その現役時代の画像をもう少しまとめてみました。
東武鉄道5700系は、大概のこの種の電車が経験した格下げ通勤車改造を最後まで受けずに天寿を全うした希少な電車でした。
これも東武鉄道という会社の風土と観光地を控えていたからこそ成り立ったのでしょう。
晩年の5700系は流石に定期運用は持たず、波動輸送用として運用されましたので、その姿を捉えるのは結構難しいものでした。
そんな5700系電車を狙って何度も東武沿線に行ったのも懐かしい思い出です。
こちらにもあります(⇒鉄道コレクション東武鉄道5700系)。
モハ5705 90.11.23 板荷ー北鹿沼 |
北鹿沼から今市方向には徐々に高度を上げてゆきます。
そんな板荷近くの築堤を望む場所で5700系を待ちました。
秋の行楽シーズンなので、やって来るに違いないと踏んで待っていて、本当にやって来たときは嬉しかったものでした。
90.12.2 明神ー下小代 |
こちらは下小代付近の築堤をゆく4連。
私が見た5700系では4連はこれ一回きりでした。
90.12.2 楡山ー東武金崎 |
この日は5700系、2列車が運用に入っていました。
モハ5703 87.2.15 明神ー下小代 |
波動用とはいえ、こんな時期にも結構走っていました。
モハ5706 87.2.15 板荷ー下小代 |
板荷の坂を駆け下りる上り浅草行き電車。
冬の斜光線が見事に浴びた5700系は美しいものでした。
クハ700 87.2.15 板荷ー下小代 |
車体を光らせながら浅草へ走ってゆきました。
3000系 87.2.15 板荷ー下小代 |
3000系のローカル電車。
霜取り用パンタの付いたこの電車も今や懐かしい存在になりました。
88.6.25 明神ー下今市 |
ヘッドマーク付き列車『たびじ』。
このタイプの列車には結構充当されていました。
88.6.25 明神ー下今市 |
浅草へ向かう電車を振り向いてもう一枚。
「たびじ」懐かしいですね。日光修学旅行で往復利用したのが最初で最後の乗車体験でした。
ReplyDeleteそんな事もあって、東武博物館での保存車が原形復元されると聞いた時には何とも複雑な気分でした。
前にブログ記事にしましたが、5700 の臨電で浅草〜鬼怒川を旅したことがあります、例によって日付け記録が無いのですが、ひょっとしたらお写真のどれかだったりして〜。
ReplyDeleteどえらいゲージュツ写真を撮っておられたんですなあ!
ReplyDeleteこんばんわ。
ReplyDelete今から思うと、最後に5700を見たのは、工事
中の柏駅に入線していた臨電でした。カメラ
を持ってなかったのが、今も心残りです。
その頃の野田線は、日光線同様、吊り掛け車
の天国でしたが、その野田線から吊り掛け車
が姿を消して早や10年、路線名も変な名前に
なってしまいました・・・
匿名さん
ReplyDelete『たびじ』で修学旅行、羨ましいです~。
私は東北道もできていない頃の国道をバスでだらだらと日光に連れてゆかれました。
博物館保存車、私も複雑な気持ちでした。
スペースの都合があるのでしょうがないですが、保管されていた相棒が解体されたのもショックでした。
Cedarさん
ReplyDelete5700で鬼怒川ですか~。
これまた羨ましいです。
私は『原人列車』という変な列車で葛生まで乗った経験が唯一です。
できれば日光線系統で乗りたかったです。
アートわんわん引越しセンター殿
ReplyDeleteおはようございます。
90マン、オメデトウ(^▽^)ゴザイマース!
nnishi1968さん
ReplyDeleteこんにちは。
5700は偶然見る機会があってもカメラがないことが私も結構ありました。
今なら携帯で撮れたのでしょうが。
野田線の臨電、どこかで情報が出ていて撮りに行ったことがありました。
野田線の線名、何とかならんのでしょうか?
久しぶりにコメントいたします。
ReplyDelete私も5700系の撮影や乗車を楽しみました。
仲間と臨時快速の往復乗車をしたとき、帰り
の「だいや96号」の先行列車(対向列車?)
が踏切事故を起こし、藤岡駅に抑止されました。スペーシアと並び、スペーシアが先に出たあと、2時間遅れで運転再開したものの、
東武動物公園で運転が打ち切られた経験が
あります。
東武5700系に乗ったことは前にも書きましたが、栃木の蔵屋敷・秋祭り見物からの帰りの臨時急行、出発したと思ったらいきなり次の新大平下で特急通過待ちで運転停車。やはり特急と比べてみると速力の差はいかんともしがたかったのでしょう。それでも再び動き出すと、唸りを上げて加速して行くモーターの爆音は、「最後の釣り掛け有料優等列車」にふさわしい、昭和の音風景なのでした。
ReplyDelete3000系は、まだこのときは現役で、急行の1本前、藤岡止まりのローカル列車が2両編成で運行されていました。野田線は、一昔余り前、社用で何度か乗ったことがあり、5000系に乗り合わせたこともありました。野田線の変な横文字愛称は論外。沿線には、大宮の盆栽・岩槻の人形・春日部の桐箪笥・南桜井の凧揚げ・野田の醤油…と、「和」の伝統を受け継ぐ名産・名物が揃っているのですから…。むしろ柏で系統が分割されている現状から見て、柏以南を「船橋線」(愛称・ふなっしー線?)として独立線名にしたほうがよさそうな気がします。
伊豆之国さん
ReplyDelete最後の吊り掛け有料優等列車・・・
唸りを上げて加速するシーンは良いものでしたね。
それに引き換え3000系は何故か唸りの音があまり聞こえず、ゴロゴロ走る感じでメリハリがなかった気がします。
野田線は仰るように愛称つけるなら『和』テイストにしたほうがまだマシだったでしょうね。