1989年の訪問から既に四半世紀。
貨物扱いが廃止になってからほぼ10年。
普通に考えると全て跡形もなく撤去されているものと思っていましたが、今回の平面交差の記事を書くにあたってネットで調べてみると、どうも線路が残存している可能性が高いようです。
更に調べると、件のダイヤモンドクロッシングについては横須賀市が保存をする方向で検討との話もあることが分かりました。
こうなれば善は急げで、今の様子を見に行くことにしました。
今回の訪問は1989年の訪問時の位置関係も既におぼろげになっていたので、記事の正確性を期しての確認作業をしたいこともありました。
14.11.21 田浦 |
前回同様に田浦駅に掲示されていた駅周辺案内図をもとに位置関係を記しました。
また、この手の内容に興味のおありの方は前回記事と比較対照いただければ四半世紀の間の変化を感じていただけると思います。
田浦駅案内板から加工 |
前回は車で行きましたが、今回は電車で田浦を目指します。
①
14.11.21 田浦 |
まずは田浦駅からです。
田浦駅は前後がトンネルに阻まれてホーム有効長が不足していてドア締切が行われていることを前回記しましたが、その状況写真がこちらです。
先頭車はまるごとトンネルの中。
二両目の一番ドアが微妙な位置にくるのでこちらも締切扱いをしています。
上り列車では逆の東京方がこのようになっています。
②
14.11.21 田浦 |
電車が去ってから見た久里浜方の七釜(しっかま)トンネルです。
このトンネルは明治・大正・昭和の各年代のトンネルが並んでいることでドア締切扱いと合わせて有名です。
この見た目とは違って一番古いのは中央の下り線で明治22年の築造で、電化時に改築されています。次は右側の上り線で大正13年の複線化時に築造されたもので、一番新しいのが左の貨物線のトンネルで戦時下の突貫工事で築造されたものです。
一番新しい昭和のトンネルが既にリタイアしているというのも皮肉と言うか歴史の悪戯なのでしょう。
③
14.11.21 田浦 |
こちらは田浦駅の跨線橋から見た駅構内です。
左手に貨物線の線路が残っています。
既に本線とのポイントは途切れてしまっています。
④
14.11.21 田浦 |
こちらは田浦駅東京方の様子です。
ホームがばっちりトンネル(田浦トンネル)にへばりついていることが分かりますね。
この状況なので、貨物線の本線の渡り線が駅構内に作れなかったことが理解できます。
⑤
14.11.21 田浦 |
田浦駅を海側の北口に出ます。
駅前は倉庫以外何もない寂しい駅です。
⑥
14.11.21 田浦 |
最初に田浦トンネルの東京方の様子を見て見ます。
前回画像では①にあたります。
踏切から田浦駅方向を見た様子です。
トンネルの向こうに田浦駅、更にその向こうの七釜トンネルが見えます。
当然ながら上下線の渡り線は撤去されていました。
⑦
14.11.21 田浦ー東逗子 |
踏切の様子が変わってしまい、下り電車は撮り辛くなっていたので上り電車で定点観測をしてみました。
紅葉も本番を迎えつつありました。
⑧
14.11.21 田浦 |
再び田浦駅北口に戻って来ました。
駅前の道路にこのような看板が掲示されていました。
長浦の旧海軍軍需部の長浦倉庫は現在相模運輸倉庫が管理をしています。
この倉庫群は戦後の食糧不足の時に大活躍をした経緯があり、その折にこの貨物線は物資輸送に大活躍をした時代がありました。
この看板にも駅構内の案内図同様にデフォルメされながらも線路が記載されています。
⑨
14.11.21 田浦 |
駅前道路を右に歩き出しますとこんな倉庫風景が見えてきます。
この写真では解りにくいですが、フェンスの手前には画面左右方向に線路が現存していました。
⑩
14.11.21 田浦 |
上の写真のフェンスのあたりまで行ってから左手を向いた構図です。
しっかり線路が残っていることがわかり、気分が高揚してきます。
踏切を越えた部分の草叢で分岐して複線の線路が画面奥の海上自衛隊横須賀基地入口まで続いています。
⑪
14.11.21 田浦 |
こちらは同じ場所で右を見た構図です。
半ば砂利に埋まりながらも線路が現存しています。
この併用軌道風の線路の雰囲気、堪りません。
⑫
14.11.21 田浦 |
もう少し右手に歩いてゆきます。
こちらは港湾合同庁舎前です。
左手の水溜り部分から線路が接近してきています。
14.11.21 田浦 |
上の写真左手の水溜り側から見た風景です。
線路が水に浸かっているシュールな光景です。
⑬
14.11.21 田浦 |
右に分岐する線路が長浦港に向かう水溜り線路、左に分岐するのが海上自衛隊方向へ向かう線路です。
ここは数少ない枕木が見える場所です。
ポイントは撤去されているものの分岐した線路の様子が分かります。
⑬A
14.11.21 田浦 |
上の写真の右手の線路はそのまま長浦港へ向かいます。
水溜りの付近から写真の左手部分までは資材置き場に埋もれてしまっており、ポイント付近から再び顔を現します。
そして、港に到達する手前で海べり(⑬B地点)からやってきた線路(写真中央)と合流します。
⑬B
14.11.21 田浦 |
右手の線路は海ギリギリの所を通過して米軍燃料基地方向へ向かいます。
写真では左側の線路が柵の下敷きになっていますが、まさに左側は海ギリギリ、車体は海にはみ出して走っていたのではないでしょうか?
14.11.21 田浦 |
こちらが振り返ったところです。
昨日写真の⑦、⑧付近の状況です。
⑭
14.11.21 田浦 |
ここで一旦港湾合同庁舎に戻り、さらに進んでいきます。
線路は道路と並行して併用軌道風に続いています。
正面中央部分がかつての田浦駅からやって来た貨物線の踏切部分です。
昨日写真の②付近です。
⑮
14.11.21 田浦 |
こちらがかつての平面交差部分です。
未だにちゃんと残っていたのですね!
これには感動さえ覚えました。
奥にはもうひとつのダイヤモンドクロッシングが見えます。
⑯
14.11.21 田浦 |
こちらがもうひとつのダイヤモンドクロッシングです。
機能は当然していないものの、ちゃんとその形状は残っていました。
⑰
14.11.21 田浦 |
こちらは踏切の田浦駅側から港側を見たところです。
残念ながら道路の整備で道路を渡る部分の線路は撤去されていました。
画面奥方向に向かう道路の左右に線路がありかすかにダイヤモンドクロッシングが見えますね。
踏切柵が空しく残っていました。
⑱
14.11.21 田浦 |
写真奥右にカーブする線路跡が田浦駅方向です。
以前はタンク車が留置されていた場所は草に埋もれていました。
こちらは昨日写真の⑩付近です。
⑲
14.11.21 田浦 |
線路が併用軌道で入っていた比与宇トンネル部分はきれいに道路が改修されてその面影は無くなっていました。
こちらは同じく⑤付近です。
⑳
14.11.21 田浦 |
比与宇トンネルの中から見た様子です。
昨日の⑥と比較してみてください。
㉑
14.11.21 田浦 |
比与宇トンネル内に残存していた防空壕の跡です。
全部で4か所あって、戦時中はここから弾薬等が防空壕内に取り込まれていたようです。
防空壕の内部では作業ができるスペースがあったとの記述もあり、どのようになっていたのか興味のあるところです。
このトンネルの出口右手の労働監督署跡にも防空壕の痕跡があり、実に謎めいている場所であります。
㉒
14.11.21 田浦 |
一旦戻って、ダブルのダイヤモンドクロッシングポイントから長浦港方面に歩いてゆきます。
こちらは長浦倉庫に向かう線路跡です。
㉓
14.11.21 田浦 |
上の写真の場所から少し引いた場所からの光景です。
線路が手前から3本存在しているのがわかります。
この三本はこの後一本に集束して米軍燃料基地に向かっていきます。
㉔
14.11.21 田浦 |
こちらがその集束後の線路の様子です。
この先は米軍敷地となっており、様子をうかがうことができませんでした。
㉕
14.11.21 田浦 |
先程の比与宇トンネルを越えたところには米軍の箱崎燃料基地のゲートがあり、その隣は横浜ベイスターズの練習場になっています。
過去からの遺産を今に残す長浦エリア。
その隣のベイスターズの施設。
まさに『戦争と平和』を見るようなひと時でした。
14.11.21 安針塚 |
ここからは日常風景に戻って、横須賀線・国道16号を横断して京急安針塚駅へ到着してプチハイクは終了となりました。
デハ822-1 14.11.21 京急田浦 |
帰りはこんな電車でゆっくりと帰りました。
2 comments:
なんですかー!この線路は位置わっああああああああああああああああああああああああああああ嗚呼嗚呼~~!
大昔のTMSに出てたレイアウトデザインコンペのヤツそのままやんけえええええ~~
すばらしいです。
25年前のもすばらしいけど今のもすばらしい。
コレを地図付きで開設いただけるおっちゃんとこもすばらしい!
近いうち、ぼくも見に行きます!
引き込もりわんわん殿
今頃は熊野古道に引き込もり中ですか嗚呼?
この田浦の貨物線はレイアウトブックそのものですねー。
もけーで作ったら楽しそうです!
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