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Monday, September 8, 2014

37年振りの南武線 久地から津田山

先日、所用と夜の約束の合間(こちら⇒土曜日は東急線の日)に時間ができたので、横浜線全滅後の今去就が噂されている南武線の205系を見に立ち寄ってきました。
南武線は73系電車が引退してからは、仕事の用事で何回か利用した程度で、殆んど完全に御無沙汰をしていました。
当然ながら、103系が活躍した時代には全くと言っていいほど立ち寄っていませんでしたので、ほぼ37年ぶりの訪問ということになります。

クハ205-27(左)、クハ204-31(右)
14.9.6 府中本町

西国分寺から府中本町へも205系。
武蔵野線から乗り換えた南武線は殆んど浦島太郎状態でした。
南多摩、稲城長沼と高架線になっているなんてことは全く知らず、驚きの車窓風景が展開していました。


クハ204-130 14.9.6 登戸

途中の登戸で快速を見送ります。
どの編成も結構正面の汚れが気になります。
先が見えているからメンテナンスの手を抜いているのでしょうか?

下り線から中線に入るポイントの感じ、微妙ですね。
模型だと脱線しちゃいそう・・・。

14.9.6 久地

そして、37年ぶりに降り立った久地駅。
73系時代でさえ、南武線は沿線で開けた場所はたいへん限られていて、その当時稲城長沼付近で撮った記憶があるのですが、なんてったって高架化されているのではもうお話になりません。
そこで、昔日の記憶を頼りにここから津田山の区間ならまだ写真を撮れそうな気がして下車しました。
駅のホームから見た川崎方の雰囲気は、何とかなりそうな予感・・。

クハ204-139 14.9.6 久地ー津田山

下車後、早速津田山方向に歩きます。
おぉ、久地駅の立川方の踏切付近は当時の面影が残っています。
そこで、その踏切から下り電車をパチリ。


77.11.20 久地ー津田山

次は記憶を辿ってこの場所を探します。
この場所はカーブと背景の様子は基本的には変わっていませんでした。
しかし、この時代のコンクリート柵とは比べ物にならないくらいしっかりとした柵が身長程度の高さで城壁のように立ちはだかっていましたので、撮影は断念。


77.11.20 久地ー津田山

こりゃまた酷い写真ですね・・・ハズカシイ・・・。
きっとカメラも準備していないタイミングで来たのでしょう、不発に終わった101系快速との101系同志の離合です。
この頃は101系同志の離合の方がまだ少なかった時代でした。


77.11.20 久地ー津田山

何を考えて信号機を入れて撮ったのか解りませんが、久地方の踏切をバックに下りの立川ゆきクハ79を撮っています。
架線柱もまだ木製のものが主流でした。

クハ205-136 14.9.6 久地ー津田山

こちらがほぼ同地点と思いますが、件の柵が邪魔して上手く撮れません。
コンデジを柵の上に乗せて一本だけ撮ってみました。


77.11.20 久地ー津田山

こちらは駅間の中間付近にある小さな踏切から撮ったクハ79。
すぐ右脇の高台は道路です。

クハ205-18 14.9.6 久地ー津田山

こちらはほぼ同じ場所と思います。
背景に大きな建物が建っています。


77.11.20 久地ー津田山

こちらは上の踏切を川崎方に振り向いての逆光画像です。
この写真を見ると警報器も無い第四種踏切であったのかもしれません。


クハ204-18 14.9.6 久地ー津田山

上の写真の場所はこちらですね。
警報器を入れて撮ってみました。

クハ204-28 14.9.6 久地ー津田山

立川行き下り電車。
この太っとい架線柱、嫌いです。

クハ204-27 14.9.6 久地ー津田山

踏切の反対側から撮りました。
こちらのほうがマトモな写真が撮れそうですが、当時はそんなことを考えなかったのでしょう。

14.9.6 津田山

津田山駅に到着しました。
以前歩いた時にこの区間は結構駅間距離があったような気がしていましたが、あっさり到着してしまいました。

37年の隙間を埋める一時間弱のショートトリップのご報告でした。


4 comments:

南部犬 said...

77年~80年当時南武線ヘビーユーザーでしたが、こんなに様子が変わってるとは思ってもみませんでした。。
今も昔もなんとも単調な車窓は変わりませんからなあ(糞)。

伊豆之国 said...

南武線は、73系の天下だった頃から、なんだか沿線の雰囲気が余り変わっていないように見えるのは気のせいなのでしょうか?それでも、中原~新城に続いて矢野口~南多摩間も高架が完成し、また川崎寄りの工場跡地などへのマンションの増加などとあわせて、以前からの風景も結構変わってきているように思えてきます。それでも、宿河原あたりの用水路沿いの桜並木や、中野島~稲田堤あたりの梨畑など、かつての田園風景を偲ばせる風景が残っていたりするのを見ると、なんだかほっとするような気分になります。
久地駅にある国鉄時代からの駅名表示板は、他の2,3の駅でも見たことがあるのですが、今も残っているのでしょうか?津田山、津田沼、長津田…どれが何線にあるのか、よく知らない人にとってはまぎらわしいですねぇ…。

chitetsu said...

南部犬殿
一見変わっていなさそうな場所も結構変貌しているものですね。
まあ、今も昔も単調な雰囲気は相変わらず、ですがーーーー。

chitetsu said...

伊豆之国さん
基本的には南武線沿線の雰囲気は変わっていないのでしょうね。
それでもそれなりの変化に今回びっくりしました。
国鉄時代タイプの駅名標、この駅以外にも今回何駅かみました。
あっという間に駅名忘れましたが・・・。