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Tuesday, July 22, 2014

大糸線のスカイブルーの電車 その2

松本から南小谷までの直流電化区間の大糸線は京浜東北線と同じスカイブルーに塗られた旧型電車が長く活躍を続けていました。

81.4.9 北松本

今は無き北松本の電車庫。
歴史的経緯から松本に車庫があるのに、隣の駅にも車庫があるのは今考えると確かに不効率で、統合されるのは当然かもしれません。


クモハ40077 81.7.26 北松本

一両だけのクモハ40形。
検査時の助っ人になったり荷物電車代用になったりと重宝されていたようです。
貫通幌は時代によってパンタ側に付いたり、パンタ無し側に付いたりしていました。

クモハ60066 81.7.26 北松本

半流クモハ60形。
正面左側の窓が一枚窓に改造されています。
これだけでも印象が随分変わります。

クハ55041 78.6 北松本

半流クハ55です。
塗装以外はかなり原形を留めています。

クハ55436 81.4.9 北松本

下の写真に出てくるサハ57形を先頭車化改造したクハ55に、便所取付改造を更に施したクハ55436。
このスタイルの電車は大糸線には結構居ました。
連結面にヘッドライトを付けただけのようなぶっきらぼうな改造スタイルで、登場時を知らない私はまだしも、知っている人は相当違和感を感じたのではないでしょうか?

サハ57401 81.4.9 北松本

サハ57形は多くの車両が先頭車化改造を受け、そのままサハで残った車両はごく僅かでした。
このサハ57形は便所取付改造を受けたサハ57401です。

3 comments:

Anonymous said...

大糸線の旧国時代を知る地元住民です。

>歴史的経緯から松本に車庫があるのに、隣の駅にも車庫があるのは今考えると確かに不効率

大糸線は元々「信濃鉄道(現しなの鉄道とは別会社)」起点が今の北松本駅で松本駅とはつながっていませんでした。(大正4年頃の話です。)
そのため電車庫が別々にあったわけです。本来は戦前の国有化の際に統合されても良かったと思いますが元私鉄の設備を国鉄規格化させるのに時間がかかると当時は考えたようです。

115系化された後に部品や整備が共通で管理できるという理由で松本に統合されて長キマ区は廃止になりました。

スカイブルー塗装なのは 今で言う「末期色」という意味ではなく
田舎も都会のようなカラフルな色(当時の101系のような)の車両にしたいと当時の地元有力者と国鉄幹部が話しあって決めた経緯があるようです。
個人的には飯田線のようなスカ色にしても良かったと思うのですが、飯田線は静鉄管内 大糸線は長鉄管内でなわばりが違ったんですね。

独特なカラーでしたので他路線と乗り間違いすることなくて良かったですよ。

Anonymous said...

追伸

旧国時代は列車の前と後ろの顔が違っていることが子供心にとても新鮮に感じていました。(半流と平妻車の編成など)

クハ55430番代やクモハ40077、クモハ43804などは半室運転台でしたので停車中にはよく運転手さんとお話出来ました。とてものんびりした時代でした。

chitetsu said...

匿名の地元住民さん
大糸線沿線には私鉄買収線区らしい特徴がそこかしこに残っていましたね。
スカイブルーの塗装は旧型電車には厳しかったのか錆の汚れや退色が目立っていましたね。
京浜東北線と同じ塗料であろうに退色が進むのは何故か不思議に思ったものです。
半室運転台は運転手さんの動きがよく見えて楽しかったですね。