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Thursday, June 25, 2015

あれから四半世紀〜西武の赤電の見納め

西武鉄道の赤い電車の最後は想像以上に後年で、90年代まで多摩湖線で残っていました。
その理由は多摩湖線の国分寺駅のホーム有効長の無さにありました。
そして、その国分寺駅のホームが改修されて赤電が引退したのがちょうど25年前の6月24日でした。
本日は、その四半世紀前の様子をご紹介します。


クモハ354 90.6.24 
国分寺ー一橋学園

最後まで残った理由は上記のように、国分寺の駅構造が17M車三両が限界であったためです。
その駅改良がなかなか進まなかったために、皮肉なことに最古参の17M車が赤電のトリを務めることになったわけです。

クモハ354 90.6.24 国分寺ー一橋学園

最終日の赤電も大騒ぎをするでもなく、いつものように走っていました。


クモハ354 90.6.24 国分寺ー一橋学園

国分寺を出てゆく351形。
 
これが、私が撮った最後の西武の赤い電車になりました。

8 comments:

宵闇 said...

平成2年というのが、ワタクシの中ではかなり遅くまで走っていたという印象がありました。
もうこの頃は関東大手私鉄の西の牙城と呼ばれた東急や小田急、京王からも吊り掛け電車が消えて一年がたった後ですからね。 この直後に東の牙城新京成も落ち、東武だけがつい最近まで走っていたというのが不思議な位です。
今から考えればもっともっと乗っておくんだったと後悔しか残っていません。

平和島の大将 said...

お世話様です。
うわー、これ1990年ですか?当時私は高3でした。
当時、土曜は午前中に授業があったので、たぶん1週前の日曜かこの日に行って白黒で撮ってます。
(ネガは絶賛行方不明中ですが…。)
それと、どちらかの日に通常運行とは別に本線側で351系を使った特別列車があったはずです。

三等急電 said...

つい先日のような気がしていましたが、もう四半世紀も過ぎたのですね。
当日は結構ファンが来ていましたが、確かに静かでした。

chitetsu said...

宵闇さん
1990年は大手私鉄では吊り掛け電車の大半が引退していた時期でしたので、351系は貴重な存在になっていたと思います。
同車の引退で西武も冷房化100パーセント達成しました。

chitetsu said...

平和島の大将さん
もう随分昔のような、つい最近ような気もします。
多摩湖線の赤電は当たり前過ぎて引退するなんて信じられないと気が当時はしました。

chitetsu said...

元•いきもの部長さん
あれから四半世紀経っていたなんて言う気がしません。
それだけ早く歳を取ったと言うことでしょうか?

maru-ha said...

もう、そんなに経つんですか。。。って感じです。
この頃、新聞や雑誌では路線別の冷房化率とうのが載っていまして、どこの私鉄も100%目指してましたから、無くなるのはしょうがないと思ってました。

小生的には、真ん中の1311が好きでした。シル・ヘッダーがなんとも。
さよなら運転は出向きませんでしたが、レオカードなるものがありましたので、さよなら351記念を買った記憶があります。

chitetsu said...

maru-ha殿
あれから25年も経ったとは思えないですね。
新聞紙上の各社冷房化率の記事は記憶にありますね。
地下鉄が冷房なかったなんて、今じゃ信じられないですね。