14.6.7 東中野 |
14.6.7 東京 |
C57180 14.6.7 新潟 |
やって来ました、新潟。
C57180 14.6.7 |
乗るのは、『SLばんえつ物語』号!
今回の旅行は大学時代の友人と卒業30周年の節目を記念しての旅行です。
卒業30周年・・・・
そんなに経ってしまったことに我ながら驚きです。
会社入社時の50代なんて全くの別世界の生き物のように見えたのに・・・。
いつの間にか自分がその立場になっておりました。
時間が経つのは早いものです。
C57180 14.6.7 新潟 |
そんな鉄道キチガイおっさんばっかの旅行、新潟下車後皆で先ずは向かうのは当然、蒸気機関車。
久しぶりに見る火の入った蒸気機関車。
独特の石炭の匂いも懐かしいです。
車内配布パンフ |
車内で配られたパンフレットです。
こういうのはいつになっても嬉しいものです。
配布されたパンフと切符で記念撮影。
列車は荒天の影響で遅れている列車の接続待ちで10分ほど遅れで新潟を発車しました。
C57180 14.6.7 新津 |
新津で先ずは小休止・・・・のはずが接続列車の遅れで大休止。
本来10分程度の停車が二倍以上の停車時間に。
皆、ゆっくりと記念写真が撮れました。
大半の乗客は却って喜んだのかも知れません。
このあたりは観光列車らしく、のんびりしたものです。
SLばんえつ物語弁当 |
新津で買ったのはこちらのお弁当。
多くのお客さんが弁当売り場に買いに走っていました。
14.6.7 五泉 |
昔、ここから加茂に向かって蒲原鉄道が出ていましたが、その痕跡が残っているかが気になります。
構内に進入する所でカメラを構えます。
・・・・が、案の定何もありませんでした。
モハ81 84.3.2 五泉 |
こちらはほぼ同じ位置で撮った30年前の写真です。
背景の民家はそのままのようです。
これを見ていたら卒業式直前に今回旅行の一部メンバーと訪れた時の記憶が蘇ってきました。
クハ10 98.11.24 五泉 |
こちらはそれからかなり経ってから訪れた時のカットです。
正に気動車がやって来る場所で今回は車内から撮ったことになります。
84.3.2 五泉 |
こちらは再び30年前に戻ります。
当時、磐越西線の列車は基本的には客車列車でした。
こちらは五泉で交換する客車列車の光景です。
84.3.2 五十島ー白崎(現・三川) |
この時は蒲原鉄道と合わせて磐越西線の客車列車も撮っています。
雪の五十島を行く会津若松ゆき客車列車です。
14.6.7 東下条 |
話は再び現在、『SLばんえつ物語』号に戻ります。
機関車の次位は『オコジョ展望車輌』となっていて、C57の動きが手に取るように分かります。
ここから見た機関車の動きはやはり相当振動が激しそうに見えました。
乗務員の方々の苦労が目に浮かびます。
C57180 14.6.7 津川 |
ここで、給水・点検が行われていました。
C57180 14.6.7 津川 |
門デフ付きの現役蒸気は初めて見ました。
結構感動です。
C57180 14.6.7 津川 |
油を差す人1名。
C57180 14.6.7 津川 |
機関車の食べカスを処理する人1名。
C57180 14.6.7 津川 |
メンテナンスで同行するスタッフと思しき人4名、
石炭を整える人2名。
ぱっと見ただけで約10名近いスタッフがこの機関車のお守りをしているようです。
C57180 14.6.7 新津 |
そして当然機関士に機関助士、そして車掌さん。
実に多くの人々に支えられて蒸気機関車は動いていることを実感しました。
C57180と会津ライナー 14.6.7 会津若松 |
そして無事、会津若松へ到着しました。
C57180と会津ライナー 14.6.7 会津若松 |
約三時間半の蒸気機関車の旅、飽きることなく楽しめました。
たまには撮るのではなくて乗るのも良いものですね。
6 件のコメント:
ええなあ!
おれも3年前、予約取って会津若松まで逝ったのに大雨で線路がなくなってたらしくもちろん運休でしたー
バスで新潟まで逝きましたー
なにしに逝ったか今でもわかりませんー
蒲原鉄道の最終日たまたま偶然このばんえつ号で、新津から五泉まで乗ったのが懐かしいです。
ワタクシ自身SLは大嫌いなのですが、ばんえつ号だけは懐かしいと思いました。
「SLばんえつ物語」に乗ったのは、今から14年前の春の連休。浅草から東武~野岩~会津鉄道と乗り継ぎ、湯野上温泉で降りて「大内宿」を散策。そしてその日は芦ノ牧温泉で一泊。翌日は降りしきる雨の中、喜多方の蔵屋敷町を見物の後、その「ばんえつ物語」に乗って津川で降り、近くの阿賀野川の川辺の温泉宿で旅の疲れを癒しています。夜になると雨も上がり、露天風呂に入るとライトアップされた阿賀野川が目の前に。翌朝起きて庭を見ると、花盛りの雪椿が見事でした。それから、母が戦時中に疎開していた、亀田町と柏崎・北条へと回ったのでした。
蒲原鉄道には、まだ全線が健在だった昭和54年の春に行ったことがあるのですが、時間の制約もあって、結局五泉と村松の間しか乗れが、絶景の区間に行けなかったのはちょっと残念でした。2駅間だけを残して廃線となったときは、残る区間も余命いくばくもないかと思ったのですが、それから14年間もよく走り続けていたな、と感じたのでした。まだまだ通学生の利用が結構あった、ということなのでしょうか。
SMばんえつ犬語り殿
うおっ、わんわん殿も逝ってたんですね。
SLにSMされたんですねっ!
宵闇さん
新潟交通は最終日に行きましたが、蒲原鉄道の最終日は行きませんでした。
私も電車やで汽車はあまり興味ないんですが、実物接するとそれなりに良いですね。
でも『SL』という言葉は大嫌いです。
伊豆之国さん
伊豆之国さんは今回の私のたどったコースの全く逆コースを行ったのですね。
明日は会津鉄道編です~。
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