今年は秋分の日を待たずしても随分と秋に気配が早かったですね。
さて、本日のお題は名鉄電車。
今から
<訂正>トゥルーリさんからコメント頂戴しました日付の件、2006年でなく2004年でした。
訂正いたします。
04.9.23 日野橋 |
土に半ば埋もれた軌道・・・。
今は無き美濃町線の日野橋付近の風景です。
04.9.23 日野橋 |
札幌からやって来た下り電車が到着しました。
04.9.23 日野橋 |
ひなびた雰囲気の電停で交換します。
04.9.23 日野橋 |
岐阜市内からの区間列車も折り返していた日野橋は思った以上にこじんまりとした電停でした。
04.9.23 日野橋 |
次に、その区間電車がやってきました。
へろへろな線路が良いですね。
04.9.23 日野橋 |
すぐに、市内へと戻ります。
すみません。2005年に美濃町線を含め岐阜市内線は全廃されています。さらに
ReplyDelete廃止の直前には「名鉄岐阜」になっていましたので、2004年以前の写真であると
思われます。
2005年の3月28日に廃止直前の写真を撮りにいったのですが、一応「名鉄岐阜」の
方向幕になっていましたよ。すごい違和感を感じていましたが・・・
日野橋は市内運行の終点で、乗り換えなどもありましたね。
ReplyDelete600形と元札幌車の交換など、ヨーロッパの田舎電車みたいな風情がありました。もう廃止後10年経ちました。
日野橋は平日朝に続行同士の交換があり、その写真を撮るため、徹明町の電停前のビシネスホテルに泊まりました。あの場所に4本の列車が並ぶのはなかなか壮観でした。20年くらい前のことです。
ReplyDelete日野橋電停の近くの学校に用があった時代があり、何度か電車で降りました。
ReplyDelete区間廃止後は、美濃と関の間の専用車だった590型が山を下りていて、市内線で使われている
600型よりも大型でゆったりした風情が好きでした。
ホテルから近い徹明町電停から乗ったりもしましたが、新岐阜発田神線経由の新関行きの後になって
続行運転するために15分道路上で停車するのです。スクールバスにはガンガン抜かれるし、
これはありえないと思いました。
トゥルーリさん
ReplyDeleteご指摘の日付、確認しましたら2004年でした。
本文訂正しました。
確かに全廃が2005年4月1日でしたものね・・・。
最後『名鉄岐阜』の表示になっていたのですね。
知りませんでした。
コメントありがとうございました。
Cedarさん
ReplyDelete日野橋は思った以上に田舎臭くて狭い電停でした。
岐阜県は、勿体ない電車を無くしました・・。
モハメイドペーパーさん
ReplyDelete私も続行の列車を撮りに行ったことがあります。
最初は続行運転と知らずに、後ろから電車が来てビックリしました。
路面電車の単線運転は運行が結構大変であったのではないでしょうか?
低Nさん
ReplyDeleteそれは運行に工夫が欲しいところですね。
590形、新関から奥の区間で走っていた時に、目の前で乗用車に衝突しました。
クルマはぐっちゃりでしたが、電車はバンパーの塗装にキズが入っただけでした。
電車は強いのですね。
電車の方向幕の件ですが、嘘を書いてしまいました。すみません。名鉄岐阜になったのが
ReplyDelete廃止の3か月前でしたので、大きな修正はせず、電車の方向幕は全て「新岐阜」の「新」の字を
消して(テープのようなもので上塗りでした)「岐阜」になっていました。
車内の路線図は「新」の字の上に「名鉄」のシールを貼ってあり、車内の電光掲示板は「名鉄岐阜」、
車内放送も「めいてつぎふ」でした。
日野橋の写真、少し秋らしさを感じられ、どれもいい写真ですね。
トゥルーリさん
ReplyDeleteなるほどですね。
でも、廃止が決まっていたわけですから駅前改称をずらせなかったとしても、そのままでも良かったような気もしますね。
法的に問題があるのでしょうか?
日野橋はよく乗り降りした思い出深い駅です、。
ReplyDeleteというのは、岐阜市内均一制運賃とその先の対キロ区間制運賃の境界駅で、日野橋を通過する場合は両方の額を合算するため割高になるからでした。(笑)
さすが魅力的だった美濃町線、多くの方からコメントが寄せられ懐かしくまた楽しく拝見させていただきました。
僭越ながら、私の知る範囲ですが追加させていただきます。
続行運転での接続駅の件ですが、日野橋ではなく同一ホームで乗り換えが出来る野一色を推奨していました。
その関係か、稀に後続する関方面からの直通電車の到着を待たずに日野橋折返し電車が発車してしまうことがありました。
日野橋における続行同士の交換の件ですが、廃止前のダイヤを調べてみると平日、休日とも一日一回7時台に行われていました。
朝は徹明町発着の電車が下芥見(一部は白金や新関)まで運行されたり、運用の都合で市ノ坪発の回送電車が運行されることから珍しい光景が見られ、早起きは三文の徳という感じでした。
(上芥見の併用軌道を走る続行運転も見られました。)
方向幕の件ですが、トゥルーリさんのコメントにあるように「新岐阜」の「新」の字を消していましたが、白地幕の旧札幌市電では夜になると消したはずの「新」の文字が照明でくっきりと浮き上がっていました。
三等急電さん
ReplyDeleteそう言えば、私も野一色で徹明町行きに乗り換えた記憶があります。
上芥見での続行運転、見てみたかったですね。
岐阜に行くと早起きしても黒野の方に行ってしまい、美濃町線は昼間しか行ったことがありませんでした。
方向幕の件、廃止を前にしての応急措置でしょうが、ちょっと寂しい話ですね。
名古屋転勤になった際、ときどき揖斐谷汲線や美濃町線へ行きました。
ReplyDelete美濃町線に行くと、競輪場前~上芥見などウロウロしてました。
小生も初めて日野橋に行った際には、えっ!これが折り返しもある処?とビックリしました。
続行運転もワクワクでした。広電のようにすぐ前後にも走るというものありますが低速ですよね。
ところが、吊りかけ唸らせ、結構真面目に走りますので、こんな運行はここだけでした。
しかも、小生的には車掌が乗務し多種の車内券を持ってますから、楽しかったです。
(当時の名鉄は、本線系含め運賃計算の特例がいっぱいあって、徹明町乗換黒野までと頼むと、
鉄道線のキロを通算する規程のため、岐阜地区専用の車補も発券してくれたんですよ。)
また、あんまり知られてないですが、軌道線のみ専用券とか、徹明町の乗換券とか。。
ツーマンの場合は、撮るか乗るか迷いました。。。
maru-ha殿
ReplyDeleteさすが、車内券好き!
貴殿の選択はやはり乗車して補充券購入でしょう!