通常は豚鼻の103けー10連が走り回る根岸線を茶色い電車が4連でやって来るわけですから、あらゆる意味で外様感に溢れていました。
クモハ73293 78.4.7 関内 |
クモハ73の近代化改造車を先頭にした4両編成の横浜線直通電車です。
クモハ73293 79.8.5 関内 |
こちらも関内での根岸線直通の原町田行き。
こちらは4+3の7両編成です。
原町田の駅名も懐かしいです。
EF15 57 79.8.5 関内 |
茶色い電車を待っている間に茶色い機関車もやって来ました。
都会的な駅と古い機関車牽引の貨物列車が好対照です。
クモハ103-60(左)、クモハ73031(右) 79.9.13 関内 |
京浜東北線のスカイブルーの103けーと並んだクモハ73。
これを撮った時に103系には何の思いもありませんでしたが、今見ると良い光景ですね。
クハ79428 79.8.5 関内 |
横浜線では少数派のクハ先頭の磯子行き。
サボの行先が良く見えようが見えなかろうがお構いなしの、国鉄さんらしいぞんざいな案内はあちこちで散見されました。
クモハ73031 79.8.5 関内 |
上の写真の反対側です。
クモハ73604 79.8.5 関内 |
原町田行き。
方向幕が手書き風です。
地方のバスならいざ知らず、こんな首都圏の電車でこのレベルはちょっとビックリですね。
茶色の横浜戦、懐かしいです。
ReplyDelete雨が強いと小机駅あたりが冠水し、よく止まってしまいました。
成瀬や十日市場駅がまだ無く、長い駅間をモーターをうならせて走っていたのを思い出します。
そうやんなー
ReplyDelete79年とか平気で走ってたよなあ・・・・
なんかモノの本によると77年で横浜線103けー化完了とか書いてあったのだけど、78年、79年ころ八王子の大学から横浜へ遊びに行くときいっつも73やったな、と記憶があってへんだなーと思ってました。
それにつけても原型クモハ103、かっこええです・・・・
こんにちわ
ReplyDeleteまるで、最近撮られたかのようなきれいな写真に73、
不思議な感じがしました。
103けーと並んだシーンで、ああ、昔だったんだと・・・
よく見た光景だから時代を感じれるのでしょうね
根岸線は麦田というところにあったCedarの親戚の家のすぐそばを高架で抜ける工事中から存在を知っていました、親戚のおばさんが駅ができて便利になる!とぬかよろこびしていたのを思い出します。
ReplyDelete関内の駅で貨物列車をみると、ああそういう目的でできたんだと思い起こします。
根岸線直通の横浜線の方向板、視認性は全くだめですね。でもこれはちゃんとしたものが入ってますからいい方ですよね。
ReplyDeleteこれよりひどい扱いの方向板を、京浜東北線で見たことがあります。例によって以下のURLにおいておきますので
http://pleiades.la.coocan.jp/dry/temp/keihintouhoku.html
この年はスト権ストがあった年です。
い さん
ReplyDelete昔の横浜線は駅間距離が長かったですね。
久しぶりにこの間乗ったら、ずいぶん雰囲気が変わっていました。
イヌ103殿
ReplyDelete横浜線は黒字線区の割りには新性能化が遅かったですね~。
おっちゃんはやっぱ103に反応ですね。
青春Mさん
ReplyDeleteこんにちは。
自分的にはそんな昔な気がしていない気がするのですが、既に30年以上昔なんですよね。
嗚呼、こわい~。
Cedarさん
ReplyDeleteブログで何回か登場した麦田の根岸線ですね。
根岸線はそういう目的のほうが大きかったのですね。
Pleiades さん
ReplyDelete国鉄時代の案内はいい加減でしたね。
私も終戦後のようなチョーク書きをたまに見ました。
73系末期なので、大部分が2段窓で旧63系車体のクモハ73はいませんね。
ReplyDelete私がお馴染みだった京浜東北線で活躍していた頃とは随分と変りました。
しかし、サハ78は旧63系主体で、さらに一番下は3段窓です。
ところで、原町田行の2枚は同じ編成でしょうか?
良く見るとクモハとサハだけで編成されています。
元・いきもの部長さん
ReplyDelete末期の73系なので、アコモ改造車が主役でしたね。
もうちょっと63改造車が走っているときに撮っておけばと悔やまれます。
原町田行は同じ編成です。
横浜線はクハが少なく、クモハとサハの編成が多かったですね。
私は自身は、103系と比べて73系は車内灯も暗く前近代的な印象しかありませんでしたが、
ReplyDelete73系でも京浜東北線時代末期にいた、101系への過渡期の顔で全金属車の綺麗な編成だと、
阪急電車みたいにシックな感じで、関内辺りの街並みにも案外違和感は感じませんでした。
旧国では有りませんが、洋光台延伸開業の直前に何とD51が軌道の踏み固めのために、
背面連結の2重連で高島貨物線から洋光台駅まで白昼往復自力走行した記録があります。
残念ながら私は実際には見ていませんが、それこそビルが建ち並ぶ関内辺りの高架線を、
重連のSLが走っている姿は違和感大有りで面白かったことと思います。
関内辺りの高架線を走るD51の重連を実際に目撃した人がいるでしょうが、羨ましい限りです。
ジモティーさん
ReplyDelete根岸線開業時の祝賀電車は旧型電車でしたね。
その頃からご覧になっている方からみるとまた違って見えるのでしょうね。
洋光台延伸時はまだ蒸気機関車が走行したとは隔世の感がありますね。
根岸線を走る蒸気機関車見ましたよ。
ReplyDelete当時磯子の屏風ヶ浦小学校の2年生でしたが、蒸気機関車の汽笛を聞いて窓際に走りました。
先生のは席を立たないように制止していましたが、お行儀の悪かった子は見ることが出来ました。
ただの一回だけだったので、中々信じて貰えない出来事です。
匿名さん
ReplyDelete当時を知る方は汽車の音が結構遠くまで聞こえたと聞いたことがあります。