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Thursday, November 21, 2013

総武流山電鉄 モハ105

総武流山電鉄は沿線の住宅化に合わせて成長してきたような鉄道と思います。
昭和三十年代あたりは元南武のモハ100形が主力の鉄道でした。

モハ105 80.6.12 馬橋
最後まで残っていたのがこのモハ105です。
朱色の車体に白の帯が良く似合っていました。

モハ105(左)、モハ1001(右) 80.6.12 馬橋

訪問当時も既に予備車状態に思われ、馬橋で惰眠を貪っていました。
右は当時の主力、西武から来たモハ1001です。

モハ105 80.6.10 馬橋
モハ105のサイドビューです。
良くまとまった小型電車です。
南武の100形は買収後早くに廃車が始まりましたが、地方私鉄には都合の良い大きさだったので同僚は全国各地の私鉄に散らばって活躍しました。

モハ105 80.6.10 馬橋
日によってあっちに行ったりこっちに行ったり場所が変わっていることが、常磐線を使って通学中の大学の友人の話で判明したので、その友人にお願いして私のカメラを渡して撮って来て貰ったのがこの写真です。
今なら画像データをメールで送るということになるのですが、当時はこのアナログなカメラだけ出張・旅行という手しか思い浮かびませんでした。


モハ105 80.6.10 馬橋
流山の駅に隣接して鉄道用品という会社があって、貨車などの改造や解体作業などを請け負っていました。
そこをバックに。

4 comments:

幸谷駅近くの病院に定期的に通院するmaru-ha said...

1001は撮ったことりありますが、100には気づかなかったなぁ。。
この車は営業運転の運用に入っていたんですか??

そういえば馬橋駅ホームは島式ですが、この間(幸谷駅近くの病院に通院した後に)ちょと、立ち寄ってみたら、線路が1線のみになってJR側とは反対側の線って廃止になってました。つくばEX開通後は、コスト削減のためどんどん合理化しているようでした。
昼間はお客さん少ないし、旧西武101’系ではなくオリジナル100みたいのが単行で走るといいなぁと勝手に妄想してしまいました。

chitetsu said...

幸谷駅近くの病院に定期的に通院するmaru-ha殿
100形は既に予備車だったのでしょうが、日によって場所が変わっていたということは営業運用も若干はあったのではないでしょうか?
馬橋も一線スルーですか・・・。
ちょっとさびしいですね。
それにしても貴兄は体調管理、しっかりしないとね。

元・いきもの部長 said...

モハ100形は、典型的な昭和初期の田舎電車ですね。
側扉の窓の桟が入り方が前後で違っていますが、これって珍しいのかな。

馬橋も一線スルーですか・・・。
馬橋・流山両駅の2線を活用し、朝ラッシュには列車が到着すると間髪入れずに反対側の列車が発車していたあの頃が嘘のようです。

南武鉄道の電車は、他線へ転属したり譲渡されたりして早い時期に南武線を去っていきました。
一方、電気機関車のED27は適当な代替機がなかったためか南武線や青梅線で長く使われました。
小学校の奥多摩遠足でED27を見掛けましたが、買収電機など知る由もない当時の私には未知の存在でした。

chitetsu said...

元・いきもの部長さん
南武の電車は典型的な田舎電車で、こんな電車でまかなえる程度の輸送需要だったのですね。
第二の人生を送ったところの方が、馴染んでいるような気さえしました。