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Saturday, December 28, 2013

下十条電車区訪問

『東モセ』・・・
この配置区所の電略記号を覚えていますでしょうか?
この配置区所名は下十条電車区のことでした。
この下十条電車区は、隣接駅が東十条なので、そのあたりからしてややこしい状態になっています。
『モセ』の意味合いについては編集長敬白で詳しく書かれています。
その部分を引用抜粋しますと・・・

『・・・かつて東十条駅の赤羽方に「下十条電車区」と呼ばれる電車区があり、浦和電車区、蒲田電車区とともに京浜東北線の電車を受け持っていました。下十条なのになぜ電略が「モセ」なのかはまさに判じ物で、東京の電車区電略としては「南チタ」(田町電車区)の上をゆく難解さでした。ちなみに「チタ」の方は「タマチ」のタとチを逆にしたもの。東京の鉄道管理局がまだ3局に分かれる前の東京鉄道局時代、立川(タチ)との誤謬を避けるための策だったと言われています。一方の「モセ」の方はさらに凝って(?)いて、下十条の旧仮名“シモジウゼウ”のモとゼを抜いて、さらに濁音のゼを清音に戻したものだという説が一般的です。しかし真偽のほどは定かではありません。だいいち、調べてみると「条(條)」の旧仮名は「デウ」が正しく、本来は「シモジフデウ」となるはずです。』

東十条の駅に隣接した下十条電車区は車庫訪問するまでもなく、駅のホームでクモヤ90を撮るという用事が済んでしまいました。



クモヤ90005 77.7.27 下十条電車区
一番ホーム側に止まっていたクモヤ90。
つながれている103系も今や鬼籍入りです。


クモハ103-111 77.7.27 下十条電車区
クモハ103は103系の中でも京浜東北線への投入に向けて新造した電車です。

103けーについてはこちら(⇒TOMIXの103けー)。

クモニ13013 77.7.27 東十条
偶然に京浜東北線南行線に荷物電車が到着しました。
乗客も京浜東北線の珍客に注目しています。

クエ9112 77.6.29・友人撮影
実は、ここでは残念なことをしています。
もう少し早く気づいていれば写っている車庫の中にこんな木造国電が残っていたのです。
これは友人に後日もらった写真ですが、撮影は廃車の一週間前だったとのことです。
この車輌の廃車は1977年7月5日。
もう一ヶ月早く行けば撮れたのです。

クエ9112 77.6.29・友人撮影
この時は廃車回送の準備中で、弱ってしまった車体に回送時に板が外れないように補強の棒を釘で打っていたとの話を聞きました。
救援車がこんな救援をしないと本線を走れないというのは皮肉な話でした。

尚、この車両については上で引用をさせて頂いた編集長敬白でも紹介されています(こちら⇒最後の木造国電)。

17 comments:

モセ犬 said...

おっちゃん、今朝はごくろうちゃん、ありがとございます~

実はTOMIXの103の所属表記をしようかと考えつつ、そういやモセってなんや?と今更ながら不思議に思い、おっちゃんに聞いてみようかと考えてた矢先でした!

こちらもどうもありがとうございます!
これで安心してモセ貼れます(核爆)!

12号線 said...

(旧)大宮→ヲヲ、川越→ハエなど暗号めいた表記には子供心に興味を抱かせるものでしたね。
クエは両エンドで運転台の位置が違うのですね。
最期はクモヤ90に挟まれて回送される姿をRFの投稿で見かけています。

元・いきもの部長 said...

私も最後の木造国電を撮りそこないました。
同形車が北イケ(池袋電車区)にも居て、東上線や赤羽線の車窓から何度か見たことがありました。
いつか鉄研で訪問したいと思っていましたが、SLブームが盛り上がっていたこの時期、103系ばかりの電車区訪問に賛同しそうな人はなく、そのうち廃車になってしまいました。
しかも、中部天竜機関区訪問時には、買収国電ながら木造救援車を撮っているのです。
いつかは‥‥と思っているうちにチャンスを逃したことが、他にも何度もありました。
しかし、解体は残念でした。
残っていれば、間違いなく鉄道博物館で展示されていたのにね。

maru-ha said...

「モセ」って、本当に連想しにくいですようね!カタカナ2文字の組み合わせですから、しかたがなく「セ」を組み合わせたかなぁって想像してました。

冒頭には「東モセ」と書いていましたが、、103系との組み合わせでは「北モセ」の方がしっくりくるなぁ。

国鉄時代の時刻表には管理局の局境を示す記号がありました。(今はJR各社の境のみですから、△△支社と言われてもどこまでなのか全然ピンとこないんです)悲しいけど、頭の中の東京地区の線路図は「北」「西」「南」のままです。。。
(私より先輩の世代の方からは「北」「西」「南」の方が邪道で、「東」が元祖だお叱りを受けると思いますが。)

nnishi1968 said...

こんにちわ。

最初の写真にあるクモヤ90005、今名古屋で
モハ63に復元保存されている車両そのもの
ですね。

他の写真に写っているクモニ13・クエ9112
の他、103系も鬼籍入りしていますが、この
クモヤ90は、流転の末に原型復元され保存
展示されたという事で、ある意味強運な車両
に思います。

そう言えば、えちぜん鉄道の最後の吊掛け車
が、遂に運用を終えたとの事。吊掛車の引退とともに、各地に散っていたジェットカーの
車体譲渡車の最後の生き残りも、姿を消す事
になりました…

なにわ said...

日根野の103系も後期車中心だし、森ノ宮と奈良を転々としているクハも品川や池袋(松戸在籍経験もあるって?!)出身なんですよねえ。
広島の最古参?浦和から蒲田を経て鳳に行ってるんで、下十条在籍経験はないはずです。浦和からの貸出はあった可能性があるかも。
大体、モセはATC化まで北側クモハでその後は中間封じ込めですし。
そういえば、下十条の検査線って8両入れたんでしょうかねえ。

chitetsu said...

モセ犬殿
昨日の王様リクエストミッション完了しました。
モセの表記は73時代からちょっと魅力的でした。
是非所属表記はモセにしてやってください!

chitetsu said...

12号線さん
電略記号はいかにもなものから変な判じ物みたいのまで様々あって面白いですね。
クエは両エンドで全然表情が違うのも魅力的でした。
私もクモヤ90に挟まれての回送写真、RFの記事で見ました。

chitetsu said...

元・いきもの部長さん
いきもの部長さんも同じだったのですね。
私も池袋電車区の端に居たクエを赤羽線(懐かしい響き)や東武線車内から何回か見ていましたが、こちらも合わせて撮り損ないました。
貴重な木造国電の生き残りでしたのでどちらか残っていたらと思います。

chitetsu said...

maru-ha殿
『東モセ』、『北モセ』、どっちがピンとくるかで年代が分かれますね。
個人的には『東モセ』のほうが好きですね。

chitetsu said...

nnishi1968さん
こんにちは。
クモヤ90005、あのロクサンに復元されたずばりその車両とは知りませんでした。
強運の持ち主ですね。
あそこまでロクサンに戻されるとは思いませんでした。
今度見に行きたいと思っています。

えちぜん鉄道のジェットカー吊り掛け車、ついに運用終了ですか・・・。
残念ですね。
私は秋の訪問時に車庫で寝ている姿を見たのが最後になりました。

chitetsu said...

nnishi1968さん
こんにちは。
クモヤ90005、あのロクサンに復元されたずばりその車両とは知りませんでした。
強運の持ち主ですね。
あそこまでロクサンに戻されるとは思いませんでした。
今度見に行きたいと思っています。

えちぜん鉄道のジェットカー吊り掛け車、ついに運用終了ですか・・・。
残念ですね。
私は秋の訪問時に車庫で寝ている姿を見たのが最後になりました。

chitetsu said...

なにわさん
京浜東北の103はあっちこっちに転配されましたね。
ATC化で個々の電車は随分様子が変わりました。
下十条の検車設備のせいで生まれたクモハ103、ある意味勿体ない先頭車でしたが、転出後はそれが幸いしたのかもしれません。

なにわ said...

追記
実は、ここ数年、昔の編成記録を拾ってるのですが、下十条は特に頻繁ですが、京浜東北担当3区の組み換えの多かったこと。山手、中央、総武の103系の組み換えが転属を伴わない限り殆どなかったのに。
一方、一旦組むとずっと一緒なのが幕張の183系と165系、松戸の103系-1000、金沢の489系でしょうか。
日根野の103系新製3本は、1本は日根野から動かず、1本は試作更新車と入れ替わって森ノ宮へ転出してサハを組み込み(GMの8両セットのモデルです)、1本は真っ白で試運転をやってからUSJラッピングを長年担当し、今は6M2Tで環状線を走っていますが、両端3両ずつは3本とも製造時からずっと一緒です。

伊豆之国 said...

前々から結構頻繁に覗かせていましたが、今回初めてコメントを書き込ませていただきます。生まれてからずっと東京都民の中年おじさんですが、Cedarさん、katsuさんのブログでも名乗っている、親父の故郷にちなんだHNをこちらでも使わせていただきます。

さて、「南チタ」で思わず反応してしまったのが、あの「幻」に終わった「南セントレア市」。合併でできる市の名称を巡って猛反発を食らった挙句、合併そのものまでご破算になったあの騒動、気がついたらもう8年以上も昔の出来事になっていました…。

>えちぜん鉄道の最後の吊掛け車が、遂に運用を終えた
名鉄瀬戸線からの引退に続いて、またも最近までかなりの勢力があったえちぜんからも消滅ですか…。路面電車などの低速車以外では、近江の220あたりが最後になるのでしょうか?
木造国電というと、鉄道博物館にあるのはやはり大井にいたナデ6141でしたっけ(?)

chitetsu said...

なにわさん
103系のことはあまり良く知らないのですが,線区での編成替えの多寡の差異はずいぶんとムラがあるのですね。
旧型国電もそうでした。

chitetsu said...

伊豆之国さん
始めまして。
Cedarさんのところのコメントでお名前は知っておりました。
よろしくお願いします。
えちぜんのジェットカー吊り掛けの運用離脱でいよいよ鉄道線の吊り掛け電車は希少なものになってきましたね。
残念ですが、これも時の流れなのでしょうね。