そちらでも書かれていますが、西鉄303系電車は戦後すぐの生まれで、俗に言う運輸省規格形電車です。
その誕生経緯から設計的には無難なデザインな分、特徴がなく平べったい印象が拭えません。
これはどの鉄道のこの時期製造の運輸省規格形車両にも言えることですが、その中でも西鉄電車はどうにも地味な印象が拭えません。
塗装も影響しているかもしれませんね。
ク353 81.3.1 太宰府 |
太宰府天満宮参拝の帰り道に待っていたのは303系電車でした。
雪降る太宰府天満宮の飛梅を見るとは思いませんでした。
モ305 81.3.1 二日市 |
登場時はこちら側サイドには乗務員扉がありませんでした。
ク353 81.3.1 二日市 |
電動車と同一スタイルです。
モ325 81.3.1 二日市 |
中間電動車は全く異なる形態の電車がつながっていました。
こちらのモ325はクロスシート特急車の600系の中間電動車を転用したものです。
ク1305 81.3.2 柳川 |
なんちゃって高性能車のTcになっていました。
こちらも中間の新製モハとは不釣合いな組み合わせです。
モ326 81.3.1 二日市 |
こちらはもっとヒドイと言うのか、303系電車とは全くもって違うデザインの電車です。
下回りはモ325と同じ機器類を使って車体を新造した車両で、左右の車両とは似ても似つかぬ姿をしています。
ク360 81.3.2 二日市 |
こちらは303系の次に製造された308系の制御車で、一見同形車に見えますが、車体長や乗務員扉周りの納まり等に差異が見られます。
また、窓枠も木製のままで、アルミサッシュに更新された303系とは異なります。
モ304 81.3.2 二日市 |
中間に全然違うデザインの電動車が挿入されているのが良くわかります。
運輸省規格形電車は、運用する電鉄会社側から見ると不本意な押し付けの装備と詰まらないデザイン、そして何よりも製造時期の宿命で資材的にも工作的にも出来栄えが良くないこともあって、戦前製電車よりも先に淘汰されてしまう事例が多く発生しました。
その中では、西鉄303系電車は比較的長生きをして、天寿を全うした幸せな電車とも言えるでしょう。
でも・・・
モ307 90.5.7 西鉄香椎 |
ク357 90.5.7 西鉄香椎 |
こんなになるなら、天寿全うより本線で一生を終えた方が良かったのかも・・・
知れません。
4 comments:
西鉄の凸凹編成は興味が尽きませんね。303形の中間に入った電動車のスタイルも小田急や京王辺りにいそうな関東型3扉と、どこにもいないデザインの大窓2扉。
天邪鬼のCedarはこんな『一貫性の無さ』も西鉄好きな理由のひとつでした。
他にも100系のクハが600系に化けていたり、大川鉄道のガソが200系のクハになったりしてましたね。
あ、似非高性能特急1300形のクハはシートピッチが広くて快適でしたね~。
西武の次は西鉄、ライオンズつながりでしょうか。
冗談はさておき、その後に西武の足回りに交換してカルダン駆動になった車両がいましたね。
運輸省規格形電車は面白みがなく、不人気なものが多いですね。
戦後生まれの戦前風流線形600系をバラして1300系と303系にした経緯を知った時にはびっくりしました。
宮地岳線(今は貝塚線って言うんでしたっけ)転属後の姿は確かにありえないって感じで、最初見たときにはとても同じ車両とは思えませんでした。
Cedarさん
貴ブログの303系拝見して冬眠中の原稿をいじってみました。
西鉄の電車は平気で色んなものを繋ぐ時代が長く続きましたね。
100系のクハの600系化は一番びっくりしました。
1300形も色でごまかしているようで・・・。
シートピッチの広さは流石に元特急車でしょうか。
元・いきもの部長さん
ライオンズつながり・・・確かにそうですね(^O^)。
やはり、お上が考えるものはどうもスッキリとはいかないのでしょうか?
阪急700あたりも浮いた存在でしたね。
西鉄の柔軟な発想(?)にはビックリさせられます。
それにしても宮地岳線に行った最後の姿は本当にビックリさせられました。
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