Friday, October 24, 2014

近鉄伊賀線のモ5000形

近鉄伊賀線はその歴史的経緯から独自の車両群で運行を続けていました。
そこに転入したのが名古屋線からやって来たモ5000形です。
モ5000形は名古屋線の前身・関西急行鉄道がモハ1形電車の増備車として製造したモ6311形を改軌した車両です。
モ6311形は1942年、既に日本が準戦時体制に突入した資材難・統制経済の下で誕生した戦前最後の新造電車のグループの一員です。
モ6311形は戦前に5両を新造、その後は戦後の混乱期にも運輸省規格形扱いで追加新造されています。


モ5001 83.3.2 伊賀神戸

伊賀神戸での折り返し風景です。
サボを入れ替える風景、ほぼ絶滅しましたね。
古い電車に追加されたスカートは何とも似合いません。

モ5001 83.3.2 伊賀神戸

モ5001。
側面の窓が1:1のアルミサッシュ窓に更新されています。


モ5002 83.3.2 伊賀神戸
こちらはモ5002。
窓は木製の原型のままです。
モ5000形は奈良線から転用された820系の転入の1986年まで活躍を続けました。

6 comments:

  1. こんばんわ。

    このモ6311、雨樋が前面にある、ちょっと
    野暮ったいスタイルですね。スカートは全く
    似合ってませんが、田舎を走る伊賀線でしたので、小動物対策には役立ったのかも知れません。

    個人的には、モ6301を初めとする、旧関急系
    の各車は、近鉄の車両では好きなグループで
    したが、参急系の車両のイメージが強いため
    か、あまり目立たない存在の様に感じています。

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  2. nnishi1968さん
    こんばんは。
    モ6301に比べて正面の雨樋のおかげでスタイルを悪くしていますね。
    その上スカートですから。
    でも
    私も関急系の電車のスタイルは参急系より好きです。
    なので、モデル8のキットは当然買いました。

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  3. モハメイドペーパーOctober 25, 2014 at 12:19 AM

     窓桟の位置、上下均等くらいはまだいいとして、昭和40年頃、名古屋線にした6300で、上下逆比率(上6:下4くらい)のがいました。窓の機能としては問題ないけど、感覚的には許容範囲外ですね。

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  4. モハメイドペーパーさん
    近鉄電車はたまに変な改造をしますよね。
    私も上下比率がひっくり返ったアルミサッシュにはびっくりしました。
    それ以外にも両開き扉改造や京王線もびっくりするようなヘッドライト改造など???なこと結構してますね。

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  5. 私が伊賀上野を訪れたのは、昭和49年。忍者屋敷や、「鍵屋の辻」の近くにあった「組みひも会館」を見たことや、田園調布駅を思わせるような上野市駅の印象的な建物も記憶しているのですが、乗った電車については、「かなり古い電車だった」ことだけで、形式までは覚えていませんでした。調べて見たところ、5000系が入ってきたのが昭和52年だったこと、乗った車両の運転台に「タブレット形状一覧」のプレートが打ち付けてあって、既に廃線となっていた「西名張」の駅名が書かれていたことから見て、どうやらそれ以前に走っていた車両なのでしょうか。

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  6. 伊豆之国さん
    伊賀といえば忍者屋敷。
    一回見てみたいものと思いつつ、まだ見ていません。
    車内の『西名張』の表記の話、びっくりしました。

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