古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

Tuesday, July 8, 2014

日立電鉄 日帰り旅(4)

日帰り旅の最終回です。

久慈浜の車庫を辞してお馴染みのこの電車で移動します。



モハ16 91.11.23 久慈浜

こちらは別の日に訪れた久慈浜駅です。
この時には営団銀座線の2000形が既に投入され出していましたが、相変わらず昼間はこのタイプの電車の独壇場でした。



モハ16 80.11.16 大橋

途中の大橋で下車、川中子まで電車を撮りながら歩きました。
こちらは下車した大橋駅にて。
昼間はこのタイプの電車の天下です。

モハ11 80.11.16 大橋ー川中子

営団地下鉄の注文流れと言われるモハ11形もワンマン電車グループの一員として活躍をしていました。


モハ16 80.11.16 大橋ー川中子

川中子から大橋までのひと駅を歩きながら何本かの列車を撮りましたが・・・。


モハ14 80.11.16 大橋ー川中子


モハ16 80.11.16 大橋ー川中子

やって来るのはこればかり・・・。
飽きてしまいました。


モハ11 80.11.16 川中子

川中子からはこの電車で常北太田へ。

モハ1009、モハ15、モハ109
80.11.16 常北太田

終点、常北大田駅です。
ラッシュ時専用の電車達がいっぱい昼寝をしていました。

88.8.22 常北太田

こちらは最初の訪問から8年後の常北太田駅です。
電車のラインナップは変わっていませんが、駅の施設にはそれなりに手が入っています。

モハ109 80.11.16 常北太田

常北太田の電車たちをちょっとご紹介します。

ここに写っている電車、全て色が異なっています。
一番左側が標準色と思われるオレンジ系の塗装、それでもクリーム部分はモハ1000形とモハ13形では異なっています。
中央のモハ109は紫系の静鉄塗装ですが、静鉄車だからというわけでは無いようで、これは他の編成でも一部塗られていました。
一番右の電車、モハ1301も色が違います。
こちらは黄色系のくすんだ色で、あまり活躍頻度が高くない車両に塗られていました。
結果的には左側のオレンジ系に近い色に収斂されたようですが、実に統一性が無いところなどは、地鉄電車の言い訳に利用できそうなレベルです(^O^)。

モハ110 80.11.16 常北太田

静岡鉄道からやってきた100形。
1961年から1966年まで自社で製造したクモハ100形で、車体は近代的ながら下回りは古風です。

モハ51 80.11.16 常北太田

モハ51。
ここに休んでいる電車で一番古いのはこの電車でしょう。

モハ1301 80.11.16 常北太田

こちらは買収国電のモハ1301。
こちらは前回の3回目でもご紹介しました。

クハ2501 80.11.16 常北太田

こちらは東急のガソリンカーの成れの果て。
この車両はほかに関東鉄道と上田丸子電鉄(こちら⇒上田交通 八木沢)にも嫁ぎました。


80.11.16 常陸太田

日立電鉄訪問後は、国鉄の常陸太田駅を目指します。

キハ45 4 80.11.16 常陸太田

当時の列車はこんなのでした。
折り返しのこの列車で水戸経由で帰宅しました。



6 comments:

宵闇 said...

元静岡鉄道100形良いですね~。

この電車熊本で乗りましたが、車内にセンターポールが立っていたり、白熱灯の跡があったりと新しく見える見映えの割にはとても面白い電車だった事を覚えています。

chitetsu said...

宵闇さん
この電車、見ただけで乗ったことありませんでした。
車内にセンターポールがあるとは知りませんでした。
デビュー当時白熱灯だったというのもビックリしました。

伊豆之国 said...

日立電鉄に最初に乗ったのは、「つくば科学万博」の帰りの寄り道で、全線を乗り通し、当時はまだ雑多な旧式電車の天国だった頃でしたが、いまいち記憶に残っていないのが残念なところです。蛇足ですが、このときは夏休みだったので大洗海岸で海水浴をし、開業したばかりの大洗鹿島線にも乗ったのですが、大洗界隈にはかつての「水浜電車」の面影を見つけることはもはやできませんでした。
再び日立電鉄に乗ったのは、11年前の春休み。前日にやや遅めの満開を迎えた偕楽園の観梅、水郡線に乗って袋田の滝を見て、水戸に戻り一泊。翌日は金砂神社の「磯出大祭」へ。「72年に1度」だけ行われ、田楽も盛大に披露される大祭で、マスコミでも盛んに宣伝されていたこともあって、会場は想像以上に大混雑。朝早くにホテルを出て大甕から常北太田へ、水戸黄門が晩年を過ごした「西山荘」見学の後、バスに乗って田楽会場へ向かったのですが、大渋滞でしかも立ちっ放し…。帰りは常陸太田からJRで水戸に出て、帰京したのでした。思えばこのときが日立電鉄にとって最後の「輝き」だったのでしょうか。親会社の日立製作所の業績が不振に陥り、日立市もそれに伴う人口減少と財政悪化で、とても電鉄の存続に金を出せなくなっていたのでしょう。旧式電車に入れ替わって入った元銀座線の車両も、冷房も無く、線路の保守状態もお世辞にも良好とはいえない状態だったように見えました。起点の鮎川駅も中途半端な位置で、日立駅に乗り入れることができずに終わったのも、電鉄にとって命取りになったような気がします。

chitetsu said...

伊豆之国さん
つくば万博、懐かしいですね。
エキスポライナーという列車でいろんな車両が動員されていましたね。
私が大洗行った時には一箇所だけですが、駅舎とホームが残っていました。
日立電鉄はあの中途半端な営業路線が致命傷だったのかもしれませんね。

原口 悟 said...

私が日立電鉄を訪問したのは、最末期の、廃止の1週間前でした。RP96-4増刊号「特集 関東地方のローカル私鉄」を参考書にして訪問しようとしたのですが、運行状況が大きく変わっており、2両編成だけの運転に単純化されていました。また、地方鉄道でも最初期のワンマン運転の様子を見ようと思ったのですが、廃止直前で客が多く、実質的に駅員各駅配置になっていました。常北太田駅では揚げたてのカレーパンを食べたことを覚えています。
ツートンカラーの色合いですが、訪問時に大甕駅で見た復元塗装の3023+3025は提示の写真で言う黄色系の色でした。

chitetsu said...

原口さん
私も営団車のリバイバルカラー、廃止半年前ぐらいの時に見ました。
確かに黄色系の色合いでしたね。
この線の電車はペンキ買う度に色合いが変わったのじゃ無いかと思うくらい統一性が無かった気がします。