クモハ200-901 79.2.5 品川 |
品川駅で見かけた201系試運転風景です。
当時のことはすっかり忘れてしまいましたが、知人が局報か何かで試運転情報を聞きつけて品川駅に向かったのだと思います。
関係者が多数、電車の周りをうろついています。
鉄道ピクトリアルの資料を見ると、東急製の901編成と日車製の902編成は『順次1月から2月にかけて』竣功したと書かれており、車歴の記録を見ても902編成は1月に入籍しているものの、901編成は2月5日付け新製と書かれていますので、もしかすると10両フル編成での最初の試運転だったのかも知れませんね。
残念ながらそのあたりの記憶は今や綺麗さっぱり無くなっております。
クモハ200-901 79.2.5 品川 |
新鋭電車に近づいてみました。
ブラックフェイスに空気ばね、Hゴムの無い固定窓やグロベンから脱却した通風器、2挺パンタ等、これまでの通勤型国電とは一線を画した電車であることは一目瞭然でした。
103系の安普請の姿とは違う私鉄風味の入った随分と高級な国電、というのが第一印象でした。
旧型電車ヲタなChitetsuにもこの電車には興味深々でした。
クハ201-901 79.4.12 武蔵境 |
この後も試運転は中央線を中心に続けられ、実際の運用に充当されたのは夏場になってからだったと記憶しています。
通学時などに何度か試運転電車を見かけましたが、こちらは偶然にも写真が撮れた201系試運転風景。
これまでの国電とは明らかに違う電車は輝いて見えました。
ホームのお客さんも振り向いて見ていました。
クモハ100-14 79.4.12 武蔵境 |
当時の中央線の主力電車は当然、101系。
そして当然、非冷房でした。
この101系電車、まったりした乗り心地やモーター・ブレーキやドア開閉の音など色々と音のうるさい後継車とは異なり、個人的にはご贔屓でした。
この頃は後継車103系電車はあらゆる面(101系との比較での安っぽさや旧型電車を追いやる電車という印象などなど)で大嫌いでした(その後随分経ってからは追い掛け回したのですが・・・まあ、人間(私だけか?)なんてそんなもんです)。
クハ1430 79.4.12 武蔵境 |
少し右に振り向けば、こんな風景が見られました。
西武多摩川線では片隅運転台のクハ1411形電車が17メートルのクモハ351形とペアを組んでいまだ現役でした。
今から見ると、武蔵境の駅構内風景は随分と長閑なものでした。
15 comments:
省エネちてつどの、おはようございました。
201系登場の79年は国立に暮らしていたもんで、すでに鉄から遠ざかっていた吾輩も大いにびくーりしたものでした。
ブラックフェイスが私鉄、当時でいうなら小田急9000なんかの亜流に見え、質実な国電(ワタシの場合は103けーね(爆)!)のよさをことごとく粉砕する悪者にしか見えませんでした。いや、今見てもやっぱり悪者ですわ(爆)。
そんな悪者を旧国好きのおっちゃんが2回りして興味をお持ちになったというのがおもしろいです。
つい、この間のことのようですが、今の目で見ると品川駅なんか客車特急つばめが入線してそうだし、武蔵境は甲武電車が並びそうなほど古い風景ですなあ!
省エネわんわん殿
おはようございました。
ブラックフェイスはお嫌いでしたか。
私は結構嫌いじゃないっす。
でも、確かに私鉄のモノマネな点の多い電車ではありましたね。
品川も武蔵境もこの何十年でずいぶん変わりましたね。
最初に買った鉄道雑誌(ファン79年4月号)の表紙がこれでした。
量産車は大きくいじられながらも、まだ元気で走っており、天王寺に行くと201系ばかり見ることになりますが。
ところで、しばらく前某所で話題になった近鉄3000と201系の謎の関係、御存知ですか?
なにわさん
最初に買った鉄道雑誌の表紙は瞼に焼き付きますね。
201系、誕生の地からは居なくなりましたが大阪では元気ですね。
先日も環状線で乗ってきました。
近鉄3000系???
30000系は知っていましたが、3000系というのは知りませんでした。
ネットで調べてなるほど、同時代の電車だったのですね。
謎の関係まではわかりません。
チョッパの開発絡みでしょうか?
教えてください~。
201系、車両展示を見に原宿宮廷ホームに行ったことがあります。
試作車の反省か、量産車はコストダウンが図られ、魅力がありませんでした。
当時主力の101系も冷房はないし、サハの中にはタイヤフラットが酷い車両もいて、通学に乗っていた自分は101系も嫌いでしたが、101系を追いやった201系も興味がなく、好きではありませんでした。
他の路線にステンレスの車両が入っても、中央快速は201系が長く君臨し、「101系時代同様、中央快速は放置か」とがっかりしたものです。この電車はなくなるといっても追いかけたりはしませんでした。
こんばんは。いつも楽しく見ております。
201系は中央線の快速というイメージが強く、E233に置き換わってしまった今となっては別路線のように思えます。全線高架化して綺麗になってしまったというのもありますが。
いつの間にか、103が武蔵野線や川越線から消え、京浜東北では置き換えた209も居なくなり。関東全域がステンレスの電車になってしまい寂しい限りですね。
従来からの車が跳梁跋扈しているの一部の私鉄だけになってきていますが、その私鉄ですら相互直通でステンレスの車両がバンバンやって来る状況に。
車両を見ていて面白いと思うのもそのうち無くなってしまうのでしょうか。寂しい限りですが。
鉄道ファン79年4月号を引っ張り出してきました。
表紙と新車ガイドが201系で、巻頭特集は新ビスタカー営業開始記念の近鉄特急です。
実を申しますと、湯口徹氏の「レールバスものがたり」(単端式気動車)が目的で購入した古本です。
本題の201系は、好きでも嫌いでもありません。
登場時は、国鉄もやっと私鉄並みになったと思ったものです。
当時、金属ばね台車など103系の仕様はすっかり時代遅れになってました。
しかし、量産車の登場はさらに2年半後。当時の国鉄が置かれた諸々の厳しい状況が伺えます。
製造が進むにつれてだんだんグレードが下がっていったのは、中央快速線の先輩格にあたる101系に通じるものがありますね。
最初は注目された201系も量産車登場後は人気安定(低迷?)、総武緩行線からの引退時も中央線快速置き換え中もほとんど騒がれませんでした。
だから、連続立体化工事の関係で生き延びた2編成があれほど大騒ぎになるなんて、とても想像できませんでした。
懐かしいですね、同一ホームで西武多摩川線に乗り換えられた地上時代の武蔵境駅。
そういえば、10年前に地上時代最後の甲種輸送を撮りました。
つのすけさん
結構みなさん201系は好きでないようですね。
国鉄の通勤車は遍く私鉄の二番煎じでしたからそういう評価で仕方ないですよね。
途中からどんどんグレードダウンしましたし。
陸奥光政さん
はじめまして。
ご愛読ありがとうございます。、
あっという間に首都圏の電車は右を向いても左を向いても似たようなステンレスカーになってしまいましたね。
乗り心地はよくなったと思いますが、見てて乗ってて詰まんないですね。
元・いきもの部長さん
おはようございます。
湯口さんのレールバスものがたり、私も連載を楽しく読んでいました。
昨年の軽便鉄道祭りではご本人と初めてお話をして楽しかったです。
武蔵野境もどこにでもあるつまらない駅になってしまいましたね。
以前の駅の方が乗客や街と鉄道の距離が近くて好きでした。
出遅れCedarでございます。
201系は簡易仕様とかいってグレード下がったりして、結局国鉄はチョッパ制御から離れた添加ほにゃらら制御に行ってしまいました。
関西で見かけると感無量…
Cedarさん
こんばんは。
201系は国鉄の悪い面が浮き彫りになった電車かもしれませんね。
頑張ったものの、息切れした感じでしょうか?
大阪では元気いっぱい、東京は全部サヨナラ、この差は一体何なんでしょうか?
昔、
http://server04.joeswebhosting.net/~ta3030/club103/bbs/mtbbs.cgi?list=bknum&no=000028
とか
http://server04.joeswebhosting.net/~ta3030/club103/bbs/mtbbs.cgi?list=bknum&no=000018
とかで書いたものです。cedarさんのところでは旬な話ですが
地下鉄乗り入れ用なのに2M2T、特許をいかに逃れたのか、デビューが201系の試運転直前といろいろ謎が多いのであります。
113系後継のチョッパ車や特急に使えるかのテストベッドだったのかもしれません。
上の書き込みは私です。
なにわさん
なるほど、色々な話があるのですね。
何処でも最初は試行錯誤でしょうし、モノがモノだけに色々な思惑があるのでしょうね。
Cedarさんのブログに書かれたコメント、
101系:民鉄に比べりゃ低性能
103系:低加速の鈍重
201系:銭失い
205系:安物
なるほどズバリな気がします。
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