ハワイアンブルーの2扉クロスシートの電車は少年時代に出会った一冊の本の影響で結構な憧れの電車でした。
上記記事で書いた内容から抜粋しますと・・・
この電車は小学生時代にどこかの出版社から発売になっていた印刷した紙を切り抜くことで模型化できる・・・という何とも原始的なペーパークラフト本に掲載されていて、憧れをもって見ていた電車でした。
既にその時のペーパークラフト本は手許に無く、版元は勿論どんな内容であったかさえもおぼろげになっていました。
それに対して頂いたコメントは・・・
それに対して頂いたコメントは・・・
伊豆急行クモハ100形ペーパークラフト本とは、
客貨車区当直日誌2010年1月21日 (木)『模型と工作』ペーパー車体の思い出
にあるものでしょうか?
2014年8月2日 1:25
この頂いたコメントで教えて頂いたサイトでその時の記憶が蘇って来ました。
このペーパークラフト本で見た綺麗に印刷された伊豆急100系電車のイメージはその後大きくなっても変わりませんでした。
クハ158 83.1.2 川奈ー富戸 |
こちらは前回の記事(こちら⇒鉄道コレクション 伊豆急行100系低運転台車)で紹介した画像のリバーサル版です。
正月の家族旅行の折に途中で撮影した100系電車。
クモハ100形やサロ180形が組み込まれた編成です。
ED25 11 88.10.28 伊豆高原 |
こちらは前後の写真もなければ記憶もない伊豆高原駅での一枚だけのカットです。
奥にクモハ100形が見えますね。
そんな伊豆急100系電車、意外と真面目に撮らないうちに終焉を迎えてしまいました。
写真の大半は100マンアクセスの記事と鉄コレの記事で紹介をし尽してしまった感じで、それ以外も大したものは撮っていません。
その上、引退が決まって最後の頃のイベント運転時は遠く東北の片隅にいて、とても行けそうにはありませんでした。
そんな100形電車、なんと開業50周年を記念して社長の鶴の一声で、車籍復活・復活運転をするとのこと。
これは行かねばなりません。
どうせならと・・・
かみさんを説得しやすい息子と二名で12月の始めの頃の回でこのツアーを申込みました。
イベントツアー案内 伊豆高原 |
伊豆高原駅に到着すると、このようなイベント告知の案内が駅構内にも掲示されていました。
この復活運転のイベントツアーは手作り感いっぱいの暖かいもので、行って良かったという満足感が十分得られました。
それでは、以下そのツアー報告です。
クモハ103 11.12.11 伊豆高原 |
ウキウキしながら待つこと暫し、クモハ100形が車庫からホームへと出庫してきました。
パンタ側はスカート付きの姿のままです。
クモハ103 11.12.11 伊豆高原 |
ホームへ入線してきました。
もうすでに結構興奮気味です。
クモハ103 11.12.11 伊豆高原 |
伊豆急下田方には伊豆急開業時のヘッドマークが復刻掲示されていました。
パンタ無し側は当初のデビュー時に近い姿をしています。
現場の方のお話では、スカートや屋根上の冷房装置をはじめ、いじりたいことはいっぱいあったものの、現在の法規制では叶わないことが多く、やむを得ず見送ったことが多くあったとの話をされていました。
相手は役所ですから道理が通らない苦労は多い筈で、中々手強いのは私も仕事柄つい頷いてしまいました~。
外からでは解らない苦労はどこでもあるのですね。
クモハ103 11.12.11 伊豆高原 |
運転台の様子です。
機器類の形状や配置、懐かしいですね。
クモハ103 11.12.11 伊豆高原 |
クモハ103 11.12.11 伊豆高原 |
車内には開業時から復活までの様々な解説やポスターが掲示されていました。
その中から2つ抜粋してみました。
今回の切符と弁当引換券 |
車内のクロスシートには懐かしいテーブルが。
クモハ103 11.12.11 伊豆急下田 |
そんなことで伊豆高原停車中も落ち着きなく車内外をうろうろしている間に発車時間と相成りました。
クモハ103号車は懐かしい音を響かせながら伊豆の山々を抜け、快走しました。
電車で下田へ向かうのは、実はお恥ずかしながら初めてでしたので、走行中も興味津々。
直角のクロスシートに身を委ねつつ、楽しい時間を過ごせました。
そして終点、伊豆急下田に到着しました。
ツアー弁当 |
一通り電車を撮って弁当をもらってからは、折角なので市内観光をゆっくりとすることとしました。
下田観光 |
折角なので知ったかぶって息子にペリー来航の話などをしてやりました。
息子はあんま興味なく聞いていたみたですがっ。
クモハ103 11.12.11 伊豆急下田 |
お客さんのお弁当タイムは電車の休憩タイムです。
11.12.11 伊豆急下田 |
『伊豆とともにに生きる』・・・・。
これを見て『細うで繁盛記』の新珠三千代と冨士眞奈美を思い出してしまいました(古っ!)。
17 comments:
確か伊豆急スコールカー(サシ191)と上信デハ250がNゲージのペーパーモデルでありましたね。
GMのカタログでしたでしょうか?
あれを組み立て、今も保有する猛者はいるのでしょうかw
前にも書いたのですが、伊豆急の電車にはそれこそ幼き頃の旅の思い出がいっぱい詰まっていました。まだエアコンが無く、夏には窓を大きく開けて吹きぬける風の涼しさを味わったのでした。伊豆稲取付近で波打ち際を行く風景はとりわけ印象に残っています。快晴なら遠くに伊豆大島も見えるのですが、こちらのほうははっきりした記憶がありません…。「リゾート21」の星空が出てくる車両もいいのですが、やっぱり窓を開け放して浴びる海風の心地よさにはかないません…。
下田の駅前のバスターミナル、寝姿山へのロープウェイも印象に残っています。写真にも出ている「なまこ壁」の民家は、西海岸の松崎町にも街並みが残り、その隣にある父の故郷・西伊豆町にも幾棟か残っていたのでですが、最近は行っていないのでまだ残っているのやら…。
銭の花の色は清らかに白い。
だが蕾は血がにじんだように赤く、
その香りは汗の匂いがする。
加代、おみゃーに食わせるメシはにゃーずら!
「細うで繁盛記」に釣られましたっ(爆)。
12号線さん
そうでしたっけ・・・
確かにあったような気がしますね・・。
記憶はかなり遠ざかっています・・・。
あのペーパークラフトは結構マニアックな車種選定だったですね。
伊豆之国さん
大きな窓を開けて海の風を浴びながらの電車旅、当時は結構暑くて、吹き付ける風は結構強烈だったりしましたが・・・今となっては懐かしい思い出ですね。
なまこ壁の松崎、行ってみると結構なまこ壁の家が少ないのにびっくりしました。
鉄ヲさん
懐かしいですね、
『銭の花の色は清らかに白い・・・・』
あまりドラマの内容も分からずに冨士眞奈美のフレーズを面白がってモノ真似していた自分を思い出します・・・。
こんばんわ。
「模型と工作」、懐かしいですね。
同じ出版社から、Nゲージ特集の本が出て
いて、付録としてクモユニ74の型紙が付いて
いたり、ペーパーでの165系の作り方などが
記載され、中々面白かったのを覚えています。
型紙のクモユニ74、説明通りに作りました
が、似ても似つかぬ物になったのは、今では
良い思い出です。
思わず、切符に目が行ってしまいましたが、これはパソコンプリンター切ったものですか???
だとすると残念。こーゆーのを硬券とか補充券にすると、人気でるのにと妄想してしまいます。
chitetsuさんの記事見たら、小生も100に乗りたくなりました。
思わず、切符に目が行ってしまいましたが、これはパソコンプリンター切ったものですか???
だとすると残念。こーゆーのを硬券とか補充券にすると、人気でるのにと妄想してしまいます。
chitetsuさんの記事見たら、小生も100に乗りたくなりました。
nnishi1968さん
『模型と工作』、昔は目を皿のようにして見ていました。
懐かしいです。
当時の模型型紙、見ていて楽しかったですね。
実際に作るとどうなっちゃうかは別にして・・・。
maru-ha殿
あの切符、貴殿に差し上げたですよね。
まさにPCで作ったもので、切り取り線さえちゃんと合っていないかなりラフなシロモノです。
ほとんでこども銀行券状態です。
伊豆急は開業の年の夏に乗ってるんです。
その頃は家族で伊東の海に行ってたんですが、祖父が下田まで電車が出来たので行ってみよう、と言い出しました。
ハワイアンブルーの車体やユッタリしたクロスシートは憶えてますが、いちばん記憶してるのは、唐人お吉ゆかりの寺にある18禁の展示館に祖父1人で入ってしまい、子供らは外で待たされたことです。
Cedarさん
開業の年に乗っているとは流石Cedar家ですね。
下田のお話しも、流石Cedar家ですね!!!
うわっ!
ちょっと目を離した隙にこんな記事をっ!
しかもコメントの嵐!
伊豆急100、乗りたいですねー(爆)!
みんなー!乗りたいカー、スコールカー!?
いぇ~~い!
悪徳福原屋に
新珠山水館となかよしの大西館
なんでそんな旅館の名前まで憶えてるのかっ!?
ニャーズラ!
イヌ急100形殿
そうです、目を離さずに1日3回見てください~(カクバク)
犬西館の旦那殿
そう、猫に喰わせるメシはあってもオミャ~に喰わせるメシはにゃ~ずら・・・
デスね!
山水館の名前はクッキリ覚えています・・・。
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