この夢のような出来事は地元ファンとしては外せないイベントでした。
運転は土日の2日間運転形態を変えての二往復に横瀬の展示会がセットされたものでしたので、家族で芦ケ久保のハイキングを兼ねてコテージを予約しての一泊二日の万全の体制を敷いて訪問しました。
その時の様子を3回に分けてお届けします。
本日の一回目は初日の土曜日の運転の様子です。
最初の下り列車はこちらの場所で待ちました。
96.5.25 吾野ー西吾野 |
本命登場までにやってくる電車も当然、撮ります。
こちらは今も活躍中の4000系。
電車に興味のないおっちゃんに邪魔されました。
96.5.25 吾野ー西吾野 |
NRAも一応撮影。
96.5.25 吾野ー西吾野 |
秩父線内折り返し運転のN101系8連。
この頃はまだツートンカラーで元気はつらつとしていました。
この当時は101系の線内折り返し運転も当たり前の風景でした。
96.5.25 吾野ー西吾野 |
急行『奥武蔵』にはまだ101系初期車が活躍していました。
96.5.25 吾野ー西吾野 |
こちらは振り向いても撮影。
E854 96.5.25 吾野ー西吾野 |
そして、本命登場!
やはりE851に客車牽引は似合いますね。
E854 96.5.25 芦ケ久保 |
こちらは戻りの列車がトンネルから飛び出してきたシーンです。
初日は往復ともに単機での運転でした。
6 comments:
あの粋な電機も所詮は徒花だったのでしょうか?セメント輸送の需要予測が間違ってたとしか思えない。
私鉄こそモーダルシフトで地下鉄直通の荷物輸送を!
話が違っちゃいましたね。
Cedarさん
セメント輸送については思惑が外れちゃったのでしょうね。あれだけの機関車作ったのに呆気ない幕切れでした。
モーダルシフトという考えは日本ではやはり浸透できないのでしょうか?
このイベント、私も撮りに行きました。途中で沿線の警備に狩り出された西武の社員と会い、人出を予想して沿線の家に挨拶の手拭いを配ったなんていう話しを聞きました。
一泊二日とは、さすが気合が入っていましたね。
私は2日目だけでした。
初代レッドアローに続いての引退でした。
さらに、701系列の引退と101系の黄一色化が続き、一方ステンレスカー登場に地下鉄相互乗入や高架複線化工事の進行。
思えば、西武が急速に変化した時期でした。
モハメイドペーパーさん
やはり、行かれてましたね。
鉄道側はこのイベントにはあらゆる面で気を使ったみたいですね。
その時の話がピクトリアルの特集号に掲載されているのを読んだことがあります。
元・いきもの部長さん
きっと行かれていると思いました。
二日目は重連のほうですね。
レッドアローの交代、貨物の廃止・・・・
西武がまた新たな変化を迎えた時期でしたね。
Post a Comment