87.10.16 国分寺 |
改築前の国分寺駅舎。
この後国分寺駅は再開発されます。
既に線路の裏側の南口では大規模店舗の建築工事が行われています。
クモハ453 79.12.22 国分寺 |
下段の国鉄中央線に寄り添って走るのは、国分寺線。
この当時は国鉄線との間の貨物授受線が残存していました。
451系2+2の4連がやって来ました。
この当時は4両編成が基本でした。
クモハ454 79.12.22 国分寺 |
上の写真の反対側のクモハ454。
こちらはシールドビーム化改造を受けていません。
クモハ351(左上)、クモハ454(右下) 79.12.22 国分寺 |
上も下も赤電です。
国分寺線はこの当時ラッチなしで国鉄線に乗り換えができました。
クモハ453 79.12.22 国分寺 |
中央線上りホームから見た国分寺線ホームと451系電車。
中線が昔の貨物授受の名残です。
中央上り線には101系が入線しようとしています。
クハ1181 79.12.22 国分寺 |
こちらは101系の試作冷房車。
両数さえ合えば何でも運用につくのが西武線流儀です。
クハ1182 79.12.22 国分寺 |
今の風景よりものんびりとしていて、空も広いしこの頃のほうが良かったなあ。
クモハ352 79.12.22 国分寺 |
多摩湖線の国分寺駅ホームはこの踏切ギリギリのホームのおかげで17M車の3両編成の入線しか許さない時代が長く続きました。
そのお陰で最古参の351系が赤電の中でも一番最後まで活躍をすることとなりました。
それではコンニャク日記、現在編です。
14.9.6 国分寺 |
狭い駅前広場と木造の駅舎はとうに消滅。
北口は階段だけしかないような感じで、南口のセレオ国分寺に吸い込まれてしまそうです。
その後更に再開発が進んでいるようで、駅前は更地になっていました。
この数年でまたもや変貌しそうです。
クハ3005 14.9.6 国分寺 |
クモハ453を撮った場所はホームも線路も若干位置が変わっていました。
貨物用の中線は消滅しています。
3000系も中間ユニットを剥ぎ取られて余生を国分寺線で送る時代になってしまいました。
クハ3006(左)、クハE232-11(右) 14.9.6 国分寺 |
振り向いた風景は一変してしまいました。
空が狭くなって息苦しいです。
クハ2012 14.9.6 国分寺 |
上下に赤電が見られた場所からは上の電車は見れなくなってしまいました。
多摩湖線のホームが後退してしまったためです。
クハ3006 14.9.6 国分寺 |
ホーム停車中の風景も随分と変わってしまっています。
クハ1262 14.9.6 国分寺 |
真っ白い電車が止まるホームはかなり萩山方に移動をしています。
6 comments:
国鉄と地方私鉄の接続駅のような雰囲気もあった国分寺駅は、車両も駅もすっかり変わってしまいました。
あの頃が懐かしい!
現在編に写っている3000系すら姿を消しました。
(3005Fは9月19日に横瀬へ廃車回送。)
元・いきもの部長さん
国分寺は昔日の面影がすっかりなくなってしまい、、残念です。
3000系、ここでも淘汰されたのですか!
国分寺は入社後の新人研修終了後の初任地でした。まだ国鉄だった時で、ちょうどJRに切り替わる時に離任しました。毎日通っていたにもかかわらず、写真撮って無かったのでとても懐かしいです。
国分寺の1番線ホームは西武線のみ着発でしたが、国鉄管轄だったので、西武系の”狭山そば”ではなく国鉄から構内営業権を得た立ち食いそば屋がありました。残業して遅いときは、駅について発車時間まで分以上あれば、1番線ホームの立ち食いソバに良くお世話になりました。そんなことを思い出してしまいました。
訂正
発車時間まで分以上あれば → 発車時間まで5分以上あれば
maru-ha殿
毎日使う駅や電車というのは意外と撮らないものですよね。
いつでも撮れるし、と考えて撮るタイミングを失っちゃうのでしょうね。
国分寺は1番線が西武線乗り場だというのも面白いです。
maru-ha殿
発車時間まで分以上あれば・・・
貴殿なら1分でも平らげるんだな、感心しちゃいましたぁ~。
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