モニ226 14.9.19 阿下喜 |
阿下喜の駅に綺麗な状態で保存されているモニ226に再会できました。
背後には昔自分が引っ張ていた電車が黄色くなって見守っています。
モニ226 14.9.19 阿下喜 |
懐かしい姿です。
改めて眺めると普通の電車用の前照灯が矢鱈とでかい気がします。
モニ226 14.9.19 阿下喜 |
現役のク143とのツーショット。
モニ226 14.9.19 阿下喜 |
パンタ無し側の前照灯はシールドビーム化されていません。
現役時代はシールドビーム化されていましたので、交換したのでしょうか?
モニ226 14.9.19 阿下喜 |
それでは、現役時代編です。
モニ220形は北勢線の前身・北勢鉄道が製造した電車ですので、後年三重交通になってからの増備の228、229以外の全車が北勢線で活躍を続けて来ました。
変化があったのが1977年の270系投入開始からです。
この電車の投入で北勢線の電動車数が余剰を来したため、モニ225からモニ227の3両が内部・八王子線へ転籍しました。
モニ225 81.8.30 内部 |
モニ225は事故復旧時に正面二枚窓になった異端車です。
こちらはTMS誌上にモデルが発表され、最初はフリーの電車なのかと思っていました。実車を見たときは、『模型と一緒だ!』と思ったのも懐かしい思い出です。
モニ226 81.8.30 日永 |
内部・八王子線で活躍していた現役当時のモニ226です。
モニ226は上記のように北勢線転籍組です。
モニ227 81.8.30 日永 |
相方は続番のモニ227。
227から229までの3両は戦後生まれで、ノーリベットの全溶接構造に変更されています。
モニ229(左)、モニ228(右) 77.7.13 内部 |
初めての近鉄ナロー訪問時に出会ったモニ228とモニ229。
こちらは最初から三重線(現・内部、八王子線)に配置された戦後生まれの電車です。
モニ229 81.8.30 日永 |
こちらはラストナンバーのモニ229。
次は北勢線に残った改造組の221~224の4両です。
ク221 90.8.5 北大社 |
モ222 90.8.5 北大社 |
北勢線に残ったモニ221~モニ224については2両固定編成化の改造を受けました。
4両のうちの2両の電装を解除・荷物室を廃止、西桑名寄り妻面に貫通路を設置してク220形に、モニ222とモニ224は荷物室を廃止して阿下喜寄りに貫通路を設置して2両貫通編成化されました。
モ222 90.8.5 北大社 |
正面窓にはデフロスターが装備されています。
通常の取り付け方向とは90°向きがずれているのもご愛嬌です。
ク223 90.8.5 北大社 |
モ224 90.8.5 北大社 |
もうひと編成の223ー224です。
ク136 90.8.5 北大社 |
そんな220形の相方を勤めていたク136。
サ130形から2両だけが晴れてク130形に改造されて活躍をしていました。
製造時から用意されていた乗務員扉が最後で役に立ったわけですね。
サ137 90.8.5 北大社 |
こちらは続番のサ137。
こちらは『サ』に終始しました。
デ46 90.8.5 北大社 |
北大社に残っていた電気機関車、デ46。
既に車籍は抹消され、構内入換専用車となっていました。
デ46 90.8.5 北大社 |
現役末期にあった黄色の帯も消されて、却ってオリジナルの姿に近づいた感じです。
ク223 90.8.5 馬道ー西別所 |
桑名郊外をゆく220形。
当時は二両固定編成になって魅力半減、と思って眺めていましたが、今から見たら充分素晴らしい光景ですね。
最後は模型編です。
模型もあります |
詳しくはこちら(⇒私の軽便電車のご紹介)をご覧下さい。
この中で、愛すべき近鉄ナローベースの電車群をKBMCで取り組んだ架空の私鉄『下北南部電鉄=シモデン』仕様で作ったものです。
こちらの企画は諸般の残念な事情で公開は結局2年で終わってしまいました。
折角の大好き電車、再びモジュール上で復活をさせたいと思っています。
6 comments:
あー
この南部電車、近鉄やったんカーああ~
カッコエエです、かっこええです!
実は私、隠れナローファンなのです。ただし、電化もの限定という、ちょっと天の邪鬼です。で、若い頃、北勢線をモデルにした0番ナロー(16.5mm・1/48)も何両か作りました。モニ220タイプはいずれ作りたいですね。
あすナローわんわん殿
おはようございます。
近鉄のモニ220はナロー電車の中では一番スタイリッシュで好きな電車です。
モハメイドペーパーさん
ナローの電車は特徴のあるものが多く、興味深いです。
栃尾の電車を一目でも見たかったです。
近鉄の「軽便」では、昭和40年代頃までは、制御車が存在せず、機関車が客車を引っ張るように、電動車「モ」が付随車「サ」を引っ張る、という運用が行われていたということを、少年時代にTJ誌で見た記憶があります。北勢線のほうはよく知りませんが、まだ名古屋線のホームが地上だった頃の四日市では、内部・八王子線のホームが行き止まりになっていて、常にMcが先頭に立たないと運転できなかったため、いつも反対側のホームにMcが待機していて、到着した電車がTを切り離し、待機していた別のMcが折り返して、先ほど到着していた編成から切り離されたTを後ろに連結して出発して行く、という光景が見られていた、というのでした。私が近鉄の「軽便」に乗ったのは、既にT→Tcへの改造が行われ、このような運行方法が行われなくなっていた時期になっていたのでした。
伊豆之国さん
私が最初に行った時は、内部・八王子線は昔ながらの機関車的運行方法でした。
北勢線は行くタイミングが遅れたので、合理化されていました。
四日市は高架化で完全に見放されたような印象を受けました。
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