戦前の関西私鉄の中で志が近い新規開業路線としては新京阪(現・阪急京都線)と阪和電鉄の二つが挙げられるでしょう。
どちらも人口希薄地域を目的地に向けて線形の良い線路を敷いて大型・高速電車を突っ走らせた点や志半ばに当初の思惑と違う経営形態になってしまった点でも共通しています。
どちらも国策に翻弄されて戦後は思わぬ形となりましたが、阪和の車両はお上に召し上げられたことで新京阪以上に不本意な弄られ方をされてしまいました。
クモハ20021 66.8 天王寺 |
阪和線現役時代の阪和社型電車。
阪和時代の『モタ』形です。
阪和の電車は大きく分けると優等列車用の2扉クロスシートの『モヨ・クヨ』=椅子がヨコ形とローカル運用の3扉ロングシートの『モタ・クタ』=椅子がタテ形の二種類がありました。
その二者は基本的なスタイルは同一ながら、その韋駄天ぶりで世間的に有名なのはモヨ形のほうで、モタ形はそれほど話題に上りません。
しかしながら、可哀想にモヨ形は国鉄になってから3扉ロングシート改造を受けてそのスタイルを大きく崩してしまいました。
それに引き換えモタ形の方が結果的には原型を留める割合が高くなってしまったのも皮肉です。
クハ2026 80.10.13 平賀 |
他の買収私鉄は基本的に国電より小振りであったり、両数が少なかったりで戦後早めに整理が始まりましたが、その車両スペックから阪和形だけは例外でした。
それは車体寸法も性能も国電を凌駕していた唯一の買収電車であったからです。
その仕様及び所帯数から国電並みの整備を受けて、国鉄形の形式も与えられて後年まで活躍しました。
但しその図体の大きさの為に廃車後に私鉄に譲渡されたのは二両に留まりました。
車両の図体が大きく、電動機出力が大きいのも地方私鉄向きではなかったことも理由のひとつでしょう。
こちらがその唯一の譲渡例、弘南鉄道のクハ2026です。
クハ2026 80.10.13 津軽尾上ー田舎館 |
その貴重な生き残りは松尾鉱業鉄道を経て弘南鉄道で活躍する姿を見る事ができました。
この電車のことはこちらもどうぞ(⇒1980年秋 東北への旅)
電気機関車は秩父鉄道と近江鉄道に嫁ぎました。
先ずは本線貨物機のロコ1000形です。
ED38 1 79.1.23 熊谷工場 |
工場内で整備を受けるED38 1。
ユニークなデザインの箱型電気機関車です。
阪和時代の形式はロコ1000形。
阪和時代に3両、そして最後に発注した4号機は時代を反映してなかなか新造が許可されず、台数も減らされた上に残念ながら阪和時代には納入されずにその後の買収されてから継子のように納入されました。
性能的にはモヨの列車を逃げ切るために高速性能を持ち合わせた優秀なものであったようで、国鉄時代になってからの代替機がなかなか見つからなかったことからもそれを証明しています。
ロコ1000形は国鉄形式ED38を与えられ活躍をしましたが、その後は3両が払い下げられました。
払い下げられた3両は一部が大井川を経由しながら秩父鉄道に集結しました。
継子新造の4号機は保管の末、結局は活用されずに国鉄で廃車されています。
モヨ、モタは弘南鉄道に嫁いだ二両しか実見できなかったので、せめて電気機関車ぐらいはじっくりと・・・と思って何度か秩父の地に向かいました。
ED38 2 79.1.23 熊谷工場 |
工場の外に留置されたED382。
既に戦線離脱していたような雰囲気でした。
ED38 3 79.1.23 熊谷工場 |
現役で活躍していたED38 3。
運良く、この日に一気に3両全車が見ることができたわけです。
ロコ1101 79.3.14 彦根 |
こちらは近江鉄道に嫁いだロコ1101。
こちらの機関車は構内入換用として製造され天王寺駅構内での国鉄との貨車授受作業に充当されました。
用途が用途なので、ロコ1000形(ED38)とは全く違うスタイルの機関車です。
ロコ1101 82.9.2 彦根 |
正面から見たロコ1101。
横から見ると気にならないのですが、真正面から見るとナンバープレートや尾灯の位置がずっこけているように見えてきます。
ロコ1101 88.12.10 彦根 |
こちらはお役御免になったと思われる姿のロコ1101。
6 comments:
ロコ1101は直接制御だったと聞いていますが、運転台には入られましたか。
モハメイドペーパーさん
この機関車が直接制御であったことは、このブログ記事を書くにあたって調べて初めて知りました。
故に、運転台は残念ながら覗きませんでした・・・。
上武鉄道(日本ニッケル)へ向かう時に寄居駅で秩父鉄道のED38 3を初めて見ました。
その後、熊谷駅構内で見たのがED38 1でした。
先日は三峰車両公園に保存されているED38 1を眺めましたが、いろいろ観察できそうです。
いかにも阪和線らしいユニークな電機でしたね。
阪和・新京阪~開業の新しい関西私鉄は車両も施設も関東にない規模でした。阪急の天六ビルが無くなって
阪和線天王寺駅の大屋根が今や唯一の遺構になってしまいましたね。
車両の話でなくてスミマセン。
katsuさん
阪和の電気機関車は腰高で車体のデザインも他には見当たらないものでした。
入れ替え機のロコ1101も使い勝手の良い機関車であったようですし、当時の担当者の熱い思いが伝わってきそうです。
Cedarさん
関西の新興私鉄はスケールが大きかったですね。
阪和線の天王寺のホームに立つと阪和型が入線してきてもおかしくないような雰囲気が辛うじて残っていますね。
数ある買収路線の中でも国鉄にとって一番お買い得な路線でしたね。
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