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Thursday, February 25, 2016

小淵沢の大カーブ

小淵沢と言えば、小海線の大カーブ。
大学の試験休みを使っての飯田線詣での帰り道に立ち寄りました。


キハ5728+キハ52101
83.2.18 小淵沢ー甲斐小泉

大カーブをゆく小淵沢ゆき列車。
築堤内外には一切の邪魔者が無く、スッキリしていて気持ち良いですね。

キハ5728 83.2.18 小淵沢ー甲斐小泉


先ほどの列車が戻って来ました。
夕陽を浴びて小諸へ向かう小海線列車。
普通のキハ58だと思ったら横軽対応のキハ57だったのはスキャンして初めて知りました。


キハ5820 83.2.18 小淵沢ー甲斐小泉

この後、ここを訪れていませんが、ネットなどで見ている限り今もきっとこんな風景が見られるようです。

8 comments:

Saka-j@松戸車輛 said...

ネタが枯渇しないのは、
自分より30上だからでしょうか?(笑)
毎度楽しく拝見しておりますm(_ _)m

東海道、身延と経由して、小海線へ、
同じ年に乗っていました。

小淵沢を発車してすぐに急勾配になりますが、
キハ57、2軸駆動でよく登れたもんだと感じますね〜

三等急電 said...

どこへ行っても見られるキハ58系は今一つ関心が薄かったのですが、今になって見直すといいもんですね。
急勾配の小海線は2機エンジン車のみの運行で冷房電源が確保できず、せっかくの冷房車も「空(くう)ラー車」状態でした。
民営化後のキハ110系投入で、やっと冷房車が走るようになりました。
東北地方北部の勾配線区で使われたキハ58系は、冷房準備車も含めて最後まで非冷房でした。

chitetsu said...

sakaーj@松戸車輌さん
ネタが枯渇しないのは、若い頃良く動き回っていたからかもしれませんね。
まあ、だんだん美味しいのは枯渇してきていますが。
小海線は2エンジンばかりと思っていたのですが、記録を見るとキハ57でした。

chitetsu said...

三等急電さん
私はどこでも見られる気動車や客車は大好きでした。
全国どこへ行っても似合うカラーリングは大したものだと感心します。

青春どM said...

こんにちは
小海線C56といえばココか野辺山の鉄橋、でも撮影効率の問題で行かなかったのが悔やまれます
この景色、気動車もいいですね 音が聞こえてきそうな画像です〜

chitetsu said...

青春どMさん
C56といえばここと、飯山線、そしてMさんの行った七尾線でしたね。
自分にとって小海線は数少ない蒸気列車体験をしたところだったので、特別な存在でありました。

ジモティー said...

小海線には、多分82年か83年の早春の頃に小諸から小淵沢まで初めて乗りました。
同時に横軽越えも峠の釜飯も初めて体験しました。
一緒に行った友達が大の気動車ファンで、上り勾配に喘ぐキハ58?に、
「スピードが全然出ません!」と大喜びし、軽やかな走りの下り勾配では、
「調子に乗ってんじゃないぞ、今に大変なことになるからな!」と揶揄し、
気動車ファンのくせに気動車をサディスティックに貶して喜んでいましたが、
本人はどーも気動車の非力なダメさ加減に屈折した愛を抱いているようでした。

沿線の雰囲気を味わってみたくて、清里で途中下車して休憩に喫茶店に入りましたが、
ドリンクメニューに『雲になりたい気分』とか『チッチとサリー』(カフェオレとミルクティーだったと思います)
みたいなのばかり書いてあり、仕方ないので清里高原ミルク入りの『雲になりたい気分』を飲みました。
あと、こんな物貰っても困るよな~と思うような乙女チックな変なお土産とかも大量に売られていて、
そんな所に男二人だと何かヤバイ関係と思われるのでは?と気まずい思いをした事を覚えています。

早春の残雪が残る小海線と国鉄時代の気動車。今となっては懐かしい思い出です。

chitetsu said...

ジモティーさん
国鉄時代の気動車は今の気動車と違って勾配に弱かったですね。
2個エンジンのキハ52,58でも勾配は喘ぎあえぎでしたね。
アンノン族が闊歩した清里は男だけで行くといかにも場違いな場所なのは今も一緒でしょうか?
でも、昔ほど賑やかでは無くなった気がします。
懐かしい思い出、ありがとうございました。