Tuesday, October 29, 2013

鉄道コレクション 能勢電鉄50・60型

鉄道の日で余りまくった能勢電鉄事業者限定50形・60形。
私的には一番興味があった商品でした。

幼稚園に上がる前に阪急電車から乗り換えて能勢電で妙見にピクニックに行った記憶があります。
その時乗った電車は短い小さな電車で、びっくりするような谷を橋で渡った記憶があります。
その電車はデロだったのかこの電車だったのか記憶にありません。
でも、たしかにこんな電車が併用軌道風の田舎道を走っておりました。


能勢電鉄50・60型
焦ることなく買えた能勢電鉄コレ。
古い電車はやっぱり不人気なのでしょうか?

不人気な様子

阪急・北大阪急行、そして阪神でさえ(その様子はこちら⇒山陽電車フェスティバル)と売り切れ・・・
でも・・・
こんな感じで能勢電だけは、残っていました・・・

可愛い電車

主な違いは車体についてはポールかビューゲルの違い、下回りは主に色がグレーか黒かのようです。

ポールバージョン

こんな感じで走っていたのでしょう。

ビューゲルバージョン

能勢電の50形・60形は在来車の下回りを利用して新製車体を載せた車体更新車で、利用した下回りの差が形式を分けているそうです。
例によってウィキペディア引用しますと・・・

『・・・70形を改造したものが50形、40形を改造したものが60形である。1953年(昭和28年)に50形50・51(種車:71・73)、1955年(昭和30年)に52および60形61・62(種車:72・40・41)の順で竣工した。車体の製造は、52のみ帝国車輛で行われ、それ以外の車体はナニワ工機製である。』

・・・ということで、両車は車体を見る限り同一のようです。
私の見たときには既に本線運用は阪急の中型車の5連で運用されており、単行電車の出番は無くなっていました。
川西能勢口の朝晩運用が唯一の仕事で、余った車両は休車もしくはだるまさん化していました。


51 80.3.16 川西能勢口
川西能勢口で昼寝中の51。
既に朝晩のみの運行となっていました。

61 80.3.16 山下

山下の車庫で見つけた60形61。
既に休車扱いに見えました。

60 80.3.16 平野

60形の60は既に現役引退、平野車庫でだるまさんになっていました。

32(左)、60(右) 80.3.16 平野

奥にはもっと古い30形も鎮座していました。

32 80.3.16 平野
こちらが32号。
この電車の経歴は良く知りませんが、大正時代の電車の鋼体化のようで、基本構造は50形と変わらないようです。

106 80.3.16 平野
類似の装備で元気だったのはこちらの貨物電車ぐらいでした。

106 80.3.16 平野

サイドビュー。

527 80.3.16 一の鳥居ー平野
本線を走る電車は既に全て5連の時代となって、こんなちっぽけな電車が単行でヨタヨタ走るような出番はとうに無くなっていました。

8 comments:

  1. 能勢電と言えばこの小型電車ですね。
    実物は見た事ありませんが鉄道模型趣味でよく取上げられた
    能勢電のポール電車50、60型が走る風景が脳裏に焼き付いています。
    模型製作記事のせいかこのツートンカラーはとてもよく覚えています。

    >併用軌道風の田舎道を走る
    は正に昔の能勢電の風景で、鉄コレの50、60型小型電車で
    昭和30~35年頃の風景を想像するのも楽しいですね。

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  2. こんばんわ。

    川西能勢口に行くと、何時も居たのが51でしたね。

    貧弱な軌道を、ゆっくり走る姿は何度か見ましたが、
    遂に乗る機会なく終わったのが残念でなりません。
    何時でも乗れると思ったら駄目という事ですね。

    平野車庫のだるまさんも懐かしいですね。恐らく、
    電車として走った期間より、だるまさんで過ごした
    時間の方が長かったと思いますが、どこかの地方
    鉄道に拾われても良かったのではという気もします。

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  3. katsuさん
    能勢電の記憶はかなり曖昧ですが、田舎道と急峻な渓谷を走るイメージがあり、すごく山奥にいったような気がしました。
    子供の記憶ですからアテになりませんが。
    ポール電車にしては結構垢抜けしたデザインとカラーでしたね。

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  4. nnishi1968さん
    こんばんは。
    川西能勢口への軌道は子供心にもこんなところを電車が本当に走るのか、というような印象が残っています。
    最後に撮影に行った時も昼寝中の姿しか見ていません。
    平野のダルマさん、早々に現役引退を強いられたのでしょうね。
    それなりに使えそうな車体だったのに・・・。

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  5. 能勢電の鉄コレ、最後まで残ってましたね。
    成形はちゃんとしてましたが、これ、高いですよね!!
    なんとなく、塗装もグリコのおまけ?ってな感じしたので、見送りしてしましました。

    この日付って春休み!???のんびり出かけるのは学生時代の特権ですね。この1週間後に小生も周遊券を買って西の方に出掛けましたが、この電車、廃止直前のスジは朝晩だけなので、結局乗れませんでした。。。。残念。

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  6. 元・いきもの部長October 31, 2013 at 2:53 AM

    いい車両なのに売れ残っていたなんて、知名度が低さが響いたかな。

    それにしても、ローカル色が色濃く残っていた頃に訪れたことがあるのは羨ましいですね。
    当時の様子を雑誌で知りましたが、時すでに遅しでした。
    この電車、廃止前年に早起きして乗りに行きました。
    と言っても、1往復しただけのあっけないものでした。
    車庫に行けば他の車輛も残っていたとは、無念!
    32号については、「DRFC-OBデジタル青信号」にある「ポール時代最末期の能勢電」という投稿に解説がありました。
    要点を引用させて頂くと、昭和31年に瑞穂工業により鋼体化とのことでした。
    同時期の50型と外観が異なるのは、製造所の違いによるものでしょうか。
    なお、電動貨車106号は昭和36年同じところで改造とのことでした。

    最後に、開業100周年記念とやらで1500系(←阪急2100系)が50型風のツートンカラーになりました。
    最近流行のリバイバルカラーってやつです。
    その画像を見て、こう叫びそうになりました。
    阪急ジェットカー!

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  7. maru-ha殿
    確かに1個1100円は高いですね。
    出来はそれなりと思うのですが。
    川西能勢口ゆきの電車はそれなりにスケジュール組まないと乗れなかったですね。

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  8. 元・いきもの部長さん
    ちゃんと乗ったのですね(拍手!)。
    それにしても32号、昭和31年更新にしては古っぷるしい外観ですね。
    戦前の電車みたいです。
    リバイバルカラー、なるほど言い得て妙ですね。

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