デハ505 81.4.2 神武寺 |
駅構内裏側は一般の人間が入れない場所になっています。
デハ467 81.4.2 神武寺ー六浦 |
デハ505 81.4.2 神武寺ー六浦 |
赤い棺桶、吊り掛け車版ですね。
デハ1000形 81.4.2 神武寺ー六浦 |
なんぼでも来たデハ1000が一両も居なくなったのが今でも信じられません。
デハ440形 81.4.2 神武寺ー六浦 |
デハ474 81.4.2 神武寺ー六浦 |
デハ467 81.4.2 神武寺ー六浦 |
バキュームカー 81.4.2 神武寺 |
こんなバキュームカーが現役でした。
狭隘な道路が多いことが結果的にこのような車の寿命を引き延ばしたそうです。
6 comments:
本題でなくすいません。
軽オート三輪が1981年にまだ走っていたとは!
軽オート三輪を見ると私はどれもダイハツ・ミゼットと言っていましたが、
マツダにもダイハツそっくりな軽オート三輪があったんですね。
写真はマツダK360という軽オート三輪だと思います。
katsuさん
軽オート三輪のバキュームカーはこの時代に珍しい存在でした。
地元に住む友人にこの場所は案内してもらったのですが、その友人がこの軽バキュームカーのやって来る時間を知っていたので、待ち構えて撮ったのがこの写真です。
同じころ、雑誌の写真を見てこの池のところへ行きました。
800系の増備と700系の4連復帰が行われたこの頃、吊り掛け電車はサハ1両を外して3連化され、2本つないで急行や逗子線、3連単独で(まだ空港まで行けなかった)空港線で使われていました。
逗子線には、窓周りが白かった800系や朝ラッシュ後限定の都営5000系なども走っていました。
800系は、当時4連までだった品川口の各停には使いにくかったため、吊り掛け電車と同様に急行や逗子線にも使われていました。
このあと、本線のクロスシート600系を含め、京急湘南顔の車輛たちが急速に消えていきました。
元・いきもの部長さん
やはりこの場所に行かれたのですね。
最近車窓から見たらその当時の面影はすっかり無くなっていました。
窓まわりの白い頃の800系は今の色より似合っていた気がします。
今度この色が復活する時は完全引退の時でしょうか?
「編集長敬白」を見たら、RMライブラリー新刊は『京急400・500形-大型吊り掛け駆動車の生涯-』上中下巻と3冊構成だそうです。
これは買いでしょうか?
元・いきもの部長さん
RML、京急が来ましたね。
店頭で見ましたが、一旦は買うのを様子見ることにしました。
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