1981年の夏休みも私鉄電車行脚に向かいました。
この時に利用したちょっとユニークな夜行列車「はやたま」号乗車の記録です。
当時は客車列車の夜行列車は未だそれほど珍しいわけではありませんでしたが、その中で普通列車の夜行列車で寝台車連結されている列車が全国で3列車設定されていました。
一つは京都から出雲市間の「山陰」、もう一つは門司港から長崎・佐世保間の「長崎」、そして残りのもう一つが天王寺から名古屋間のこの列車です。
この3列車は、寝台車が連結されているために発券の都合から普通列車なのに列車名が付いたユニークな列車でした。
オハフ33 7 81.8.30 |
一晩お世話になったのはこのオハフ33形です。
今、この区間にロングラン普通列車が存在していたなんて信じられないですね。
当時の時刻表から |
それでは、当時の様子を振り返って見ましょう。
1981年版時刻表は生憎無かったので、手元に残っている1976年版の時刻表です。
ただし、この当時は特急南紀が無かったので列車名は「南紀」を名乗っており、私が乗車した時の「はやたま」ではありません。
「はやたま」921列車は名古屋を15:21発、亀山まで関西線、そこから紀伊半島を半周して終点天王寺には翌朝の5:00に到着するというロングランの普通列車です。
私は、内部・八王子線訪問後の四日市から乗車しました。
四日市発は16:16だったようです。
DD511036 81.8.30 亀山 |
牽引機はDD511036で、新宮まではハザのみの何の変哲もない普通の客車列車です。
列車名はついているものの、サボ受けには何も入っていません。
オハフ61 1520 81.8.30 亀山 |
それでは、つながっている客車を見てゆきたいと思います。
機関車次位は夜行列車なのに何と!オハフ61形。
シートピッチの狭い木の背ずりの客車が夜行列車で天王寺まで乗り入れていたというのはビックリですね。
オハフ33 331 81.8.30 亀山 |
二両目は多少グレードアップしてオハフ33形。
こちらには号車札だけが辛うじて差されています。
オハ46395 81.8.30 亀山 |
3両目はもう少しグレードアップしてオハ46形。
ナハ10 50 81.8.30 亀山 |
4両目は更にグレードアップしてナハ10形。
10系客車は近代的ではありましたがどうも乗り心地がイマイチで、どっしりした走りっぷりの旧型客車の方が好きで、乗車はいつも避けていました。
冬場は窓の隙間風が従来の35、43系列よりもひどかった記憶があります。
オハフ33 7 81.8.30 亀山 |
最後尾は再びグレードダウンしてオハフ33形の一桁の若番車。
私は車番が気に入ってこのオハフ33形にお世話になることにしました。
オハフ33 7 81.8.30 亀山 |
亀山まではこの5両編成で運転。
16:51に亀山に到着しました。
ここで向きが変わるので小休止です。
スユニ61 30 81.8.30 亀山 |
亀山でスユニ61形を増結。
81.8.30 津 |
向きを変えて亀山を発車。
津には17:33到着です。
モ1817 81.8.30 津ー津新町 |
津を出たところで、近鉄電車と並走、我がはやたま号を楽々と抜き去ってゆきます。
全開のオハフ33の窓から撮りました。
冷房の付いた快適な電車と旧型客車の長距離列車の並走はどこかミスマッチでした。
81.8.30 松ヶ崎 |
松坂の手前で再び近鉄電車が寄り添ってきました。
並走するのは6441形ではなかったかと思います。
オハフ33 7 81.8.30 松坂 |
松坂に到着しました。
ここでも小休止。
国鉄時代の列車は主要駅では停車時間が長かったので、こんな写真を撮るチャンスが多かったですね。
入場券好きの仲間は一目散に改札に走ったものでした。
キハ55248 81.8.30 松坂 |
松坂では名松線の気動車が発車待ちしていました。
新製間もないキハ40形と繋がっていました。
夢の中の区間 |
この後は記録・記憶ともにありません。
寝台車は新宮で増結されるのですが、記憶がありません。
そして、野上電車見物のために早朝3:38、海南駅で下車しました。
海南駅では寝台車の付いたはやたま号を見送りました。
いかに夏場とは言えこの時間に到着してから夜明けまでは長かったです。
後にも先にも一度限りの紀勢線鈍行列車の旅、真夏に冷房も無い硬い座席で過ごした一夜がどんなだったか既に記憶がありません。
夜行バスの3列リクライニングシートでも寝られない今では耐えられないでしょうね。
81.8.31 日方 |
夜が明けるのをひたすら待って撮った野上電車です。
17 comments:
この列車、天王寺からのは新聞輸送と週末には釣り客の需要があったけど、名古屋発は特にそういった役割はなく、車両の戻しみたいだったのでしょうね。夜行列車での10系客車は私も敬遠していました。
こんにちは
ああ、ええなぁ〜 いわゆる太公望列車ですね
仲間と乗るとなお楽し、今みたいに短い編成じゃないから席も選び放題
やっぱ「ああ、ええなぁ〜」しかでてこないっす〜
モハメイドペーパーさん
確かに片方向しか需要がなさそうな列車でしたね。
乗車した列車はがら空きだった気がします。
乗り心地を含めて客車列車は半鋼製の車輌に限りますね〜。
青春Mさん
国鉄時代は編成が長くて、車内はのんびりと過ごせましたね〜。
シートを外して向き変えて寝てても混んでなければ車掌さんも咎めませんでしたね。
良くやってました。
私も1度だけ乗車しました。
紀勢線の客車列車には必ず荷物車が連結されていました。
電化された後もEF58けん引の列車が残っていたので(個人的には)珍しいなーと思っていました。
客車も1両1両個性があってよかったですが、オハ61系だけは座席の背ずりがないので敬遠してました。
なお時刻ですが、JTB時刻表復刻版昭和末期編から1980-10の紀勢線の電化区間の時刻を確認したところ
名古屋15:12→新宮22:45→天王寺(翌)5:00
となっており、ほとんど変わりませんでした。
taiitisさん
荷物車の連結はモハメイドペーパーが書かれていた新聞輸送のためだったのでしょうか?
当時は中央西線をはじめ荷物輸送のために客車列車を一往復だけ残していた路線が結構ありましたね。
それにしても、夜行列車に鋼体化客車グループが運用されたのはさすがに酷いですね。
時刻表レポートもありがとうございました。
旧客時代のはやたまですか、一度乗って見たかったものです。特に名古屋発は設定理由がわかりませんでした。
新聞輸送の時間でもないし…。
私が帰省夜行に乗ったのは民営化後で、東側がキハ58の臨時快速スターライト、西側は165系でした。
スターライトは年末のピークの名古屋発でも2両編成で座席がちょうど埋まるぐらいで、需要の差を感じたものです。
品じぃさん
快速スターライトなんていう名古屋発の夜行列車があったとは知りませんでした。
調べてみたら、松坂を出ると次は紀伊長島まで止まらなかったのですね。
ちょっとビックリです。
やはり、名古屋から紀伊方面への需要はあまり高くないのでしょうね。
紀勢線自身全線開通は戦後なのがそれを物語っているのでしょうか。
客車をよく見るとオハフ61とスユニ61以外は車両番号先頭に●を付けた横軽対策車ですね。
といっても、電気暖房なし(2000番台でない)なので冬場は横軽を走れませんね。(EF62は電気暖房装備)
季節列車としての使用を考えての改造でしょうか。
「はやたま」は「南紀」に、さらに「南紀」は「きのくに」に統合されましたが、鈍行寝台列車の名称として逆の順序で復活したのは奇遇でしょうか。
(おまけ)
松ヶ崎近辺を走行する近鉄電車は4扉なので、6441形ではなく1600系あたりと思われます。
三等急電さん
横軽対策車は広域転配であちこちに散らばったのでしょうね。
思わぬところで見たことも良くありました。
近鉄電車、よく見たら扉4つありますね。
勝手に6441系と思い込んでいただけでしたね。
小生も乗ったことありますが、逆方向の天王寺からです。
天王寺からですと、客車を撮ることもできず、記録も残ってませんが、
こんな感じだったな、という記憶がよみがえります。
maru-ha殿
天王寺からは名古屋からと違ってそれなりに混雑していたのでは?
どっちから乗るかで随分性格が違う列車なのでしょうね。
ちょうどこの頃は、天鉄局で乙種臨時雇用員をしていました。
阪和線の駅ホームで信号用カンテラ持って、はやたまの通過を見守ってました。
ひょっとしたら、あのときの列車に乗車されていたのかもしれませんね。
尼センさん
天鉄局でバイト経験も興味深いですね。
自分は尾久客車区で車内清掃のバイトをして職権乱用で写真撮りまくっていました・・・。
なにげに「はやたま」で検索しましたら、たどり着きました。写真が懐かしかったのでつい投稿させてもらいました。
私も「はやたま」に乗りました。当時、中学1年の冬でした。大阪から近鉄ビスタカーで名古屋まで行き、名古屋から乗りました。確かに15時ぐらいの出発で、駅弁も売り切れでしかたなくドーナツを箱入りで買いました。友人と2人でしたが、かなり暇を持て余した記憶しかありませんでしたね。唯一、盛り上がったのが途中の駅(どこか忘れましたが...)で停車中、気分転換にホーム降りたらブルトレ「紀伊」が通過しました。天王寺に5時についた後、まだ大阪駅まで行って早朝のブルトレを見に行きましたよ。いや~懐かしいなぁ~。
しかごれぶるさん
お越しいただき、ありがとうございます。
はやたまの名古屋方は走行時間帯が早かったせいか、夜行列車ぽくなかったですね。
じぶんも暗くなるまで結構時間を持て余したのを覚えています。
『紀伊』も懐かしいですね。
3~6号車はこの車番の編成に僕も乗りました。ウチの模型のはやたまの車種はこれをもとにしています。
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