Thursday, April 3, 2014

越後交通、不思議な光景

越後交通は昭和50年に旅客営業を終えましたが、その後も貨物輸送は割合と後年までおこなわれていました。
そんな越後交通の鉄道線を1993年に訪れました。

ED5102 93.7.17 西長岡
定山渓から来た湘南顔のED5102。


ED401 93.7.17 西長岡
まとまったスタイルのED401。
相鉄の機関車(こちら⇒相鉄の電気機関車)に良く似ています。

ED311 93.7.17 西長岡
元西武の戦時型電気機関車。
車体に対して電車型の台車がいかにもお粗末です。


93.7.17 西長岡

西長岡の構内風景。
ここから来迎寺に向かう路線が営業中の路線でしたが、分岐するもう一方の寺泊に向かう路線はとうに無くなっているはずでしたが・・・

93.7.17 日越
線路と架線柱は延々と続いて残っていました。

93.7.17 越後関原
こちらは越後関原の構内。


93.7.17 与板

途中は米どころ越後平野の田んぼをひたすら走るようなところが多く、これではあまり乗客を期待できそうになかったであろう雰囲気でした。
その中では大きめの街が与板でした。
与板の手前にはちょっと併用軌道風のこんなシーンのところがありました。
現役時代に見たかった風景です。

93.7.17 大河津
大河津では越後線とクロスしていましたが、そのちょっと手前まで鉄路は続いていました。
沿線では、再び石油ショックが起こったら電車を復活させるためにそのまま置いてあるんだ。
いつかはまた再び電車が走る時が来る、というお話をする人と何人も会いました。

2 comments:

  1. こんにちは。

    与板近隣では田中角栄が交通事情が変わったら、長岡線を復活させるという噂がまことしやかに囁かれていたそうですよ。

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  2. 宵闇さん
    その話、私もそれっぽい事を聞きました。
    その噂の信憑性は別としても、廃線から十数年経ってもほぼ全線にわたって線路を残していたのは、何かしらの意図があっての事だったのでしょうね。

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