そこで、
大井町線のデハ3450形 二回目です。
二回目の本日は非貫通電車編です。
(一回目は随分前にアップしています⇒東急大井町線のデハ3450)。
デハ3453 80.5.17 旗の台 |
旗の台に進入する3450形先頭の5連。
川崎車のトップナンバーのデハ3453を先頭にやって来ました。
デハ3453 80.5.17 旗の台 |
デハ3453の正面アップ。
正面に貫通扉を追設していない電車は少数派です。
デハ3498 80.5.17 旗の台 |
中間に両運のデハ3498が入っていました。
それにしても見事なまでにデハの運転台が4両も連続で大井町側を向いて繋がっています。
正にこれは『小さく前にならえ』状態の編成です。
クハ3854 80.5.17 旗の台 |
殿にはクハ3850形がついていました。
それにしてもこの更新顔、格好悪いです、可哀相です・・・・。
デハ3453 80.5.17 北千束 |
北千束にて同じ電車の後ろ姿。
貫通も格好良いけど、非貫通も格好良いです。
非貫通のデハ3450形といえば日車製のトップナンバーを先頭にしたオールM5連。
なかなかな豪華編成でした。
デハ3450 79.11.15 二子玉川ー上野毛 |
思いで深いワンショットです。
我が家の鉄ニャンも緑の電車に興味を持っています・・・・
24 comments:
ええなあ!ホンマにええなあ!
3450匹ワンちゃん殿
ええです!
ホンマにええです!
あの頃に戻りたいです!
小学生の頃は西宮在住でしたので、関東の私鉄はあまり縁がなかったのですが、
毎年夏休みに九品仏の父親実家に来る際、大井町から良く乗った記憶が有ります。
当時は確か、線名が田園都市線だったと思います。間違っていたらすみません。
わたしも、なめらかなお顔の緑色非貫通型が気に入っていました。
また、九品仏でホームからはみ出して停車する姿も好きでした。
好きなのがなくなってしまうのは
ほんまにさびしいですねー
しっかり伝わってきました
1980年ですか。私が23歳、東京を離れた年です。
旗の台ー北千束は小学校6年間、通いました。
北千束の写真でガードが見えますが、その手前の左、赤松小学校です。
そのガードをくぐった先に、毎月、鉄道ファンを購入し、充実したHOを持っているクラスメートがいました。
カニ22にモーター入れたり、やっていることは邪道でしたけど・・・
北千束はあまり変わっていませんが、旗の台は随分と様変わりしました。
まさか、急行追越し駅になるとは・・・
あの頃は、荏原町側にしばしばオーバーランし、バックしていたものです。
最も、忙しかった時期、最も鉄道から心が離れてしまっていた時代。
そんな時代の故郷の鉄道写真を、いつも有難うございます。
これからもよろしくお願い致します。
北マトさん
大井町線は田園都市線になったり大井町線と呼ばれたり、呼び名が何度か変わっていますね。
九品仏のはみ出し停車、私鉄ぽくって好きです。
青春Mさん
まさに青春時代の好きな電車でした。
昔を回顧ばかりしていてはいけないと思いつつも、その頃にプレイバックしたくなりますよね〜。
ありがとうございました。
この電車は更新で窓高さが拡大され(ちょうどウィンドヘッダーの幅くらい)、そこそこのバランスになったけど、それ以前は幕板が広めで、少しモサっとした雰囲気でした。こんなこと言うと、東急ファンに石投げつけられるかな。
シグ鉄さん
誰にも鉄道から心が離れてしまう空白の時期がありますね。
小学校の電車通学とは羨ましいです。
高校生になって定期券を手にした時、なんか大人になったような錯覚をした記憶があります。
モハメイドペーパーさん
同感です。
面倒な窓の切り上げ改造前は幕板の広さが結構気になりました。
改造で男前を上げた少ない例ではないでしょうか。
やっぱり3450型はいいですね。自分は70周年の記念列車に乗ったのが最初で最後でした。
この頃の田園都市線内の送り込み回送もバラエティー豊かだったんでしょうね。
リクエストなんですが、田園都市線のつきみ野駅周辺で3450型を撮られた写真があればアップして下さい。
私が田園都市線沿線に引っ越してきた頃は、大井町方面への直通運転で、3450系の5連もまだ残っていて、乗り合わせた記憶もありました。大井町線が元の二子玉川止まりになったからは、3450系も姿を消して東横線からの「青蛙」一色になったようで、3450系などの吊り掛け車両は目蒲線と池上線で最後の活躍ということになったようでした。
池上線のほうが先に吊り掛け車両が消え、平成の世を迎えて最後に残った目蒲線で、リバイバル塗装に塗り替えられ、さよなら運行に入ったときに、乗りに行ったことを覚えています。
この頃、私は栃木の中学生だったのですが、当時の『鉄道ファン』に3450形の特集があり、
憧れていました。東京に出たらぜひ乗りたいものだ——と。
何となく、私も大井町線に関係する記事を書いてみました。
名前のリンクからどうぞ。
緑の電車がいた頃は、沿線も緑豊かでしたね。
私も低Nさんと同じく『鉄道ファン』の3450形の特集を見て出かけました。
しかし、直後に大井町線での定期運行がなくなり、車内からオールM5連を一度見ただけとなってしまいました。
数少ない非貫通車の中でも、デハ3450は非パンタ側が非貫通、デハ3461は前面車番位置が中央、ともに1両だけの存在でした。
ところで、デハ3450形が活躍していた頃の旗の台駅は、池上線から高い位置にある大井町線への連絡通路は上りホームだけに接続し、下りホームへ行くには階段を降り→昇りする必要がありました。
これは元々交差地点に駅が無く戦後に駅が移転して乗換駅にしたためと思われます。
大井町線が島式ホーム2面4線に改良された現在は上下線ホームとも直接行けるようになりました。
今話題の武蔵小杉駅も同じような経緯をたどっており、元々交差地点に駅が無く、戦後に駅が移転し高架となる東横線は上りホームだけに南武線からの連絡通路が接続するようになり、島式ホーム2面4線に改良時に上下線ホームとも直接行けるようになりました。
追伸、低Nさん、Chitetsuさん、五島慶犬さんも、大井町線ネタですね。
なんだかうれしいです。
宵闇さん
残念ながら、田園都市線区間では長津田で撮った以外は乗車体験のみです・・。
今考えると惜しいことしましたが、その頃はどの列車が3450形かわからなく、躊躇してしまいました。
伊豆之国さん
3450形は5連が3本になってからも結構長生きしました。
M車が多いのは他の電車とスピードを合わせて逃げ切るための苦肉の策だったようです。
低Nさん
さすが、低Nさんらしい公文書館ネタですね。
このような施設が上野毛にあったとは知りませんでした。
Cedarさん
電車の緑と風景がマッチしていた時代にもう一度戻りたいです・・・・。
元・いきもの部長さん
旗の台の駅はちょっと変わった構造をしていましたね。
地形をうまく活用したというか、無理矢理作ったというか・・・。
それにしてもあの狭い敷地に立地する駅が2面2線の駅に変貌するとは驚きました。
Cedarさん
お悔やみ申し上げます・・・。
初めまして、色々な資料で調べた所この3453Fは大井町寄りから3453-3498-3483-3487-3854の組成な予感がしました
編成記録していませんので何とも言えないですが、そんな組成だったかもしれないですね。
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