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Saturday, July 4, 2015

もっとも身近な場所の記録から

今週は個人的に人生の節目になるような出来事が偶然にも複数重なり、結構バタついていました。
そんなバタついた数日を過ごしている中でもこれまでの暮らしを回顧する手余り時間もあって、そんな時間に昔良く出掛けた近所の電車見物の場所のことを思い出しました。

自宅から一番近い電車が見れる所は、その風景がどれほどのものであれ自分にとっては思い入れのある場所になるのではないでしょうか。
私にとってのそんな場所は、西武池袋線の富士見台と石神井公園の中間付近にあった人と自転車しか通れない小さな踏切でした。

この踏切で・・・
小中学生の時は飽きもせずひたすら過ぎ行く電車を見物、高校生になってカメラを買って貰ってからは勿論カメラ持参で良く出かけたものです。
そんな場所ですので、シャッターチャンスミスから始まって、露出アンダー・オーバー、現像大失敗等々・・失敗作の量産ポイントでもありました。
正に、この踏切は自分にとっては鉄道写真の練習場所でもありました。

当時の富士見台から石神井公園の間は駅間距離も長く、風景も富士見台を境に武蔵野らしい郊外風景に変わってゆく区間でした。
今は高架・複々線化され、途中に練馬高野台駅も新設されて周辺の雰囲気はすっかり変わってしまって今昔写真を撮ることさえ叶いません。

本日はそんな約35年前の西武線風景をどうぞ。

クモハ475 80.4.25 富士見台ー石神井公園

こちらがその踏切です。
何の変哲もない私鉄電車の踏切ですが、上記のような訳で自分には思い入れのある場所でした。

当時の西武線は高架化なんて想像もつかなかった時代。
当然、練馬高野台駅なんていうものもありませんでした。


クモハ524 78.12.6 富士見台ー石神井公園

高校生時代の写真です。
池袋線ですこし回りが開けて畑が初めて見えるのがこの場所でした。
人と自転車しか通れない小さな踏切も都区内区間ではここともう一か所ぐらいしかありませんでした。
やって来る電車は501系の準急・池袋行き。
この頃の優等列車の表記はバスの『満員』表記(これ自体今は化石でしょうか)のように小さい代物でした。


クモハ512 79.8.26 富士見台ー石神井公園

近場なので、天気が良い時に行けばいいのに、曇天に何故か結構行っています。
これは夕刻近く、夕方のラッシュ対応での送り込み回送で通過する501系電車です。

クモハ478 78.12.6 富士見台ー石神井公園

かまぼこ型電車の451系は長らく池袋線でも活躍を続けていました。
新宿線の451系が2連中心であったのに引換え、池袋線では6連に2連を繋いだ8連が基本でした。

クモハ402 79.9.1 富士見台ー石神井公園

こちらも送り込み回送の401系です。
この頃の401系は701系の冷房改造に呼応する形で、吊り掛け電車411系から黄色い車体の冷房カルダン車に変身の最中でした。
この編成はそのトップナンバーの401-402編成です。

クハ1610 80.3.22 富士見台ー石神井公園

雪の中を走る、なんちゃって新性能車の601系・クハ1610。
どちらかというと601系は新宿線で多く見られた印象があります。

クハ1760 78.12.6 富士見台ー石神井公園

赤電では701系が一番の大勢力でした。
赤電時代はカルダン、吊り掛けの性能の区分は殆んどなしに連結・運用されていました。

クハ1162 79.8.26 富士見台ー石神井公園

101系が池袋線の主力電車でした。
しかしながら、N101系はデビューしたばかり。
次の世代を担う2000系は1977年にデビューはしていたものの、新宿線集中投入で池袋線では101系が投入され続け、未だ見ぬ形式でした。
この当時の101系と言えば仮面顔ではなく、この顔の時代でした。
こちらはそのうち初期非冷房車です。

クハ1186 79.8.26 富士見台ー石神井公園

同じく101系の急行『奥武蔵』。
急行『奥武蔵』は休日限定のハイキング急行で、現在の4000系快速急行の先祖です。
地味な西武線の中で、ヘッドマーク付きの急行列車は輝いて見えました。

クハ1200 79.1.14 富士見台ー石神井公園

雪晴れの時にも・・・いつもの場所で撮影です。


クモハ290 79.8.26 富士見台ー石神井公園

上記のように、N101系はデビューしたばかりでした。
晩年2連ユニットは飯能方に連結されていましたが、デビュー当時は池袋方に連結されていました。

クモハ478 78.8.15 富士見台ー石神井公園

お盆の真昼間の下り電車です。
これは同じ踏切の上り側から撮った後追いです。
どこでも言えることですが、今より空が広いですね。

クハ1449 78.8.12 富士見台ー石神井公園

こちらは当時の池袋線の最古参、クハ1411形のクハ1449です。
この日は551系の6両編成と編成を組んでいました。


クモハ507 79.9.1 富士見台ー石神井公園

こちらは冒頭の501系と同じ場所からの後追い画像です。

クハ1770 78.8.11 富士見台ー石神井公園

こちらは冷房改造後の701系。
改造当初は黄色一色の手抜き塗装のように見えてビックリしましたが、これが標準色になってしまいました。


クモハ560 79.8.26 富士見台ー石神井公園

夕闇迫った頃に急行灯を点してやって来た551系の急行池袋行き。


クモハ290 79.8.26 富士見台ー石神井公園

先ほど普通で上って行ったクモハ290は西武秩父行きで戻って来ました。
現在は特急と一部快速急行以外は飯能で運転系統が分断されてしまって、全線走破のこのような列車は無くなってしまいました。



クモハ512 79.8.26 富士見台ー石神井公園

低感度のネオパンに頼っていた時代、撮影限界はすぐにやって来ます。
この日も501系の戻りを撮って自転車で自宅へ帰りました。


4 comments:

mati-ha said...

小生も自宅近くの歩行者専用踏切に思い入れがあります。
ガキの頃、自転車で行って1時間前後粘ってひたすら電車を見てました。
車種はchitetsuさんと同様に501、451、1411、701そして101です。

撮影に向かない場所であっても、趣味の原風景ってやつは、
何かの節目の際、自分を見つめ直すとき、なんとなく思い出すもんですね。

chitetsu said...

maru-ha殿
同じような事を数キロ離れた所でやっていたのですね。
他の人にはどうでも良いところが自分にとっては大事なところというのは、誰にでもあるでしょうね。
気を取り直してまたブログ再開します。

三等急電 said...

遅くなりましたが、御疲れさまでした。
子供の頃のもっとも身近な踏切(と言っても1Kmくらい離れていた)は山手線の駒込~田端間で、中でも今は無き第一中里踏切は人と自転車しか通れない小さな踏切でした。
ここで黄色い101系などを眺めていました。
富士見台と石神井公園の中間付近にも何度か出かけたことがありました。
笹目通りの踏切解消のために始まった高架工事以降、急速に高い建物が増えて景色が一変しました。
車両の方も総入替どころか、この後に登場した3000系まで去ってしまいました。

chitetsu said...

元・いきもの部長さん
先週は葬儀でバタついてしまいましたが、そんな時に昔のことって思い出すものなのですね。
ちょうど、あらかた出来上がっていた地元の記事があったので、早速にアップしてみました。
駒込~田端間の踏切、懐かしいですね。
さすがに黄色い電車は走っていなかったですが、配給電車を撮りに行った記憶があります。
西武線の電車、この時に走っていた電車はすべて過去帳入りしていますね。
時間の経過は早いものです。