そんな2004年の春、全線廃止の発表があって大変驚きました。
一通りの近代化が終わったに見えた日立電鉄でさえ、ここまでの苦境に立たされていたとは知りませんでした。
廃止の報を知ってからもなかなか足が向かない中、2004年の12月にこちら方面に近い知人宅でクリスマスパーティーのお誘いを受けての行きがけの駄賃で当時幼かった息子と初めての親子旅で日立に向かいました。
ついこの間の事と思っていましたが、日立電鉄の廃止から既に10年が経っているのですね。
モハ2213 04.12.23 常北太田 |
常北太田駅のメンバーも当然総入れ替えになっていました。
しかしながら、以前の賑やかさはなく寂れた雰囲気が漂っていました。
以前の常北太田の様子はこちら(⇒日立電鉄日帰り旅 その4)。
04.12.23 常北太田 |
既に廃止が発表され、駅にはこんな掲示が出ていました。
あと4ヶ月に廃止は迫っていました。
モハ2007 04.12.23 常北太田ー小沢 |
常北太田から、沿線を大甕方向に移動しながら何本か電車を撮ることとしました。
モハ2216+モハ2007 04.12.23 常北太田ー小沢 |
以前は単行で間に合った運用が乗客が減ったのに二連で運行しているというのは皮肉です。
モハ3025 04.12.23 大橋ー川中子 |
日立名物のこの区間では、復刻塗装の電車がやって来ました。
モハ3023 04.12.23 大橋ー川中子 |
赤ベースの塗装は頂けませんが、この塗装は結構しっくりきますね。
モハ3023 04.12.23 大橋ー川中子 |
以前モハ13形を撮った場所(これもこちら⇒最初のリンク先といっしょ)で復刻塗装車を待ちます。
モハ3025 04.12.23 大橋ー川中子 |
こちらは同列車の後ろ姿。
モハ3023 04.12.23 大橋ー茂宮 |
冬の昼下がり、のんびりとやって来た電車。
来春にはもう見られなくなります。
モハ3023 04.12.23 南高野ー茂宮 |
常磐線をくぐる手前の小さな駅、南高野付近は里山と道路に挟まれた狭い場所を縫うように走っていて、昔ながらの光景が良く残っていました。
この写真を撮った後、友人宅へと向かったのでこれが最後の日立電鉄の画像となってしまいました。
今はどうなっているのでしょうか?
だらだらと続けてきた日立電鉄回顧、これにて幕といたします。
6 comments:
とても楽しい日立電鉄回顧録でした。
ワタクシも日立電鉄の車両が元営団車両に全て置き換わってからは行ったことがありませんが、ここまで寂れてしまったのですね。
末期はネットのレールファンにも登録されていましたね。
もし旧形車両が1両位動体保存で残っていたら行っていたかも知れません。
この写真を見て一言!!
銚子で、真っ赤かとか真っ黄きの電車が走っていますが、日立色の方が良いなぁ。
東京からの観光客向けには、昔懐かしい色でしょうというウリでしょうが、何せ都内では赤い電車が黄色くなったり、黄色い電車が赤く塗られる時代ですから。。。
ここは、逆転の発想で田舎ッポイ塗装で頑張ってほしいです。日立色の方が地味で野暮な色でウすが、通好みのはず。。。
前に少し話題に出したリバイバルカラーですね。私が訪問した、廃止1週間前の時は運転日ではなく、大甕駅で待機していたので、実際に走っている写真を見るのは新鮮でした。この2両のうちのどちらかが地元の鉄道模型店に引き取られて保存されているそうです。
ちなみに、廃止のちょうど1年後にもう1回大甕駅を訪問しています。この時は、プラットホームはそのままだったのですが、線路だけがきれいに取り払われており、いわば砂利道の中にホームが建っているような状況でした。また、踏切の警報機が撤去されて1か所に集められて林のようになっているのが異様でした。
宵闇さん
楽しんで頂けて何よりです^o^。
末期の日立電鉄の風景は寂しいものを感じました。
車両を新しくして却って融通が効かなくなったのは銚子でも見られますね。
maru-ha殿
赤や黄色よりこの田舎臭いカラーが一番お似合いな気がするのは同感です。
大手私鉄の塗り替えっこもビックリですが••
原口さん
自分が行った時は昼間の一本に入っていたので、ラッキーでした。
これが走っていなかったら早々に退散していたかもしれません。
廃止後も行かれたのですね。
線路の無くなったホーム•••。
寂しい光景ですね。
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