しかし、この久慈浜にはあまり電車は居ませんでした。
日立電鉄にはここ久慈浜を含めて大きな車庫は存在せず、電車は大甕、鮎川、常北太田の構内の側線に留置されていたのも他の会社線とはちょっと違っていました。
前回ご紹介の鮎川駅訪問後はこの久慈浜の車庫を目指しました。
久慈浜の構内には有名な木造国電の廃車体がありました。
クハ141 80.11.16 久慈浜 |
クハ141 80.11.16 久慈浜 |
クハ141 80.11.16 久慈浜 |
相方のモハ101はご存知のように国鉄が買い戻して復元しています。
現在は大宮の博物館入りを果たしていますね。
車齢的にはモハ101よりもこのクハ141の方が古く、明治44年製造となっています。
ナデ6141 96.8.24 大井工場 |
こちらがそのモハ101のその後の姿です。
日立電鉄で廃車となったのは1972年。
その後、日本国有鉄道に引き取られ、日本の鉄道100年の記念事業として大井工場において復元されたのがこの姿です。
ナデ6141 96.8.24 大井工場 |
こちら側のサイドにはパンタグラフが載っています。
また、バッファーも復元されていません。
モハ9 80.11.16 久慈浜 |
工場の中ではモハ9が格好悪く更新改造中でした。
工場建家は実に渋い味わいがあります。
デワ1 80.11.16 久慈浜 |
昭和生まれの木造単車でした。
二枚ともモハ1301 91.11.23 久慈浜 |
買収前の宇部鉄道モハ21形で国電時代末期は富山港線に居ました。
プレスドアが寸法の合わないものを強引に付けていたり、模型で作ったら笑われそうな姿をしていました。
トキ1001+モハ1301 91.11.23 久慈浜 |
91.11.23 久慈浜 |
91.11.23 久慈浜 |
2 comments:
この電鉄の久慈浜車庫っていつも電車があまりいないのが普通でしたよね。
ワタクシが訪ねて行った時もお目当ての電車は常北太田でお昼寝でした。
でも車庫裏の廃車体って味がありますよね。
車両工場裏ってマニア心を擽るものが一杯転がっていますね。
宵闇さん
久慈浜はちょっと不思議な場所でした。
車庫の楽しみの廃車体はここでは上級品が鎮座していました。
このあたりを見るのも車庫めぐりの楽しみでした。
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