Tuesday, January 21, 2014

中央線 東中野 今昔

中央線の東中野は都営大江戸線の開通後は乗換駅としても色々とお世話になっている駅です。
隣の大久保と合わせて駅のホーム部分などは昔ながらの面影を残したまま現在に至っています。

そんな東中野今昔です。


昭和29年頃の東中野駅
写真は昭和29年頃の東中野駅舎です。
駅の外側の仮囲いの壁に掲示されていたものです。
これは新宿方にある駅舎の風景ですが、右手の跨線橋はこの当時のものに改修を加えて現在も使われているようです。


78.3.15 東中野
今から36年前、101系非冷房車の特別快速。
当時は既に特別快速には非冷房車が運用に入ることは少なくなっていましたが、寒い時期には冷房の有無は関係がないので結構見ることができました。
一番手前の客扉はガラスが割れたらしく応急用の窓がはめ込まれています。
最近はドア窓の破損は少なくなっていると思いますが、当時は結構まだよくある事でした。

クモニ13002 78.3.15 東中野
続けて快速線を飛ばしてきたのはぶどう色のクモニ13。
中央線の荷物電車は緩行線を走るのと快速線を走る列車がありました。
今となっては信じられないような風景です。

クハE232ー9 14.1.18 東中野
同じ場所の現在の状況です。
場所を特定するのは架線柱で可能ですが、背景の建築物で確認しようとしたらどれ一つその当時の屋号の建物はありませんでした。
一見変わっていないように見えた東中野ですが、確実に風景は変わっているのですね。
ホームや線路回りにもかなりの変化があるのが分かります。

クモル24007 80.6.26 東中野

たいへん眠たい画像で恐縮です。
雨の中、配給電車を撮ったものですが、背景に写っている臨時電車が意外な収穫でした。
先頭車が通過時は普通の165系に見えましたが・・・。

クハ155-3 80.6.26 東中野

振り向くと、修学旅行用電車の成れの果て、急行色になった155系が殿についていたのでした。
湘南色の155系はこの時一回しか見ていません。

クハE233-34 14.1.18 東中野
上のクハ155が写っている場所の現在です。
大きな変化はないようですが、ホームや跨線橋も結構手が入っています。

クハE232-1 14.1.20 東中野

今回今昔写真を撮るために以前の写真を持って現場に立ってみると、変わらないように見える風景も確実に変化していることを改めて感じました。


6 comments:

  1. 嫁が高校卒業して東中野の信用金庫に務めていたのでよくお世話になりました。
    最初の写真の手荷物扱い所はその頃まだ残っていて、かなり後まで(階段下りた角のコンビニのビルができるまで)あったような気がします。
    すぐ脇、大盛軒の鉄板麺がうまい!!

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  2. 赤影さん
    先日はどうもでした。
    赤影さんもここには縁があったのですね。
    新宿方の駅舎は当時のイメージが後年まで残っていましたね。
    大盛軒、今度行ってみます!

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  3. 東中野で思い出すのは、滝のある結婚式場=日本閣と、ポレポレ東中野くらいです。

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  4. Cedarさん
    日本閣、目立っていましたね~。
    建て替えられてからは周辺建物が高くなったせいか目立たなくなりました。
    ポレポレ東中野、いつも見るだけで入ったことありません・・・

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  5. これ、上と下は別の編成です。
    上は手前からクハモハクモハ+クハモハクモハサハシサロサロモハクモハで、全車冷房車です。2両目のモハはモハ168か冷房準備車のモハ164です。「アルプス」ではないでしょうか。
    下の写真は手前からクハモハモハ+クハモハモハクハ・・・で全車非冷房車です。田町の団体用155系です。高尾山参拝か、修学旅行臨ではないでしょうか。

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  6. なにわさん
    コメントありがとうございます。
    確かに編成が1編成としてはおかしいですね。
    自分の記憶ではわざわざ待ったはずもなくこの列車だと思い込んでいましたが、違ったようでした。

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