Friday, January 31, 2014

阪急嵐山線の板車

阪急電車は私が産声をあげた時に病院の脇を走っていた電車。
物心つく頃から踏切の脇で見ていた電車も阪急電車。
電車といえばマルーン、というイメージが小学校に上るころまでの私のイメージでした。
そんな阪急電車の板車も絶滅寸前とのことですので、ちょっと京都線の板車の写真をまとめてみました。

2309(左)、5315(右) 06.3.28 桂

桂で並ぶマルーン電車。

2309 06.3.28 桂

前パン車はやはり格好エエですね。

2309 06.3.28 桂

阪急マークはどうもこの電車には似合わない気がします。

2309 06.3.28 桂

関西の電車の方向板は関東のサボとは違う独特の文化を感じさせました。
以前の『嵐山 桂 間』の『間』が入っている頃の表示の方が良かった気がします。
『間』が抜けるとどこか余所余所しい気がします。

2309 08.11.1 松尾ー嵐山


晴れた秋の日、複線時代の架線柱が続く区間で『板車』を狙いました。

2309 08.11.1 松尾ー嵐山


嵐山をバックに桂に向かう2300系電車。

2309 08.11.1 嵐山

嵐山駅に進入する2300系。
背景の山が紅葉で紅く染まるのも時間の問題です。



11 comments:

  1. こんばんわ。

    そう言えば、Chitetsuさんは阪急沿線のご
    出身でしたね。
    以前TMS誌に掲載された、Chitetsuさんの
    力作P-6の6連は、ゲージこそ違いますが、
    NゲージのP-6キットを作る際に参考にさせて
    頂いております。

    私も実家が阪急神戸線の線路脇にあり、父は
    阪急関係の仕事に就いていたので、子供の頃
    から阪急電車は生活の一部みたいな存在でした。
    いつ見ても見飽きなかったダイヤモンドクロス
    も、今年で廃止30周年を迎えましたが、阪急の電車や線路を見て育った事が、私やChitetsuさん
    を鉄道好きにさせたのかも知れませんね。

    ReplyDelete
  2. ChitetsuさんのP6! 見たような見なかったような~…。
    板車ばかりの頃の阪急は、独特な雰囲気に溢れた魅力ある電車でしたね。
    関東鉄は憧れたものでした。

    ReplyDelete
  3. nnishi1968さん
    こんにちは。
    P-6の記事をご覧になっていたのですね。
    もう随分と昔の話です。
    無理言って正雀の車庫で屋根上に登らせてもらったのも今となっては良い時代だったと思います。
    物心つくころの電車の記憶はその後の運命を左右するほどきっとインパクトがあったのではないかと思います。
    親に連れて行ってもらった阪急電車の踏切で何本電車を見ても動かなくて困ったと大きくなってから良く親に言われたのを思い出します。

    ReplyDelete
  4. Cedarさん
    こんにちは。
    P-6は学生時代に作ったので既に30年前の話ですので、ご覧になっていたとしてもご記憶の彼方でしょう~(笑)
    その頃の阪急電車は今以上に独特の雰囲気を持っていたような気がします。
    個人的には駅名票の隣駅の案内が指だったのが子供心に怖かったのが印象的でした。

    ReplyDelete
  5. そもそもワカメマークそのものがダサいですが、
    板車の顔とワカメマークが並んだこの写真を拝見していよいよイヤんなりましたー。
    標識板も新しいにはなんかヘンだなあーとうすうす思ってましたが「間」がヌケてるのですね・・・
    文字通り間ヌケだったのか~

    ReplyDelete
  6. 小林犬三殿
    来ましたね~!
    コメントお待ちしてましたぁ~!
    あれ、ワカメマークって言うんですね!
    似合わんです!
    『間』抜け縦線入り方向板になった時はガックリしました。
    今となっては贅沢な文句ですが。

    ReplyDelete
  7. どうも阪急に関しては疎く、桂や正雀というと、先輩のバイトに同行してこき使われた記憶しかありません。
    この一昔前、90年代半ばの更新前の5300は急行板をつけて走っていたものでしたが。

    ReplyDelete
  8. なにわさん
    阪急でも嵐山はわざわざ行かないとあまり縁の無い人多いでしょう。
    複線の敷地に単線線路のこの路線には個人的に興味津々でした

    ReplyDelete
  9. chitetsu さんは、関西出身の方だったのですね。
    私は毎日、阪急の吊り掛け音と車輌を見ていたし、新幹線0系は音だけ聞くのと夜はパンタグラフの火花が見えるだけでしたが。
    板車は私も 間 の文字がある方が好きですね。
    機会があり、伊丹線で最後の板車を見ましたが、昼間の2編成が両方、板車。
    もう天国・・・なんて感じでしたが。
    安価なコンデジしか持って居らず、せめてもちょっといいコンデジがあれば…と思ったものです。
    いま、あの顔は 2301+2352 のペアだけかな?
    駅ホームに板がズラッと並んでいたのが懐かしいです。

    ReplyDelete
  10. Mu.さん
    意外に思われますが阪急沿線生まれです。
    少年時代はマルーンの電車ばっかり見て育ちました。
    阪急の「間」の表示のある板は好きでしたね。
    いつの間にか間が抜けてガックリしてしまいましたが、板車自体が無くなる時代が
    来るのは当時はあまり想像できませんでした。

    ReplyDelete
  11. かなり前の記事へのコメントもかかわらず、返信ありがとうございます。
    この記事、前後を読むと生まれた病院とか…。
    改めて読むと、読み落としていたことが多々あるものです。

    板車については。なんでも効率化の時代ですから。
    幕もなくなり、LED ですし。入駅している車両にフラッシュなんてとんでもないと思っていたら。
    板の盗難なんてのも…嫌な世の中です。

    1008F もはいってきて、一気に世代交代? という感もありますが。
    10連特急には入らないしな…。
    7/8/9000系に増結だけど、神戸方に連結位置変更だろうなと。
    細かな変化ですが、6/7000系の顔すら少なくなってきているのは、さびしいものです。

    ReplyDelete

コメントはフリーでお受けしています。しかし、個人的なブログですので、リプライ及び不適切と判断したコメントの削除は管理人判断で行ないます。