83.5.3 峠

峠駅は駅の配置が不思議で、列車が止まると駅に入れません。


83.5.3 峠

踏切を跨いで停車中の客車列車が再び前に向かって発車しようとするところ。

83.5.3 峠

駅前の建物はこの2棟と、この画面の右側にある峠の力餅の建物のみ。
あとはひたすら山、山、山です。

83.5.3 峠

1982年当時でもタイムスリップしていた峠の駅でした。


10 comments:

シグ鉄 said...

有名な峠駅が理不尽な駅だったとは!
後方に蓋を開けて階段登場タイプの構内踏切もあるようですが、それも客車が跨いでいます。
究極の駆け込み乗車防止策ですね。

chitetsu said...

シグ鉄さん
この駅の構内は不思議な配置でした。
駅の看板は誰も来ないスイッチバック下の本線側を向いていたり、列車が来ると構内踏切がシャットアウトされるあたりも不思議でした。
当時は旧型客車でしたから、最悪は反対側から飛び乗ってしまえましたが・・・。

三等急電 said...

理不尽な駅ですが、chitetsuさんが書かれているように運転上の都合による乗降客が少ない信号所並の駅かつ平坦な土地も少ないから、運転優先の構造にしたのでしょう。
さらに、普通列車本数が少なく利用客が早めに駅に来るでしょうから、駆け込み乗車するのは鉄ちゃんだけでしょう。
急勾配の幹線だった板谷越え区間からは多種の機関車がデビューしたました。
4110、E10、EF16、EF64、ED78、EF71と続きましたが、改軌で機関車列車は全廃となりました。

chitetsu said...

三等急電さん
基本的には信号場なのでしょうね。
普通列車は本数も少ないですし、実害はあまり無かったのだと思います。
あれだけ様々な機関車が奮闘したのが今では夢のようです。

ジモティー said...

板谷峠は、旧客フルセットの急行津軽と特急あけぼの(20系定期と14系ハザ臨)の、
合計3回程通ったたことがありますが、残念ながら夜行列車だったことと、
真夜中の板谷峠越えを見ようと思いつつ、いつも福島の手前で寝てしまい、
毎度山形停車時に目が覚める失態ばかりで、結局見れずに終わりました。
ED78とEF71の重連には実際に牽引されていますが、
夢の中のことなのでその牽き味も体感していません。鉄ちゃん失格ですね。

それにしても80年代前半には、50系ではなく未だこんな旧客ローカルが残っていたんですね。
何だか信じられない気分です。しかも40系列客車でなくオハ35がメインとは・・・・
今思うと80年代の前半~中頃辺りまでは、未だそれらのものが残っていたような気がしますが、
丁度この頃はバイクだ車だと鉄分が薄かった頃で、余り乗り鉄をしなかった事が悔やまれます。
しかし、ここまで古めかしいのなら、いっそ一つの鉄道遺産と言うか記念物として、
この峠駅と一緒に木造の建物も資料館兼食堂・喫茶店にして、この環境を保存して欲しかったですね。

あと、日本にもキノコ妻の客車があったとは知りませんでした。
タイ国鉄の鈍行用の3等客車には、丁度このキノコ妻のオハ35みたいな日本製の客車がありますが、
急行等に使用する鋼製3等座席車は、ナハ10タイプの日本製の軽量旧型客車が主体です。

chitetsu said...

ジモティーさん
夜行列車で通過してしまうとここは夢の中の時間帯ですね。
この当時は、旧型客車が最後の活躍をしている頃でしたね。
この後50系客車に置き換えられても客車列車を維持していましたが、客車は2輌ぐらいの小編成が多くなって詰まらなくなってしまいました。

青春M said...

こんにちは 
音が聞こえてきそうないい絵ですね〜 たまらんです
この立派なスノーシェッドにくらべて駅前建物、すさまじいですね

chitetsu said...

青春Mさん
本当にスノーシェッドの中から機関車のブロワー音が聞こえて来て、ちょっと不気味な感じでした。
駅前は、完全に秘境ですね。

Anonymous said...

こんばんは。
私は改軌された後にしか板谷峠を越えたことはないのですが、興味を惹かれ、元スイッチバックの4駅と関根駅を訪ねたことがありました。
往時の遺構が残り、在来線時代のレールなども錆びたまま残されていまして、スイッチバックの頃に訪ねることができたならと、想ってみたりしていました。
小ぶりであってもやはり「新幹線」である特急列車が、静かに走り抜けてゆく様子は、どこか景色とミスマッチで、不思議な光景に見えたものです。
またいつか旅したい路線です。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com

chitetsu said...

風旅記さん
改軌前に各駅ごとにスイッチバックする様は、当時も時代離れした風景でした。
そのスイッチバックのスノーシェッドを歩いてホームに行くというのも面白いです。