途中の雲州平田駅は以前に紹介済みです➡一畑電車、初めての訪問 平田市駅。
今見ると地形的にもスイッチバックの必要性を感じない一畑口駅。
結果的にスイッチバックになった一畑口は運転面では随分と障害でしょうが、趣味人からすれば面白い駅ということになります。
91.5.5 一畑口 |
駅構内を眺めます。
手前にシーサスクロッシングがあり、どの列車もこのポイントをクロス状に渡ってゆきます。
デハ3018 13.8.16 一畑口 |
この車両も無くなっちゃいました。
91.5.5 一畑口 |
駅舎の外観です。
駅前は人家も少なく、カエルの鳴き声が木霊する静かな駅前です。
13.8.17 一畑口 |
改修は加えられていますが、今も木造駅舎は健在です。
13.8.16 一畑口 |
RAILWAYSのロケシーンが掲示されていました。
91.5.5 一畑口 |
駅構内を反対側から眺めます。
写真の手前側、一畑に向かって戦前は線路が続いていました。
91.5.5 一畑口 |
駅の構内を松江側の田圃から眺めます。
左側に駅本屋があり、右手には立派な信号所もあることがわかります。
06.5.28 一畑口 |
ホームの上家です。
一畑電車の上家はどこへ行ってもこの支柱一本タイプのようです。
二枚とも 91.5.5 一畑 |
折角なので、昔の終点一畑まで行ってみました。
道路から眺めると未だに線路跡の痕跡を見つけることが出来ました。
終点一畑の駅跡と思える場所はすぐにそれとわかる感じでした。
そこには元駅舎ではないかと思われる建物と、元鉄道のものか元々バス用なのかどうかは不明ですが木造のバス車庫がありました。
6 comments:
一畑口のスイッチバックのことは、以前から知っていたので、初めて乗ったときにはすでに承知していたことでしたが、実際に乗ってみると、やはり不思議な光景だというのを隠せなかったものでした。
この駅がスイッチバックの形になったのは、一畑電鉄がもともと「一畑薬師」への参拝客輸送を目的としていたことからで、その当初の目的地であった一畑への路線が戦時中に「不要不急路線」として撤去されてそのまま復活しなかったために、今のような線形になったからなのであり、本来ならばメインになるであろう出雲大社や松江への路線は、後に支線として開業したという、その経緯によるものだったこと、社名が「出雲電鉄」とか「島根電鉄」などではなくて、全国的にはマイナーな存在で知らない人が大半であろう「一畑」を冠しているのも、その「一畑薬師」が大株主であったということも知ったのでした。
一畑口と同様、直進方向の路線が廃線となったために、スイッチバックの形が残った駅というと、石北線の遠軽駅が代表的な例ではないでしょうか。
昔の終点だった一畑の面影が残っていたことは、知りませんでした。
同じような地方私鉄のスイッチバック駅といえば富山地鉄の上市駅があります。
上市口(現・上市)~上市が廃止となった経緯は駅名も含めて似ています。
伊豆之国さん
出雲大社がある立地で敢えて一畑薬師から名前を取ったあたりがこの鉄道の当初の目的を知らないと不思議に思うところでしょうね。
もし、不要不急路線として廃止にならなかったら、デハ1形あたりが往復していたのでしょうか?
元・いきもの部長さん
一畑口からの線路跡ははっきりわかりました。
それだけ周辺も閑散としていたという事でもありますが。
終点の一畑と思われる場所から一畑薬師まではそれなりに離れていました。
不要不急とは言え戦前に廃止になった路線の駅の残骸が残ってたというのがいいですね。
沖縄の歴史本で見た稲嶺駅の跡を思い出してしまいました。
多摩御稜の駅舎も空襲でやられなければ今頃公民館になっていたかも知れませんね。
宵闇さん
それだけ需要がないところだったのかも知れませんね。
旧駅周辺と思われる場所は、何もない感じの場所でした。
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