ありがとうございました。
ということで、恒例数字シリーズ、今回のお題は『60』です。
琴電の60形電車はどれも癖のある鋼体化電車でした。
昇圧後に残った60形は虫食いで62、65、67の3両でした。
60形の62・65号は京浜電気鉄道が製造した木造電車で、戦後、運輸省63形の割り当ての見返り供出車として琴電にやって来ています。
しかし、木造である上に、ご多分に漏れず戦後混乱期の酷使により車体老朽化は激しく62号と65号は鋼体化改造を受けました。
残りの簡易鋼体化車両は早いうちに廃車になっているために番号が飛んでいます。
62 81.3.8 今橋 |
この当時は鋼体化当時の正面二枚窓の姿を留めていました。
お友達の65号と並んで昼寝に突入です。
62 92.11.15 瓦町 |
正面に貫通扉を付ける改造を受けています。
62 92.11.15 水田ー西前田 |
62号はこの後も長生きをして、2002年まで活躍を続けました。
引退時に同時に廃車になった67号と共に旧塗装に戻され、さよなら運転を行って引退しています。
現在は高松空港に隣接する「さぬきこどもの国」に保存されて健在とのことです。
65 81.3.8 瓦町 |
65号は一連の京浜車の中で最後まで未改造だったため、新造した車体は62号よりも近代的になりました。
外観は日車標準形に類似しています。
65 92.11.15 瓦町 |
65 92.11.15 平木ー白山 |
65形は、元南武の850号とほぼ固定編成で使用されていたようです。
こちらはその頃の写真です。
2005年に車体塗装が茶色とクリーム色の旧型車標準色に変更されて後に動態保存車の仲間入りをしたものの、結局は台枠の傷みが激しくなったために廃車になっています。
やはり木造車時代からの台枠には限界があったのでしょう。
67 81.3.8 瓦町 |
こちらは67号です。
この車両は上記二両とは来歴が異なり、宮城電気鉄道の車両を1950年代に譲受けしたものです。
鋼体化は1965年と比較的後年ですが、1960年鋼体化された65号よりも古臭い外観をしています。
恐らく先を見てケチったのでしょうね。
窓も小さいのは種車の部品の最大活用を考えたのではないでしょうか?
67号は2003年、62号と組んでさよなら運転の後廃車となっています。
610(左)、67(右) 81.3.8 瓦町 |
ダブルルーフを残した610号と昼寝中の67号。
両車、良く似た顔をしています。
67号は廃車後に保存も検討されたようですが、結局は引き取り手も無くそのまま解体されたそうです。
8 comments:
60万アクセス、呪います(核爆)!
いや、おめでとうございます!
それにしても加速度ついてるなあ!
すばらしい!
今後ともよろしくお願いします!
はじめまして。以前から、こちらのブログを昭和を生き抜いた個性豊かな吊り掛けや新性能電車に共感を得ながら拝見しています。
自分も、茨城県南部を舞台とした架空の田舎路線を設定して日々、愛嬌のある車両を世に送り出しています。
最後に、60万アクセス おめでとうございます。
こんばんわ。
60万アクセスおめでとうございます。
これからも、我々の琴線に触れる記事を楽しみ
にしております。
琴電60形、今から思えばほんの10年ほど前
まで現役だったんですね。これらの古い車両
が殆ど姿を消してから、脚が遠のいています
が、またいつの日か、讃岐うどんを食べつつ
乗り歩きでもしてみたいところです…
60万アクセスおめでとうございます。
イヌを上回るラビット(吊り掛けではありませんが)な加速度ついてるなあ!
イヌ51万殿
呪われチテツです(爆)。
60万はわんわんネットあってのことですので感謝、感謝。
お互いWin-Winでまいりましょう!
hiroさん
はじめまして。
弊ブログを見ていただき、ありがとうございます。
架空私鉄は夢が膨らんで楽しいですよね。
是非茨城南部の地方鉄道の今後の盛業を祈っております!
nnishi1968さん。
毎度コメント、ありがとうございます。
ことでんもすっかり近代化してしまいました。
10年ぐらい前まで残っていたこと自体が貴重だったのでしょうね。
今でも旧型電車がたまに走っているので、私もまた機会を見つけて行きたいと思っています。
元・いきもの部長さん
ありがとうございます!
低出力モーター装備なので、加速の悪さをオールMの編成で強引に加速してわんわんから逃げています(笑)。
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