本日は真夏の真昼間の暑い日に所用で四つ木に行った帰り、その両駅の間をカメラ片手にうろついた記録のご紹介です。
93.7.27 四ツ木 |
こちらは四ツ木駅の風景です。
誰もが汗をかいて暑そうな光景です。
デハ1207 93.7.27 四ツ木 |
やって来た電車は京急電車。
方向幕からはみ出してしまいそうな『千葉ニュータウン中央』ゆき、懐かしいですね。
93.7.27 荒川 |
こちらは荒川対岸の『荒川』駅です。
現在は橋梁改修・高架化されて駅名も駅の場所も変わってしまいました。
なんとも長閑。
気の抜けたような駅風景です。
93.7.27 荒川 |
荒川駅は当時の押上線で一番乗降客数の少ない駅でした。
開業当初から長い間『荒川』という駅名を名乗っていました。
駅名の由来は単純に荒川の土手上に位置していたことだそうです。
しかしながら、墨田区にあるのに『荒川』という駅名は荒川区と紛らわしいという理由から、地元の請願により、『八広』という駅名に1994年に改められました。
「八広」という町名は、住居表示実施に伴い従来の8地区が合併して新たな町域が成立した際に、縁起の良い「八」の字を採り、その字体から「末広がり」の縁起を担いで命名されたもの、だそうです。
デハ1340 93.7.27 荒川 |
こちらが荒川駅の構内です。
構内踏切も健在で、構内踏切のすぐ横が公道ですので、ワルサしようと思えばできそうな構造になっています。
背後では既に高架化工事が始まっていました。
デハ1143 93.7.27 荒川ー四ツ木 |
上の写真の場所で振り向くとこんな感じで電車が写せました。
まさに荒川を発車した特急崩れの青砥行き。
デハ1337 93.7.27 荒川ー四ツ木 |
こちらは集中冷房のデハ1000形。
行先も未だ『羽田』ゆきです。
まだ空港まで乗り入れていなかった時代ですね。
この鉄橋は水面からも近く、鉄橋脇の柵も工事現場みたいなお粗末なものでした。
こちらの鉄橋には1991年タンカーが衝突し、上下線ともレールが折損するほどの事故が発生しています。
この時は四ツ木から荒川駅間が数日間にわたって運休になり、両駅でそれぞれ折り返し運転となるという事態が発生しました。
この事故を契機に、以前から協定・調査段階であった荒川橋梁掛け替えおよび四ツ木駅 - 当駅の高架化が最終決定され、工事が開始されることとなったそうです。
93.7.27 荒川ー四ツ木 |
京急デハ1000形とは似たような構造なのに魅力的でない京成電車は気合なく、この1枚しか撮っていません。
形式もわかりませんし、編成のお尻も切れちゃってます~。
93.7.27 荒川ー四ツ木 |
こちらの都営車の方が好きでした。
でも非冷房で暑い電車でした。
この写真見ても殆んど空っぽ。
みんな暑い電車を避けたのでしょうか?
93.7.27 荒川ー四ツ木 |
この区間、私的にはどこか阪神北大阪線とダブってしまいます。
20年ぐらい前の暑い夏の一日のお話でした。
すごいですね、京成の駅を紹介されているのに、走っている電車はほっとんど京急。いまでも横浜から東横線に乗ると西武やらメトロやらいろいろと。以前は路線名は車両を連想させたものですが、今や路線名はただの路線名としか認識出来ない悲しみに似た何かを感じてしまいます。
ReplyDeleteはたのさん
ReplyDelete京成で京急、かなり確信犯的行動ですが、京成線内の京急を撮るのが目的での訪問でした。
今、都営線から羽田空港ゆき乗ると私は何故か十中八九京成電車がやって来ます〜。
吉幾三が出ていた映画「俺は上野のプレスリー」でこの駅が使われていましたね。
ReplyDelete実際劇中でも吉がワルさをしていましたw
西大阪線や・・・・
ReplyDelete京成「荒川」駅は、確か「下町の太陽」という映画のシーンにも出てきていました。土手に駅舎があり、構内踏切のあるのも、ここに出ている写真と同じでした。蛇足ですが、今の荒川区にも荒川が流れていません。荒川の改修工事でそれまでの「荒川放水路」が荒川の本流となり、それまで「元の荒川の下流の通称?」だった隅田川が正式名称に格上げ?されたためにそうなったのです。
ReplyDelete京急の電車の行き先は表示には?のつくものが多く有りました。「新町」(神奈川新町)とか「文庫」(金沢文庫)とかは、知らない人にはほとんど理解不能ですね…。それでいて「千葉ニュータウン中央」なんかそのままでしたから…。それでは見づらいことだし、「千葉NT」とでも省略すればいいじゃん、と突っ込みを入れたくなっていました。「印西牧の原」と「印旛日本医大」は、「印」の字での混乱防止でそれぞれ「牧の原」「日医大」に…。さすがに今は「神奈川新町」「金沢文庫」と正式駅名の表示になっているようです。
12号線さん
ReplyDeleteやはりこの雰囲気はロケには都合がいいのでしょうね。
吉幾三、実家に行ったことがあります・・・。
半身わんわん殿
ReplyDelete・・・でしょう!!!
どうしてもダブって見えて来るんねん。。。
伊豆之国さん
ReplyDeleteこれは、品川駅が品川区に無かったり北品川が品川の南にあるっ、ていうやつと似てますね。
京急のローカルルールのような『新町』、『文庫』の行先表示、初めての利用者にはハタ迷惑な限りでしょうが、どこか京急らしくて好きでした。
乗り入れ先の行き先も京急的には簡略化したかったんではないでしょうか?
まあ、相手はお役所みたいな会社なので諦めた?
3枚目の写真で公道と構内踏切の間にあるトゲトゲみたいなバリア。客がここを通り抜けないようにするためですが、京成ではよく見かけました。昔は京急の空港線なんかにもありましたね。
ReplyDeleteこれも木の角材を削って1本ずつ植え込んだもので、結構手間がかかっています。
たしかに西大阪線にみえるけど、
ReplyDeleteおっちゃん、「北大阪線」って書いてるねん(爆)・・・・
北大阪線は併用軌道のアレや・・・・
chitetsu様、お世話様です。
ReplyDeleteファイヤーオレンジの京成電車、片開きドア、京急1000形(中期以降車)みたいなユニットパターンや側面パターン、からして『更新改造後の3150形』みたいですね。
3000や3100はギョロ眼更新されずに廃車になってしまったのと、これ以降って確か両開きドアになっていたような。
伊豆之国さんの指摘通り荒川区に荒川が流れていないので、駅名ではなく区名を変えるのが正道では?(笑)
ReplyDelete蛇足ですが、目黒駅は品川駅のない品川区にあります。
さらに、京成には葛飾区にない葛飾駅もありましたが、こちらも京成西船に改められました。
ところで、撮影時は北総線や羽田(現天空橋)への乗り入れが行われるようになった変革期でしたね。
当時は現在よりも京急乗入の本数が少なかったのではありませんか?
そうだとすれば、炎天下での京急車の撮影は大変だったことしょう。
モハメイドペーパーさん
ReplyDeleteあのトゲトゲ、以前はあちこちで見た気がします。
今のように構内踏切自体が絶滅危惧状態になってはなかなか見れなくなってしまいました。
半身わんわん殿
ReplyDeleteありゃ・・・
間違えた。。。
平和島の大将さん
ReplyDeleteありがとうございます。
私には3000系列、としかわかりませんでした・・・。
元・いきもの部長さん
ReplyDeleteこの当時は正に相直の行先も輸送形態も変革期でしたね。
どのぐらいこの駅あたりに居たかの記憶は飛んでしまっていますが、暑かったことだけは覚えています。
ワンカット目、素晴らしい!
ReplyDeleteあの頃のあの駅を知ってる人ならわかります。
Cedarさん
ReplyDeleteありがとうございます!
あの雰囲気、なんとも言えず懐かしいです。
前に「西部警察」等のTVドラマの話題を出した時にも伺いましたが、荒川を渡る鉄橋と車両に当時好んで見ていた「昭和50年代の刑事ものTVドラマらしさ」を感じます。
ReplyDelete京成―都営―京急の乗り入れですが、最近は京王がだいぶ整理されましたが、京急車が上野発の運用に入っていたことがあり、確か2000年代初頭の海外出張の時、日暮里から当時は原型の京急600形に乗ったことがあります。また、最近は京成車の京急乗り入れは全て空港線行きになっているようで、横浜では乗り入れ車は都営以外見なくなっています。
原口さん
ReplyDelete3社の乗り入れも以前に比べると空港連絡中心で整理されましたね。
京急車の上野乗り入れ、結局撮らずじまいになってしまいました。
沿線住人です。27年前の写真は今見るとえらく昔の写真に見えますね。
ReplyDelete押上線の中で唯一当時のままの駅が京成立石駅ですが、これもあと数年で変わってしまうので
今から写真に収めておこうと思います。
写真を撮影されていた時期は私は京急で駅員をしていたのですが、色々と懐かしい思い出が甦りました。
匿名さん
ReplyDeleteここ最近でこの沿線も様変わりしつつありますね。
立石駅も今が最後のチャンスですね。